PM 21:15 台場 エフテレビ




「雅、携帯鳴ってるぜ」
 エフテレビの出演者控え室。
 収録を終えた雅之が戻ると、先に帰っていたとばかり思っていた憂也が、そう声をかけてくれた。
 東京ビックサイト、あまりの混雑のひどさに、結局は全員がヘリでエフテレまで移動し、そこで随時解散、もしくは次の仕事に移動になったはずだった。
 憂也は、畳敷きの控え室、そこで寝そべって雑誌か何かを読んでいる。
「あ、ああ、サンキュ」
 雅之は、慌てて鞄を置いてあるテーブルに向かう。
 しかし、手を伸ばした直前、着信音は切れた。
―――流川かな、今日は遅くまでバイトだっつってたけど。
 そんなことを思いながら、携帯を取り出そうとすると、
「そろそろまともに帰れるかな、イタちゃんが迎えに来るから、ここで待っとけって言われたんだけどさ」
 憂也が、髪をかきあげながら起き上がる気配がする。
「他の奴らは?」
「将君は、エフのスタッフに呼ばれて打ち合わせ、りょうと聡は、さっさとタクシーで帰ったよ」
「そっか」
 お前は、なんで残ってんだよ。
 そう聞きかけて、やめた。
 最近、憂也との間に、妙な壁を感じてしまっている。
 理由は、判るようで判らない。それが気のせいであればいいと思うし、一過性のものであればいいと思う。だから、口には出したくない。
 出せば――もう、元には戻れないような気がするから。
「将君、何の打ち合わせだろ」
 とりあえず、鏡の前に座った雅之は、撮影用の化粧を、ホットタオルでこすって落す。
「あれじゃない?エフといえば、嵐の十字架、確か金曜が最終回だったと思うけど」
「俺、ビデオ撮ってるよ」
「じゃ、将君サカナにみんなで観るか」
 憂也の声が笑っている。
 雅之は、ようやくほっとした。
 そうだよな。
 憂也はいつもの憂也だ、きっと。
 あんま、プロモがきつすぎたのと、置かれた状況が状況だったから、少し疲れて、イライラしていたんだろう。
「オンエア、観てたよ、モニターで」
 立ち上がった憂也が、窓の夜を見ながら言った。
「そっか?」
「CМも観た、仕上がり観たのは初めてだったけど、かなりいい出来だったと思う」
「だって、すげぇ、金も時間もかかってるもん、あれ」
 撮影の過酷さを思い出し、思わず雅之は眉を上げている。
 まず、メイクと衣装、そして髪のセットで約六時間。
 その後、グリーンバックの前で個別撮影。
 全員が、一時間で殺陣のふりを覚えさせられ、有無を言わさずロープでつるし上げられてのワイヤーアクションだった。
 聡だけは慣れていたようだが、残るメンバーには何もかも初めてで、結局、何度も撮りなおし。それが、二日続いたのである。
「ま、楽しかったよ、みんなかっこよかったし、りょうは怖いくらい色気あったし」
 憂也はそう言って、横顔だけで笑う。
 CМ撮影では、ゲームのキャラを、そのままストームが紛争して演じたわけだが、確かにりょうのそれは、間違いなくはまり役だった。
 男か女か判らない美貌の騎士、という設定で、扮装を解いた後も、妙にりょうが女っぽく見えたのを、雅之もよく覚えている。
「要はあれがPVなんだ、判ったよ、真咲さんがわざわざPVを撮らなかった理由」
「でも、あれ、もろ、ゲームのCМだろ」
「ゲームも欲しくなる、でも、俺たちのことも、欲しくなる」
 憂也の言い方に、雅之は思わず吹き出している。
「あれはそういうCМなのさ」
 しかし、憂也の目は、わずかも笑ってはいなかった。
「……でも、それ、結局、何も意味もないだろ」
 雅之も、笑いを消して呟いた。
 今日の夕方6時で、オリコンの集計は締め切られた、いや、それ以前に、とっくに勝負はついている。
 ずっと抑えていた憤りがこみあげ、雅之は憂也から目をそらしていた。
「お前だって、あんな真似までしたのに……つか、正直、びっくりしたし、憂也がそこまでやるとは思わなかったよ」
「マックのコスプレ?なんで?普通に楽しかったよ、俺」
「ま、楽しそうではあったけどさ」
 アニメ番組のイベントに、急きょ出演した憂也。
 雅之はモニターで見ていたが、憂也は、ほとんどコンサートのノリで、一部ブーイングも、見事に歓声に変えさせていた。憂也ならではの間の取り方と絶妙なトーク、最後は、会場の殆どから黄色い声援を浴びていたように思う。
「つか、最近やっと、あの人の思惑みたいなものが見えてきたからさ、俺」
 憂也は呟き、窓に自分の背を預ける。
 あの人。
「それ、真咲さんのことかよ、もしかして」
 雅之は、逆に眉をひそめていた。
「……俺は、悪いけど、なんだかよくわかんなくなったよ」
 前からいまいちわかんなかったけど。
「解散のリーク、あれ流したの、どうせ真咲さんなんだろ。ああいうことは、せめて俺たちには、事前に一言あったっていいじゃないか」
 あまりにも一気に、そして計画的に出回ったリーク。
 唐沢社長、でなきゃ、間違いなく真咲さんのしたことだ。
 少なくとも、将はそれを確信しているようで、最近、ますます無言で怒りを募らせている。
「………………」
 憂也は、無言のまま、何も言わない。
 妙なほど、その目色は静かだった。それを不思議に思いながら、雅之は続けた。
「将君の言ってた、俺らの曲作った人のことだってそうだよ。俺らに任せてるようなこと言いながら、結局肝心な部分は、あの人一人で決めてるんだ」
「それがどうしたよ」
 忘れていた携帯を、鞄から出そうとした雅之は、その冷たい言葉に顔を上げる。
 憂也の眼差しは、雅之を見てはいなかった。
 ただ、どこか冷めた声だけが、まるで憂也ではない、別の男のような横顔から聞こえた。
「真咲さんの仕事は、俺らの曲を売ることだよ、俺らをプロモーションすること。誤解すんなよ、雅、友達でも学校の先生でもないんだぜ」
「………俺は、別に」
 そういう意味じゃ、それに、そんな言い方をしなくても。
「確かに、解散リークはフライングだったかもしれないけどさ」
 憂也はかすかに笑って、はじめて真っ直ぐ雅之を見た。
「どのみち、遅かれ早かれ、真咲さんがそれに踏み切ると思ってたんだよね。だって、そうでもしないと、絶対に勝ち目なんてねぇじゃん、俺たち」
「………まぁ、そりゃ」
 雅之は口ごもる。
 それは、楽観しすぎだと言われればその通りだが、絶対勝ち目がないなんて、多分、誰も思っていなかったと、……そう反論したいのに、それが口から出てこない。
「だから、俺がリークしたんだ、ま、今の時点では、それも焼け石に水だったけどね」
「……………………」
 しばらく考えていた雅之は、ようやく、その言葉の意味を理解した。
 だから、俺がリークしたんだ。
 だから、俺が。
 じゃあ、
―――じゃあ、じゃあ、あれは、真咲さんがしたことじゃなくて、
「憂也、それは」
「初めて兄貴に頭下げたよ、高い借りになっちまった」
「おい、憂也、」
「雅、この際だから、はっきり言っとくけどさ」
 憂也は冷たい目で、雅之の言葉を遮る。
 雅之も、さすがにその刹那、頭に血が上っていた。
「待てよ、憂也、その前にちゃんと理由聞かせろよ、だって、あれは俺たちが」
 みんなで、決めた。
 同情なんかに頼るんじゃなくて。
 俺たちらしいプロモにしようって。
「勝つためだよ!」
 憂也は、激しく言い放ち、強い目で雅之を見上げた。
「将君が甘すぎるからさ」
「………………」
 呆然と立つ雅之は、まだ、この言葉が、憂也の口から出たことが信じられずにいた。
「雅、わかってんのか、ここで負けたら、そもそも俺たち後がねぇんだ」
 憂也の拳が、壁を叩く。
 強い音、それはそのまま、ここ数日間の、憂也の苛立ちの全てのような気がした。
「とりあえず、勝って」
 何かを振り切るような、掠れた声。
「先に進むしかねぇんだよ!」





PM 21:50 千葉市 Generosityホスピタル


「ほんと、すいません、ご飯までご馳走になっちゃって」
 車を降りた凪は、運転席から降りる人に、丁寧に一礼する。
「いいのよ、可愛い息子のガールフレンドだもの」
「いや、だからそれ、すごい誤解なんですけど」
 そう言っても、細面の綺麗な人は、くすくすと笑うだけだった。
 車から降りて、キーを煌かせる女。
 病院長、そしてドクター、四十後半にはとても見えない、清楚で、理知的な女性である。
 海堂倫。
 あの碧人とミサの母親。
 凪より頭ひとつ長身の女は、横顔など、あの嫌味な碧人そっくりで、こうしてみると、碧人が母親似、そして悪いが、ミサは父親似だとはっきり判る。
「でも、いいの?家まで送ってあげたのに」
「あ、バイクないと、通学にも不便なんで」
 車を降りた途端、海の匂い、そして潮騒の音が響いてくる。
 夜風が冷たかった。
 月が、暗い水面に乱反射している。
「………いいとこですね、ここ」
 凪は、海岸沿いの傾斜に、せり出しているように立てられた建物を見上げる。
 Generosityホスピタル。
 ここにいる海堂倫が、父親から引き継いだ病院である。いや、病院、というより。
「そうね、人生の最後の場所としては、最高よ」
 終末医療。
 ここに入院しているのは、すでに帰る見込みのない人たちばかりだ。
「院長は、ご自宅には、戻られないんですか」
「今夜は泊まり、週に二回は戻ってるのよ」
「……そ、そうですか」
 週二って……そりゃ、いくらなんでも少なすぎるような気もしなくもない。
「ご主人とは、会ったりなさってるんですか」
「うーん、月一会えたらいい方、向こうも私も仕事にのめりこむタイプだから」
 駐車場から続く階段を上がって、事務室がある建物に向かう。患者が入院している施設とは別棟にあり、そこの2階が、倫のプライベートルームでもある。
 その部屋に、凪は自分の荷物を置いているから、倫の後について階段を上がる。
 今日は、例の付き添いのバイトの日で、終了後帰宅間際に、院長の倫に食事に誘われた。
 碧人とミサの話を色々聞きたいようだった倫の誘いを、無論、凪には断れない。
「きっと似たもの夫婦なのね、子供には悪いといつも思ってるんだけど」
 部屋の鍵を開けながら、倫が続けた。
 まあ、そこは、凪が口を出すようなところではない。
「ご主人とは、……その、恋愛、とかだったんですか」
 凪にはどうも、前原大成のキャラとこの奥さんのキャラが被らない。
 あけっぴろげでひたすら前向きの前原に、知的でクールで、どこか冷めていそうな妻。
「うん、そうね……どうかしら、そうね」
 倫は、微妙に言葉を濁して、自室のソファに腰を下ろした。
「最初は、全然だったのよね」
「はぁ」
「うちの病院で、私も研修医、彼も研修医、その中でも一番かっこ悪くて、ダサッて感じなのが、あの人」
「そ、そうなんですか」
「当時、私、目茶苦茶遊んでたからね、ディスコに顔パスで入れないような男なんて、そもそも人間じゃないと思ってたし」
「………………」
 知的でクール……な、イメージががらがらと崩れていく。
 そっか、やはりこの人は碧人の母親だ。間違いなく、性質までもよく似ている。
「それが、どうしてかなー……なにかと一緒になったのよね、意味もないのに、街中でばったり出会ったり、当直の日が一緒だったり、ホント、何も意味ないのに」
 運命、だったのかな。
 凪は、ふと、そんなことを考えている。
 ちょっと乙女な想像だけど、あの見た目はさほどかっこよくない前原さんが、多分、相当な美人だった倫さん相手に、一体どういう態度を取っていたのだろう。
「研修も最後で、そうそう、あの日は雨で……彼、よその病院に移ることになったのよね。私的には、やっと、このうっとおしい男とおさらばだってほっとしてたはずなんだけど」
 そこで、倫は言葉を切る。
「背中、かな」
「……背中、ですか」
 凪は思わず聞きかえす。
「そ、最後の宿直の夜だったのね、私仮眠がすぎて、コールに気づかなくて、急いで診療室に走っていったの」
 倫は、綺麗な目をわずかにすがめた。
「手術室でさ、彼が1人で、怪我した患者の傷の縫合やってたの。その背中見た時、あっ、て思っちゃった、信じられないけど、私、こいつのことが好きだったんだって」
「…………………」
「それが運のつきよ」
 肩をすくめて笑う倫は、けれど、いつもよりひどく綺麗に見えた。
―――背中、……かぁ。
 食事の礼を言って倫の部屋を出た凪は、先ほどの言葉を反芻しながら、駐車場に続く階段を降りる。
 その感覚はよく判らない。
 背中、もいいけど、やっぱ、正面かな、とも思うし。
 やっぱ、そういうの、でも運命なんだろうな。
 凪の胸には、まだ、先日島根の温泉に言った時の、亜佐美の言葉が色濃く残っている。
―――恋愛中毒、か。
 恋が、結局感情のもたらす錯覚だったら、一体何を信じたらいいんだろう。
 胸がぎゅーっとなって、星がきらきら瞬いて。
 そういうキスした相手が、あいつ1人だったら、そもそもこんなに考えなくてもよかったのに。
―――で、思いっきり平手入れちゃったし、私。
 あの夜。
 向こうも平謝りだったが、凪も平謝りだった。
 いや、むしろ謝るのは自分の方だと思ったのに、雅之は、かなり落ち込んでいたように見えた。自身のとった行動に対して。
(俺……ちょっと不安になってて)
 その後、花火の時に、ようやく仲直りして打ち明けられた。
(流川には責任ないよ、俺が……俺の気持ちに不安になった、それだけだから)
 どういう意味だろう。
 その時は、よく判らなかったけど、自宅に帰ってから気がついた。
 雅之は、多分、なんらかの形で、これから昔の恋人に連絡を取るのだろう。
 どういう方法かは知らないけど、……これから、2人は時々会ったり話したりするようになるのかもしれない。
 だから。
―――つか、なんだって、あんなにバカ正直なんだろう。
 私までも不安になる。
 離れてて、最近は電話にも出てもらえなくて――どんどん、遠くに行ってしまうようで、それでなくても心細いのに。
 潮騒の音と、海の匂い。
 階段を降りた凪は、足を止めていた。
 空っぽだったはずの来客用駐車場、そこに止められている、見覚えのある車種。
 その傍らにたたずみ、海の方を見つめている男の後ろ姿。
 凪は、ぎゅっと胸が締め付けられるのを感じていた。
 背中。
 運命――。
 その人のシルエットが、凪の気配に気づいたのか、振り返る。
 そして、驚いたように綺麗な目が見開かれる。
 やっと会えた。
 眠り姫の王子様。
 こんな運命、
 それともこれは、偶然だろうか。
 判っている。その背中は、決して私の運命じゃない。
 それでも凪は動けないまま、月明かりよりも美貌の男を、黙って見つめ続けていた。




PM 22:13
静岡県掛川市 レコードショップ「makimoto」


「はい、ストームの奇蹟ですか、ただ今入荷待ちの状況でして、……ええ、火曜の午後には届きます、ご予約でよろしいですか」
 どうなってんだ。
 電話を置いた牧本大悟は、あらためて首をひねった。9時を少し回った頃から、店にかかり始めた同じ内容の電話。
 閉店の十時をすぎても、その勢いは止まらない。
「おいおい、冗談だろ」
 手元の予約表を見た牧本は、思わず口に出して呟いている。
 発売は先週だ。
 販売二週目で、予約の電話が相次ぐなんて、常識では考えられない。
 ダメ元で、出荷元に急ぎ電話をしたところ、今夜の予約分なら、火曜には届けられると即答された。それもまた、考えられない。ヒデ&誓也ほどではないにしろ、ストームの奇蹟も売れに売れた。もともと出荷量が少ないから、第一週で、初回分はほとんど売りつくしたはずだ。
 しかも、この小売でこれだけの予約が入るのだから、大手ではもっとだろう。
 普通は「入荷時期未定」と釘を刺される場面である。
「お父さん!」
 二階の自宅から、娘がばたばたと駆け下りてきた。
 遅い時間に、東京から戻ったばかりの高校生は、父親には我慢できない程度のメイクまでしている。
「ストームの奇蹟、まだある?」
 娘は、一度も手伝ったことのない店内を無遠慮に見回す。
「ない、入荷待ちだ」
「じゃ、予約」
「なんだ、友達はまだ買ってないのか」
「そうじゃなくて、私の」
「………?」
 え?だってアニメオタクで、アイドルを拒否していたはずの……。
 驚く大悟の傍らで、また電話。
「はい、レコードショップ「makimoto」でございます」
 まただ。
 わけがわからない。今日の9時まで、ストームのスの字もなかったはずなのに。
「……一体、何が起きてるんだ」
 電話を置いた大悟は、呟く。
「あっ、このポスターはがしてくれたんだ」
 娘の嬉々とした声が、大悟を現実に引き戻した。
「ありがと、もらってくね」
 その娘の腕を、咄嗟に掴んで引き止めていた。
「だめだ」
「えーっ」
 これは、もしかしなくても。
 大変なことが起きるかもしれない。
 大悟は、ヒデ&誓也のポスターを剥がし、その代わりに、娘から取り戻したポスターを再度貼り付けた。
―――奇蹟
 いいタイトルだ。
 これは、もしかするともしかする。
 久し振りに、面白い見世物が見られるかもしれない。











この物語は全てフィクションです。現実の個人、団体とは一切関係ありません。

act5 終


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