「娘に謝ってくれ」
誰も悪くない。
「あんた、それでも人間か、それとも売れるためなら、なんだってするのか」
世の中には、持たざる者と持つ者がいる。
力であれ、金であれ、多くを持つものが、勝利者であり、正義だ。
それが、正義だ。
1
「………………」
頭痛がする。
カーテンの木漏れ日が視界を刺す。
唐沢直人は、眉をしかめながら起き上がった。
夕べは少し飲みすぎた。勝利の美酒のつもりが、とんだ二日酔いだ。
妙な夢を見たのは、昨夜、藤堂に忘れていた昔話を引き合いにだされたせいだろう。
「娘に謝ってくれ」
「金じゃないんだ、私が言っているのは、そういうことじゃないんだ」
それでも、倒産間際の零細企業の社長は、慰謝料をもらって引き下がった。
しょせんは金だ。
確かに多少の呵責は感じたものの、別に唐沢は悪いことをしたわけではない。死んだ子供を売名の道具に使ったとして、それが何だというのだろう。
誰も損などしていない。
むしろ、みんなそれで儲かったのだ。
都心にある、3LDKの賃貸マンション。
唐沢は、冷蔵庫から、ミネラルウォーターのボトルを取り出して口をつけた。
家賃だけは高い。が、余計なものが殆どない、がらんとした室内。
使うのは、ベッドと、そして着替えをするためのクローゼットがある部屋くらいだ。
朝食は食べない、その他の食事は全て外。
掃除は、週三回のハウスキーパー。
すでに日本を代表する企業となったJ&Mの社長の住処としては、寂しい限りの内装だが、基本、寝るためにしか自宅に戻らない唐沢にとっては、部屋の程度などどうでもいい。
結婚することは勿論、恋人を持つつもりさえない。
会社を大きくすること、この世界で、誰にも負けない力を持つこと。最初から、唐沢にあるのは、それだけだ。
―――今日は、榊が来るんだったな。
先週からずっと、わざとらしい言い分けで逃げ回っていたJ&Mの顧問弁護士、榊青磁。
ようやく藤堂が捕まえたというわけか、今日は何が何でも、株式譲渡の話をさせてやる。そして、真咲しずくの解任に向けての、下準備だ。
シャワーを浴びるために浴室に向かおうとした時、電話の留守番メッセージが点滅していることに気がついた。
「……………」
昨日か。
よほど酔っていたんだろう、電話にも気づかずに寝てしまうとは。
メッセージ再生ボタンを指で押す。
『直人、……元気か』
「……………」
唐沢は眉をひそめていた。
『最近、顔を見ていないので……心配になってな、元気なら、いいんだ』
先月、監査役を自己都合で退職した父の省吾。今は東京を離れ、横浜の、小さな会計事務所に勤めているという。
どこかおどおどした声は、会議の時と変わらない。
その情けなさに、唐沢は内心舌打ちしたくなる。
負け犬め。
俺は、お前のようには、ならない。
『もうすぐ、母さんの命日だな』
メッセージを切ろうとした唐沢は、そこで手を止めていた。
『毎年、株主総会の準備と重なって、満足に供養もしてやれなかった……直人、今年は、2人で墓参りにいかないか』
「……………………」
唐沢は、無言で、メッセージを遮断した。
振り返るような過去は、俺にはない、何ひとつだ。
電話が鳴ったのはその時だった。
一時眉をしかめた唐沢は、が、その着信の名前を見て即座に受話器をあげる。
「俺だ、どうした」
『すいません、お休み中に』
藤堂戒。
唐沢の腹心である、元ヤクザ。
唐沢は時計を見る。午後七時、こんな時間に藤堂が電話してくるのは、間違いなく何か起きたことを意味している。
『電話すべきかどうか、迷ったのですが』
「とにかく、話せ」
唐沢は苛立って受話器を持ち直した。
2
「悪い、遅くなった」
唐沢は、自らのオフィスの扉を開ける。
「会見は、何時からだ」
「8時の予定です」
藤堂が即座に答える。
「えらい早いな」
あと、数分だ。芸能人の会見としては、異例の時間。
室内には、美波もいた。
六本木、J&М仮設事務所。
秋には、新らしいビルに移転する。現在旧事務所ビルは、取り壊し工事の真っ最中だ。
「……おそらく、東邦プロの妨害工作に、時間を与えないためでしょうね」
呟いたのは、ソファに座ったままの美波涼二だった。
ここにいる、美波、藤堂、そして唐沢。
近年のJ&Mの重要方針は、ほぼこの三人で決めている。
「会見の速報が入ったのも、午前四時、マスコミ各社にファックスで、という念の入れようでしたから」
「何故東邦が邪魔をする」
唐沢は、目をすがめながら聞く。
「それほど、売れているのか、この曲が」
「いえ、それが全く売れてはいないんです」
藤堂。
「どういう意味だ」
「CD化されていないからです、これまで、正確な著作者が一切不明だったので」
「………ふん」
「ゆえに、有線にリクエストが殺到しています、今週に入って、はじめてトップ3に入りました」
「…………………」
「ブログをはじめとするネット上での注目度はナンバー1、おそらく今週あたりから、音楽情報誌では、一斉に特集が組まれるでしょう」
「…………………」
有線チャートは、ノーチェックだ。無論、その曲がオリコンランキングに、一切あがっていなかったというのもある。
「……君のいる世界か」
藤堂の差し出した資料を見て、唐沢は呟く。
同時に、全く正体の判らない、わずかな不安をも感じていた。
どこかで聞いた。
なんだろう、俺は、この曲のタイトルを、どこかで、聞いたことが……ある?
―――いや、気のせいだ、よくある、どこにでもあるタイトルだ。
それだけのことじゃないか。
「で、その作曲家が、今日の8時から会見を行なうわけか」
「そうです、サンライズテレビの特設スタジオで」
「………サンラライズ、ね」
唐沢は苦く呟く。なるほど、それで東邦の横槍か。
Jの一件以来、音楽業界と完全に袂をわかった感のあるサンライズテレビは、今や、業界のタブーを破り放題である。
おそらく、J&Mだけでなく、大手東邦、アーベックスにとっても、煙たい存在になりつつある。
「内々の情報ですが」
美波がそこで、口を挟んだ。
「君がいる世界の作曲家は、元東邦所属のアーティストではないか、という情報も入っています。というのも、この件に関して、かなり早い段階から東邦の情報管理部が動いている」
「どういう意味だ」
「まだ、世間的に、全くノーチェックだった次期から、東邦は、この曲を書いたアーティストを探そうと躍起になっていた、ということです」
「………………」
東邦が。
何故だ?
こういった新人の発掘を、東邦が熱心にやるとは思えない。
しかも、情報管理部だ。あの会社で、会長でもある真田孔明の命を時下に受けて動く唯一の部署。
「謎のアーティストが、おそらく、東邦に先んじた形で自身の立場を公表する。今の業界で、その会見をバックアップできるのは、サンラライズテレビくらいでしょうが」
「………………」
唐沢は無言で、再度手元の資料を見る。
「ST featuring takeshi、か」
唐沢の知る限り、ストームの新曲、奇蹟の楽曲提供者でもある。
だから藤堂は、早朝、念のために電話してきたのである。
唐沢は眉を寄せて爪を噛む。
ここにきて、この会見か。
これは、何かの意図だろうか、それとも単なる偶然だろうか。
「この会見で、ストームの曲が売れる可能性は、どうだ」
「多少は……しかし」
美波は、そこで、言葉を濁した。
「……君がいる世界と、奇蹟とでは、曲のタイプがまるで違う。君がいる世界は、アーティスト云々より、むしろ、楽曲の良さで人気が出たものです。話題にはなるでしょうが、即座にストームの売り上げに繋がることはないと思いますね」
「この会見で、一体誰が出てくるか、にもよるでしょう」
藤堂が、乾いた口調で言って、テレビをつけた。
サンライズ、朝の情報番組。
番組は中盤、エンターテイメントの売れ筋ランキングコーナーをやっている。 唐沢は時計を見る。8時まであと、2分。
「ではここで、最近有線で話題になっている曲をお届けしましょう」
アナウンサーの声と共に、静かなピアノのメロディが、流れ出す。
「…………社長?」
「いや、なんでもない」
この胸苦しさはなんだろう。唐沢は苛立って立ち上がり、窓を開ける。
聞いたことのない曲だ、そして聞いたことのない歌声。
なのに、心のどこかで確信している、俺は、この曲を聴いている、知っている、子供の頃だ、俺がまだ随分小さかった頃。
「いい曲ですねー」
「なんか、じんときちゃいます」
「そういえば、有線で時々聴きましたよ」
おためごかしか本気なのか、スタジオのキャスターが、そう言って頷きあっている。
「この曲はですね、ST featuring takeshiさんと言う方が、作詞、作曲、ボーカルの全てなされているんですが、先月の初め、ラジオ局の東京ベイスタジオに、その代理人と名乗る男性が、一本のデモテープを持ってきたことが、そもそもの始まりだったんですね」
「何か、謎に包まれてますねー」
「ラジオで、曲を流したのが、このヒットの始まりだったんですから、すごいですよ、だって、たった一回のオンエアで、ですよ」
「さて、業界では、大きな仕掛け人がいるはずだと噂されている、このST featuring takeshiさん。ようやくその謎のベールが開かれる時がきたようです」
画面下に。
ST featuring takeshi生出演
というロゴが出る。
アナウンサーが、やや興奮気味の表情でカメラに向き直った。
「当サンライズテレビの、単独インタビューになります。念のため申し上げますが、これはリアルタイム映像です。じゃ、映像、いってください」
3
「……………」
真田孔明は、唇に指をあて、眉をしかめた。
赤坂、東邦EMG本社ビル。
真田のオフィスには、今、営業部長と、情報部長が雁首を揃えて、8時から始まった異例の会見を見守っている。
なるほど。
こういうサプライズか。
これは、有り得ない、というより、どうしても探し出せなかったはずだ。
「まさか……彼が、そうとは」
さしもの情報部長も、顔色をなくしている。
―――しかし、この男は黒幕じゃない。
真田は、無言で目をすがめる。
影で、絶対糸を引いた人間がいる。
でなければ、あの曲が、こんな形で表に出るはずはないからだ。
―――いっそのこと、盗作で訴えるか。
これは、貴様の曲ではない。俺の最愛の男が作った曲だと。
真田は燃える目で、カメラに写る男を睨む。
なんにしろ、許しはしない。
静馬の全ては、今でも俺のものだからだ。
「バックを調べろ、大至急だ」
真田は、背後の2人に指示を飛ばした。
「それから、地下のあるハリケーンズのフィルム、テープを全てチェックしろ、SHIZUMAのデモテープも含め、全てだ。これと酷似した曲がないか、徹底的に、探しだせ」
それにしても、解せない。
静かになった室内で、真田はテレビの男を見る。
黒幕がいるにしろ、そんな糸に、簡単に絡まる男ではないはずだ。
今、カメラの前で、彼にとっては死ぬほど苦手なインタビューに無愛想に答えている男は。
4
「RENか……!」
唐沢直人は、そう呟いたきり、絶句した。
会見が始まって、しばらくたってもなお、その衝撃は戻らなかった。
REN。
Jポップが生んだ、至上最強のラップアーティストと呼ばれている。
それまでマイナーで、どちらかと言えば日本人には敬遠されていたラップを、見事、Jポップと融合させ、今や、若年世代にも絶大な人気を誇っているアーティスト。
「まさか……REN、とは」
さしもの美波も呆然と呟いている。
先月のTAミュージックアワード、それに先駆けて起きたJの看板、緋川拓海との全国放送されたアクシデント。
その騒ぎも収まらぬ間に、東邦を独立したRENは、今や、その東邦の圧力により、大規模コンサートはおろか、新曲発売もままならないと聞いている。
「これは……俺の曲というより、ある恩人から、いただいたテープを元に、俺がアレンジしたものなんで、」
聞き取りにくい声だったが、この男でも喋るのか、と言う程度には、RENはよく喋っていた。それも、ファンからすれば衝撃の映像だったろう。
「では、最初からCDにする気は、なかったということですか」
それでも、基本的に喋ることが好きではないのか、大抵のことは頷くだけで済ませている。
「タケシというのは」
「俺の本名です」
「では、stというのが、元の楽曲者のお名前ですか」
「……そうです、まぁ、そんな感じです」
st、誰だろう、その頭文字を唐沢は頭で思い浮かべる、S……まさかな、しかしTはあの男の苗字ではない。
「この曲はRENさんが歌ってらっしゃるんです……よね」
インタビュアーの一見失礼な質問にも、RENは、無愛想に頷いた。
が、むしろ、ファンが驚愕した部分はそこだろう。
RENが、ラップの全くないバラードを歌った。
おそらく、初めて。
その生の肉声は、まるで十代の少年のように伸びやかで、時に老成した大人のように熟している。いつものRENの声と、似ているようでまるで違う声音。
「何故、ラジオ局への持込み、という手段を考えられたんでしょうか」
「……この曲のオリジナルの作曲者は、俺が、この世界を志したきっかけみたいな人なんですが」
RENは、ほとんど表情を変えず、とつとつと続ける。
「不運にも、今では、彼の楽曲の殆どが忘れられています。版権を押さえられてる関係もあって、表に出せないみたいなんで、それは、とても残念なことだと思っています」
SHIZUMAだ、間違いない。唐沢はようやく確信した。これは、静馬のことを言っているのだ。
では、Tは……Tに、さほど意味はないのだろうか。
「それにしても、随分思い切ったことを言いますね」
藤堂が、眉をしかめながら、うめいた。
「これは、実質、RENの、東邦への宣戦布告に等しいでしょう」
確かにそうだ。今でさえRENは活動の場が制限されているのに、である。
しかし、唐沢にとって、本当の衝撃はここからだった。
「ST featuring takeshiさんの楽曲は、もう一つあるそうですね」
「はい」
「現在、ゲームのタイアップソングとして毎日のように流れている曲が、そうですね」
「そうです、ストームさんが歌っている、奇蹟、という曲がそれです」
やられた。
唐沢は立ち上がった。
まさか、ここでそれを出してくるとは思わなかった。サンライズテレビが、間違ってもJの売り上げに貢献するような発言をさせるはずがない、と。
「では、その曲の一部を聴いてみましょう、REN……さんではなく、タケシさんも、コーラスで参加しておられるんですね」
「はい」
「聞いているか」
唐沢は美波を振り返る。
美波は、無言で、首を横に振る。
デスクの電話が鳴る。「私が」と、唐沢を制してそれに出たのは藤堂だった。
ストームの曲が流れている。流れている以上、うちの人間が、それを許可したということだ。
真咲、しずく。
―――しかし、判らない。これはどういうサプライズだ。
唐沢はうめいて爪を噛む。
もう勝負はついているのに、何のための話題づくりだ。
「……そうですか、判りました、社長には私が伝えます」
そう言って電話を切った藤堂が振り返る。
「営業部からです」
「なんだ、言ってみろ」
「今日の2時から、柏葉と片瀬が、お台場のステージでイベントを行うそうです」
「………何のための、イベントだ」
新藤め。
とことん、俺を裏切るつもりか。
「エフがキー局になっている嵐の十字架が、急きょDVD発売決定になったそうです」
「片瀬はなんだ」
「今年の舞台が、同じくDVD化されるとのことです」
「舞台だと?あのマイナーなアングラが?」
「もう一つあります」
続ける藤堂の表情にも、明らかな驚きが滲んでいた。
「ジャパンテレビで、今日ミラクルマンセイバー映画化の記者会見があるそうです」
「知っている、それで?」
「主題歌に、奇蹟ストームバージョンを起用するということで、4時の会見に、ストーム全員が出席します」
それが、どうして、
唐沢は、眩暈を感じて、それを拳で誤魔化した。
「それが、どうして今日なんだ!!」
何故今日だ。なんのためのサプライズだ。
そんなコマがあるなら、何故今まで使わない。
一体、何の――
唐沢は、動きを止めて目を見開いた。
「…………………」
わかった。
「最初から、」
あの、女。
「最初から、初動売り上げは、捨てていたのか」
やられた。
やりやがった、あの女。
「美波、判っている範囲でいい、ストームのプロモの予定をすぐに確認して取り寄せろ」
「判りました」
美波は、即座に退室する。
確かにそうだ、ヒデ&誓也に勝って一位を取れと俺は言った。そこに、三週連続だとかいう有り得ない条件を足したのは、あのバカ女だったはずだ。
一位を取るのは、第一週でなくても、かまわない。
しかし、二週目以降で一位を取れる確率など、あの時点では有り得なかった。
なにしろ相手はアーベックスの宇佐田ヒカル、ヒデ&誓也の二週連続さえ、唐沢はとうに諦めているほどだ。
「これです、正確ではありませんが」
戻ってきた美波の差し出したペーパーを、唐沢、藤堂が覗き込む。
「ただのド素人だと思っていましたが…」
藤堂が、うめくように呟いた。
「なるほど、全ての照準が、ここに合わされていたと思えば、納得がいく」
来週火曜。
ストームの新曲発売から、第二週目のウィークリーオリコンチャート。
「これは……アーベックスとの、新しい火種になりますね」
「アーベックスは新参だ、しょせん、永遠に業界三位の会社にすぎない」
美波の杞憂を唐沢は激しい感情で一蹴した。
「ヒデのプロモを至急練り直せ、ストームの一位を死んでも阻止しろ!どんな手を使っても構わん」
それは、暗にサクラ、つまり購買員を使えということを意味する。
「わかりました」
全てを了解したのか、藤堂がゆっくりと立ち上がる。
「くそっ」
俺としたことが。
唐沢は苛立って机を叩く。
完全に出し抜かれた。素人だとたかを括っていたのが失敗だった。ここで一位を取らせれば、少なくとも解任の理由は成り立たない。
あの、――女め!
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