14



「りょうが急病?」
 本番まであとわずか、髪を直していた将は、眉を寄せて顔をあげた。
「らしいよ、今、向こうじゃスタッフが、慌てて段取り組みなおしてる」
 聡がそう言って、将の隣に腰掛ける。
「まぁ、……ずっと、仕事が押してたしな」
 大丈夫だろうか。
 こないだも、相当様子がおかしかった。
 思いつめていたようだったし、へこんでいるようでもあった。
「精神的なもんかな」
 将の問いに、聡は疲れたように首を横に振る。
「なんにしても、まずいね、今のままだと俺ら」
 力のない声だった。
―――どうしたんだろ、こいつまで。
 聡が、ここ数日、妙に空元気を振りまいていたのを薄々察していた将は、鏡ごしにその顔を見る。
「……どうすればいいんだろ、でも、どうしていいのかわかんないんだ、ぶっちゃけ」
「………………」
「憂也1人が暴走して、雅は切れかけて、りょうは完全に1人の世界に入ってる、どうすりゃいいんだろ、将君」
「………………」
 憂也が暴走。
 それは、少し違う気もしたが、将には何も言えなかった。むしろ、聡の目にはそうとしか映っていないことの方が、今は、まずいような気がした。
「こんな言い方したら、あれだけど」
 将が黙っていると、聡の声が、少しだけ非難めいたものになった。
「将君だけは、雅やりょうの味方してくれると思ってたよ、多分りょうもそう思ってたと思う」
「……どういう意味だよ」
 色んなことを我慢していた将は、少し、気持ちがほころぶのを感じていた。
 俺が庇ってやんなかったから。
 だから、あの時りょうがキレたって。
 もしかしなくても、そう言いたいのかよ。
「……別に」
 将の顔色を鏡で察したのか、聡は、気まずげに口をつぐむ。
「言ってみろよ、言っとくけどな、後から実はこう思ってたって言われんのが、一番むかつくんだよ、俺」
 ややうつむき加減の聡の表情に、どこか投げやりめいた色が浮かんだ。
「じゃ、俺ら、将君怒らせてばかりだったよ、悪かったね」
「……………」
 なんだよ、それ。
「俺、別に憂也の味方してるわけじゃねぇから」
 将は苛立ちを飲み込んで、おそらく聡が言いたかったことに、そう答えた。
「ただ、憂也の言うことにも一理あるって思ってるだけだよ、今の俺らの立場、一番判ってんのが、憂也だと思ってるし」
「………憂也にもあるけど、雅やりょうにだってあるよ、言い分くらい」
「そんなこと判ってるよ」
「……じゃ、俺が言うことは何もないよ」
 聡は、それだけ言って立ち上がった。その表情には納得というより、諦めに近いものがにじんでいる。
「待てよ」
「よそうよ、本番前にこういうの」
 呼び止めた将から、聡は迷惑そうに視線をそらした。
「俺……憂也や将君みたいに、上手く切り替えできないから」
「……………」
「全部、本番に出ちゃうからさ」



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「片瀬は見つからないのか」
「心当たりは、すべて当たらせたんですが」
 藤堂戒は、そう言ってモニターを見つめる。
 主役の登場を待ちわびている舞台。
 椅子は、五つから、今は四つに減らされている。
「……どういうことだ、こんな時に、片瀬の奴」
 唐沢直人の表情に、余裕のない苛立ちが浮かんでいる。
 この日、同じ時間帯に、東邦EMGプロが、申し合わせたように、貴沢と河合の移籍、その正式決定を記者発表する。
 ニュースは当然、マスコミ各社に流れていて、今日の会見でも、同日リリース勝負に累計で勝利を収めた――つまり、貴沢秀俊が移籍を決めた原因でもあるストームに、その話題が振られることは間違いなかった。
 だから、マスコミをけん制する意味で、この会見に唐沢自身が同席することに決めたのである。
「大阪へは行ったのか」
「朝一番に、しかし報告しましたが、あの部屋には、今は別の女が住んでいます」
「……風見瀬名か」
「過去の女と現在の女。どういう繋がりか、理解に苦しみますがね。今となっては風見は、片瀬にとってはやっかいな荷物だ。そこに行くとは思えません」
「念には念をいれておけ」
「……………」
 わずかな間をおき、藤堂は「判りました」とだけ答えた。
 もうすぐ本番が始まる。
 藤堂はため息を吐いて、照明に照らし出されたステージを見上げる。
 この先の展開は、さすがの藤堂にも読めなかった。
 
 

                16


「いいの……?」
「いいんだ」
 抱きしめあうと、すぐにもの苦しいキスが降ってきた。
「仕事は」
「いいよ、1日くらい」
 本当だろうか?
 そう思いながら、真白の思考もまた、甘いキスで溶けかけている。
 が、このままなし崩しになると覚悟したものの、澪は意外にも、そこで素直にやめてくれた。
「ごめんな、今回は」
「……澪のせいじゃないもの」
「俺のせい、色々あって、連絡もできなくて、ごめん」
「ううん」
 信じてたから。
 不安だったけど、前ほど思いつめたりはしなかったよ。
 誰に何を言われても、澪の言葉だけ、信じようと思ったから。
「もしかして、部屋の掃除、澪がした?」
「あ、判った?」
 顔を離してそう聞くと、澪の目が優しくなった。
「あんま、ひどかったから……真白呼ぶ前になんとかしないと、マジやばいと思って」
 店屋物の皿、洗っとくよ。
 と、きびすを返そうとした澪の腕を、真白は少し慌てて掴む。
「いいよ、そんなの」
「でも、みっともねぇだろ」
「いい、それより早く」
 東京に、帰りなよ。
 何故か、その言葉が出てくれなかった。
 うつむくと、そのまま優しく抱きしめられる。
 真白は、目を閉じて、澪の背中に腕を回した。
「………泊まろっか」
「できるの?」
「………多分、無理」
「だよね」
「仕事なんてどうでもいいけど、真白に迷惑かかるから」
「そんなこと、嘘でも口にしちゃダメだよ」
「………うん」
 本当は、嘘でも言ってほしいけど。
 仕事なんてどうでもいい、私が一番大切だって。
「もうちょっと、待ってて」
 澪が呟く。
「え……?」
 見上げた澪の顔は、どこか暗かった。
 というより、最初からずっと、澪は表情に精細を欠いている。疲れて血色の悪い頬。真白はそっと、その痩せた頬に手を添えた。
「新幹線に乗る前は、もうやめてやるって、頭に血が上ってたんだけど」
 少し、弱々しい微笑だった。
「電車の中で頭冷えて、ずっと考えてた、……何が、俺にとっても真白にとっても、一番いい方法なのかなって」
「………で?」
「今は無理だけど、少しずつ、事務所にもわかってもらえれば、と思ってる」
「本当に?」
「うん、事務所に守ってもらえる形で公認されたら、……大丈夫だと思うから」
「……………」
 そうだろうか。
 澪の若さで、今の人気で、そんな特例が本当に認められるのだろうか。
「最悪、やめてもいいと思ってるし」
「……澪、」
「本当だよ、……やっぱ、向いてないのかなって、最近思うし、マジな話」
「………………」
「だから、もうちょっと、待ってて」
 澪の言葉を、そのまま信じたわけではない。
 むしろ、悲観的な未来の方が、真白にとっては、現実のような気がした。
「わかった、待ってる」
 でも、今の澪に、そう言って送り出すこと以外、何がしてあげられるだろう。
「よかった……」
 嬉しそうな声が耳元でした。
 糸が切れたように、強く真白は抱きしめられる。
「辛いけど、もうちょっとがんばってみたいんだ」
「うん」
「最近ちょっと行き違ってばかりだけど、……せっかくできた仲間だから、ストームは」
「……そうだね」
「苦しいのは、今だけだよ」
「………澪」
 好き。
 大好き、こんなに好き。
 どうして、なのに、一緒にいられないんだろう。戦争でもなくて、国境もないのに、同じ日本の同じ時代に生きて、どうして。
 何度も未練のようなキスを交わす。
 いつの間にか泣いていて、その頬に手を添えられ、何度も唇で拭われた。
「もう……もどんなきゃ、俺」
「うん、判ってる」
 離れたくないよ。
 離れたくない。
 よく、わんかんないけど。
 なんだか、今離れたら、もう。
「どした?」
初めて、未練がましく澪の身体を抱きとめる真白に、澪が笑いながら見下ろしてくれる。
「へんなこと、思い出しちゃって」
 真白は、突き上げるような悲しみを笑顔で誤魔化して視線を下げた。
「あの人が言ってたんだ、澪」
 ………が好きって本当?
 と、そこは耳元で囁いてあげた。
「ぶっっ」
 と、たちまち澪の端整な顔が、耳まで見事に赤くなる。
「そ、そそ、それ、もしかして信じたわけ?」
「いやぁ、微妙かな、と」
「あ、ありえねーし、信じねぇだろ、普通!」
 ごほごほと咳き込んでから、澪は、真白の額に軽くキスをした。
「まぁ、真白となら、してもいい」
「お断りです」
「いや、ちょっと興味でてきた、今度しよっか」
「いーやっ」
 今度っていつだろう。
 わかんないけど、今は笑っていよう、今は。
 本当は今すぐ、澪の素肌に触れてみたい、でも、澪が帰るというなら、本当にぎりぎり、戻らなければまずい時間なのだろう、きっと。
「また会えるよ」
「……うん」
「絶対会える、俺の携帯のアドレス、メモしてきたから、置いとくし」
「うん、ありがとう」
 最後に玄関で、キスを交わした。
 一度離れて、また未練のように引かれあう。
「……じゃ、」
「うん」
 目が逸らされ、繋がっていた手が離れる。
 するっと扉の隙間から、澪の姿が消えた途端、我慢していたものがこみ上げそうになった。
 ずっとポケットに入れていた携帯が鳴ったのはその時だった。
 着信を見て、真白はあっと声をあげる。
 やばい、彩菜!
 すっかり忘れてたし、私。
「ごめ、」
「真白さん、今出てきちゃだめ!」
 真白の声は、彩菜の悲鳴のような声にかき消された。
「早く気づけばよかったんですけど、裏の坂に、今、すごい数のカメラ持ってる人が集まってるんです!」
―――え……?
「片瀬さん、まだいます?」
 切羽詰った声。
 真白は、咄嗟に、サンダルを履いて飛び出していた。
 澪、―――まだ、今出て行ったばかりだから。
「………!」
 眩しい光が、真白の視界を白く焼いた。
「末永さんですか」
「片瀬さんと交際しているというのは、本当でしょうか」
 なにこれ。
 まぶし、
 何も……何も見えないんだけど、
 フラッシュ、フラッシュ、フラッシュ。
 部屋の前にみっともなく詰まれたゴミの山にも、容赦なくカメラが向けられている。
「あの……すいません」
 顔を手で隠しながら、真白は必死で、先を行ったはずの澪の姿を探す。
 アパートの階段から階下まで、無数のフラッシュが瞬いている。
「片瀬さん!」
「一言コメント御願いします」
「急病で、今日はずっと仕事を休まれてたはずですよね」
「彼女とずっと一緒だったってことですか」
 光の集中している場所は、すぐに判った。
 澪の背中が見える、うつむいたまま、必死に前に進もうとしている。当たり前だが、阻むものはいても、庇ってくれる者は誰もいない。
「あまりにも、無責任だとは思いませんか」
 ひときわ甲高い女の声がよく響いた。
「ファンに対する、最低の裏切り行為ですよね」
 澪――。
 真白は耳を塞いでいた。
「末永さん、お話、いいですか」
「片瀬さん、今日はずっとそちらにいたんでしょうか」
 前にも先にもすすめない。
「ひでぇな、この玄関」
 そんな声も聞こえる。
「ちょっと、なんでもいいから話してくださいよ、あんたも共犯なんだから」
「今日ね、片瀬さんは、社会人として最低なことをしたんですよ」
 誰か、誰か、助けて。
 誰か――澪を助けて。



                17


「会見、中止!」
 プロデューサーが手を上げている。
 丁度マイクを手渡されたばかりだった将は、驚いて顔をあげた。
 意外だったのは、メンバー全員がそうなのか、憂也もまた、いぶかしげな目で将を見る。
―――なんだろう。
 ずっと談笑に包まれていた記者席の空気が、ふいに変わったな、と思ったばかりの時だった。妙にざわついて、1人、2人と会場を駆け出していく記者の姿も目につく。
 同席していた唐沢社長が席を立った時から、何かあったのかな、とは思っていたのだが――。
「では、時間より少し早いですが、これで」
 司会者がそう言った時だった。
「すいません、今入った情報なんですが」
 最前列、ワイドショーの記者が手をあげた。
「申し訳ありません、これで質問は打ち切らせてもらいます」
 舞台袖から、藤堂が前に出てくる。
 わけがわからないまま、将の傍にも他のメンバーの傍にも、マネージャーたちが駆けつけてきた。急かされるように立たされる、まだ、意味もわけも判らない。
「急病だという片瀬さんが、丁度今、大阪で女性と密会している所を発見されたという話はご存知ですか」
 将の前に、マイクがつきつけられた。
―――え……?
 りょうが?
 その質問を皮切りに、場内が一気に騒然とした。
「どういうことなんですか」
「それは、社会人としてやってはいけないことなんじゃないですか」
「ちょっと待ってください、それ、何かの間違いですよ!」
 雅之が、必死にマイクに答えようとしている。
 しかしそれを、背後からマネージャーに押され、引きずられるように袖に連れて行かれる。
「大阪がキー局になっているテレビでは、のきなみ生放送扱いでしたけど」
「一泊デートだとも報じられていますけど、どう思われますか」
「ちょっとストームさん、無責任ですよ、このままじゃ!」
 りょうが。
 どういうことだよ、大阪って、もしかして、あいつ。
 将は頭か混乱したまま、マネージャーに押されるようにして舞台袖に下がる。
 後は、轟音のような記者の声だけが響いていた。



               18


「筋書き以上の結末だな」
 ソファに座る男が苦笑しつつ呟いた。
 テレビでは、凶暴な喧騒が、1人の少年を包み込んでいる。
 かがみこみ、目を伏せ、ただ、押しよせるカメラから逃げようとしている少年を。
 ヒデ&誓也の移籍に伴い、いやがおうでも注目されていたストーム。
 その映像は、翌日、どのワイドショーでもトップニュース扱いだった。普段Jのゴシップを扱わない大手テレビ局も、生中継の記者会見でのハプニング、そしてその同時刻に生で流された映像を無視するわけにはいかなかったのだろう。
「写真でも撮れれば大成功だと思ったが、まさか本人が、仕事を抜けてまで来るとは思わなかったよ」
「風見が呼んだんじゃないですか」
 隣に座る女が口を挟む。
「なかなか動かないから、かなり苛々しましたけど、最後はきちんと、自分の仕事をこなしてくれましたね」
「ま、一応女優志望ということだからな」
 2人の会話を聞いていた真田孔明は、淡く笑って立ち上がった。
―――君と、一番仲のよかった少年だね、将。
 どうだろう、今の気持ちは、君の父親は、こういったとき、必ず怒鳴り込んできたものだが。
「さて、しかし仕上げはこれからだよ、筑紫君」
「わかってますよ」
 黒の皮ジャンに身を包んだ男は、趣味の悪いサングラスを指でおしあげた。
「インターネット上に、彼女の実名も顔写真も公開します。匿名の投稿者を名乗れば、ネットは画像の無法地帯ですからね」
「気の毒ねぇ」
 くすくすと笑いながら女。
 筑紫亮輔の部下で、スクープ記者の大澤恵理香。
 フリーの記者として、いくたのスクープをものにしている敏腕記者である。
「アイドルと散々楽しんだんだ、ま、その程度のペナルティは覚悟の上だろ」
 卓上には、その女の写真がいくつか並べられている。
 片瀬りょうとのツーショット。
 そして、風見瀬名と、その片瀬りょうの写真もある。
 今まで、何枚も撮りだめた写真には、それ一枚で、片瀬りょうのアイドルとしての立場を崩壊させるほどの、きわどいものも含まれている。
 大澤は、かすかに笑いながら、生真面目そうな女子大生の写真を指で弾いた。
「大学生だっけ、もう大学にはいられないわね」
「たいしたことじゃないさ」
「そうね」
 ワイドショーでは、無論、末永真白の顔までは映らなかった。声も変声機で変えられていたが、みずぼらしいアパートの外観と、生ゴミが散乱した玄関の様子は繰り返し流されていた。
 それだけで、「片瀬りょうの彼女」が、とうてい全国のファンには、受け入れがたい存在で――そして、片瀬りょう自身のイメージダウンに繋がったのは確実だ。 
「さて……どう動くかな、唐沢君」
 真田は上機嫌で呟いた。
 会社は守れても、まだ大人になりきれない子供までは手が回るまい。
「……いくらでも、もみ消せばいいさ」
 目的は、スクープではなく、ストームの1人1人を精神的に追い込むことなのだから。
 いくらガードしても、その盾は、隙間だらけなのだよ、唐沢君。
 そしてまだまだ、こちらのカードは、出し切ってはいない。













※この物語は全てフィクションです。



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感想、お待ちしています。♪内容によってはサイト内で掲載することもあります。
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