3


 
「……君に届けたいものがあるんだ、それが判らないから歌い続ける、」
 そこまで口ずさみ、真咲真治は片手で目を覆った。
「…………」
 ずっと――もう何年も堪えていたものが、初めて目の奥にこみ上げてくる。
 この先の講堂で、初めて5人で楽器を持って集まった。
 施設育ちの慶と静馬。
 この近くの小学校で、ガキ大将だった古尾谷平蔵。
 平蔵が静馬と大ゲンカをして、その応援に駆けつけた真治が、何故か静馬と意気投合した。
 唐沢省吾は平蔵の弟分で――そこからはじまった、5人の奇妙で不思議な友情。
(真公、おめぇ、ピアノできんのか)
(俺、歌がやりてぇんだ、世界中に、俺の歌声を聞かせてやりてぇんだよ)
(俺はさ、百年に一人の天才だから)
 短絡的なまでに喜怒哀楽が激しく、大言壮語で、妄想癖のある静馬は、しょっちょう大きいことを言っては、周りを驚かせていたが、実際、彼が中学に入ってすぐに作った曲は、4人の魂を震撼させた。
「俺の夢は、静馬を世界一のスターにすることだ」
 そう言っていたのは、最初から弟の才能を信じていた、静馬の兄、慶。
 2人は、一つの幹から分かれたかと思うほどに仲のいい兄弟だった。
 慶も静馬も、とにかくもてた。
 両親のどちらに似たのか、すずしげな目元、男らしい唇、女性をひきつける魅力的な顔を持つ2人は、施設でも、学校でも、どこでも女たちの注目の的だった。
 慶はそこそこ遊んでいたが、静馬はその点、頑なまでに律儀というか、ずっと一人の女性を想い続けていたようだ。
 同じ施設で育った少女で――今はどこで、どうしているのか知らないが。
「…………………」
 真治は目をすがめる。視界がわずかに歪んでいた。
 楽しかった。
 学校から盗んだ楽器を持ち寄り、5人で夜中まで、わけもわからずに音を合わせた。
 バカなことばかりやったが、最高に幸せな毎日だった。
「真ちゃん……」
 気がつけば、平蔵が隣に立っている。
「ほっといてくれ」
 真治は唇をかみ締め、人生で、多分、一番輝いていた頃を思い出していた。
 5人で暮らした四畳半。
 貧乏で、空腹で。
 でも、夢だけで腹いっぱいだった日々。 
 喧嘩して、怒って、泣いて、笑って、でも最後には抱きしめあった。
 濃密な青春、もう、絶対に戻らない昨日。
「君がいる世界」
 平蔵が低く呟いた。
「静馬の歌じゃ、俺はあれが一番好きだったな」
 デビューする少し前。
 この施設で、世話になった女性職員が出産のために退職するのを祝い、プレゼントした曲だ。
 もう、人様にあげちまった曲だ、静馬はそう言い、コンサートでも一切歌わず、レコード化にも首を縦に振らなかった。
 が、全員が気に入っていて、この施設でするチャリティコンサートでは絶対に歌っていた曲。
「いい曲だよ、まだ静馬は十代だった。どうやったら、あんな若さでああいう詩が書けるんだろうな」
「青臭い詩だけどな」
 なんのために歌うんだ。
 そう聞くと、静馬の答えはいつも明快だった。
 歌は人を最高にするのさ
 俺は、俺も最高になって、人も最高にしたいんだよ、
 歌は、世界を変える奇跡なんだよ、真、
「……うだつのあがらないドサ回り生活だったけど、今思うと、あの頃が一番楽しかったよなぁ」
 真治が黙っていると、平蔵は、空を見上げながらぼんやりと呟いた。
 この曲を作った頃は、デモテープもコンテストもことごとく落選し、飲み屋や宴会場を中心に回っていた極貧の日々だった。
 が、たまたま知人のつてで、東邦プロダクションという大手事務所が主催するロックフェスティバル、その前哨として出られることになったのである。
 いわば、開演前の場つなぎのような出番である。客席はまばらで、無名の若手の歌など、誰も本気で聞いてはいない。
 しかし、静馬は、
「きけーーーーーっっっ」
 浮かれていた客席を一括した。目の覚めるような声だった。
 そしてその日、「ハリケーンズ」の運命は変わった。真田孔明という、当時東邦の営業部長をしていた一人の男との出会いによって。
「……あんな男に、気に入られたばかりに」
 みけんに皺を刻んで呟く平蔵に、
「見る目は確かだぜ、静馬の天才を見抜けたのは、あの男だけだ」
 真治は、苦く笑んでそう言った。
 真田孔明。
 初めて大観衆を前に演奏をした後の興奮の楽屋に、彼は一人、訪ねてきた。
 ひどく背の高い男だった。まるで僧侶のような理知的な額、凛々しい鼻梁、澄んだ眼差し。言葉遣いも丁寧で、柔らかい物腰は、大手事務所の部長職という権威を一欠けらも感じさせない。  
 しかし彼が笑った瞬間、真治は背中に水を浴びせられたような酷薄さを、一瞬ではあるが、確かに感じた。
 その印象は、随分親しくなってからも当分変わらず、「真田のおっさんは、笑うと怖い」と、真治はずっと言い続けてきた記憶がある。
 真田孔明のプロデュースにより、三人になった「ハリケーンズ」は東邦からデビューを飾った。無論、外された二人に葛藤はあったろうが、裏方に回りたいというのは、古尾谷も唐沢も将来的な希望として持っていたため、比較的すんなりと乗り越えることが出来た。
 静馬の才能は本物だった。
 そして、真田のプロデュース力も、またひとつの天才だった。
 静馬と真田。
 2人はタッグのような連携を持って、「ハリケーンズ」をスターダムに押し上げた。
 が、人気が頂点に達した頃から、2人の言い争いが絶えなくなった。
 過密すぎるスケジュール、寝る時以外に私生活など一秒もない日々、求められる「売れる」曲づくり。挙句の――ゴースト。
 三十歳の真田は二十歳の静馬を溺愛し、あたかも自分の所有物のように囲い、静馬の望みは全て却下する代わりに、自分の望みは全て押し付けた。
「独立したい」
 デビューして三年。
 静馬の要求は最もで、全員がそれに賛同した。
 ゴーストライターの存在が、静馬の「盗作」としてスクープされ、マスコミと派手な喧嘩をしたのは、その最中である。
 静馬の才能は本物だった。
 本物ゆえに――脆弱すぎた。彼は、当時、まだ二十歳を超えたばかりで、他の何に耐えられても、自らの才能を「盗作」と決め付けられることだけには耐えられなかった。
 続くマスコミとの確執の中、少しずつ、精神のバランスを崩していく静馬を、真治も慶も、どうしようもない気持ちで見ることしかできなかった。
 精神的な弱さが、アルコールを求め、そして溺れた。
 欲望と嫉妬にまみれたこの世界で、結局静馬は、純粋さを保つことができなかった――
「彼女、どうしてるかな」
 古尾谷がつぶやき、真治は回想から我にかえっていた。
 彼女。
 古尾谷の思考が、真治と同じところを彷徨っていたとしたら、彼女とは、静馬が恋した女性のことだろう。
「今でも、時々、夢に見るんだ、静馬が……あの子と幸せに暮らしてる夢だ」
「多香ちゃんか」
 多香子――静馬が恋し、そして恋されていた美貌の少女。
 生来の病弱だが、活発で明るくて、時に落ち込む5人を牽引してくれた女性。 
「楽しかったな、あの頃は」
 平蔵は、囁くような声で続けた。
「とんでもねぇこと言い出だすのが静馬で、それをなんなくやってのけるのが真ちゃんだ、2人が何か言い出すのを、俺たちは、わくわくしながら待ってたもんだよ」
「………………」
「天衣無縫で目茶苦茶な静馬がよ、多香ちゃんの前だけじゃ、もうメロメロの形無しでさ、………覚えてるか、多香ちゃんが、ここのボンに告白された時のこと」
「デートの妨害したり、静馬をたきつけたり、……なんか色々やったよな、今思い出しても、手のかかる二人だった」
 真治も思わず苦笑する。
 すったもんだの末、やっと思いを交わした2人を、夜通し4人でからかった。
 あれも、ハリケーンズがデビューする直前のことだ。
「待ってろよ」
 東京に行く前夜、雪がひどい夜だった。静馬は、公衆電話にかじりつくようにしてそう言っていた。
「スターになって、俺が迎えに行くまで、絶対そこで待ってろよ!」
 が、芸能界という魔窟は、静馬だけでなく、平凡に生きていた彼女の人生をも狂わせてしまった。
 盗作騒動後、施設にはマスコミが押しかけ、多香子は静馬の恋人として追い回された。
 もともと心臓が弱くて働けず、そのために施設で子供たちの世話をしていた女は、騒ぎの後しばらく入院して、そのまま消えるように行方をくらました。
 天涯孤独だった多香子の今を、真治には知りようがない。
(真公、みんなを頼むわ)
(俺いると、みんなに迷惑かかるからさ――それにもう、)
(俺には、何ひとつ浮かんでこねぇんだ、何も、音が何も、出てこなくなっちまったんだよ)
 最後の日、静馬はそう言い、真治の手を強く握った。
(お前が女だったら、真公、間違いなく俺はお前に惚れてたよ)
(兄貴を頼むぜ、兄貴はああ見えて弱いんだ、俺の代わりに、兄貴守ってやってくれ)
―――静馬……
 真治はうつむき、額を押さえた。
 限界だぜ、もうそろそろ。
 青春も、戦いも全て終わった。
 今、残っているのは――どこかで一人、死を見つめている仲間と、そして果てしない額の借金だけ。
「帰ろう、平蔵」
 真治は唇を噛み、感慨を振り切って顔を上げた。
「帰って警察に届けよう、もう、待ったってここには来ねぇよ」
「……………」
 しかし、傍らの平蔵は動かない。
 真治が不信に思ってその横顔を見あげると、
「……真ちゃん、ギターの音が聞こえねぇか」
 平蔵は、夢でも見ているように呟いた。


                   4


 身振り手振りで、周囲に何かを伝えているその人を見て、しずくははっと気がついた。
―――この人、口が聞けないんだ。
 それでも、その人は、ギターを抱えて演台の上に立っている。これは、どういうことなんだろう。
 広さにして学校の教室二つ分くらい。惨めなほど傷んだホールは、隙間風が吹き込んで、凍えるほど寒かった。演台に設けられたカーテンはつぎはぎだらけで、床板はところどころ跳ね上がっている。
 その演台を囲むようにして、十四、五人の、年齢がまばらな子供たちが椅子に腰掛け、楽しそうな歓声をあげていた。
「新しいお友達」
 しずくをここに導いてくれたおさげの少女は、そう言ってしずくを紹介してくれた。
 一人、年配の女性がいて、その人だけはいぶかしげにしずくを見たが、子供たちの世話で手一杯なのか、特段何も言おうとしない。
 演台の人は、今はギターを指で弾いている。 
 そして、傍らの大人に手で何かを示し、大人がそれに頷いている。
 これが、手話かな、としずくは思った。
「あの人、おしゃべりできないの?」
 しずくは傍らの少女に聞いた。
「うん、でもお耳は聞こえるの、最初はおしゃべりもちゃんとできたんだって」
「……ふぅん?」
「哀しいことがあってね、お口が聞けなくなっちゃったんだって、でもね、お歌はちゃんと歌えるんだよ」
 ギターだけを抱えた少年。年は、いくつも上に見える。色白で背がすらっと高い。学生服を着ているから、高校生くらいだろうか。
 照明がふっと暗くなる。
 わずかなノイズの後、ギターの音が、スピーカーに乗って流れてきた。
 ひどい音。
 思わず耳をふさいだしずくは、が、すぐに手を離していた。
 どこかで、聞いたことのあるメロディ――
 どこかで。


 

 君に届けたいものがあるんだ
 それが判らないから歌い続ける


 ひとつひとつ
 雨が降る石段を
 踏みしめながら上がっていくよ
 その先は真っ暗で
 何も見えやしないんだ
 誰もが必死に
 他人を蹴落としてでも頂上を目指してく
 それが 僕のいる世界の全てだった


 けれどいつか僕にも
 生まれた姿で愛を確かめる人ができて
 2人手を繋いで
 この道を歩んでいく
 君がいる世界を生きることで
 雨もいつか虹に変わると気づく



 僕らがいる小さな世界は
 争いと憎しみと欲望に満ちて
 時に、夢も希望も踏み潰されていく
 抱きしめて切ないくらいに祈るよ
 この小さな翼で
 僕は、君を守れるのかな

















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