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 5月8日、水曜日。
 ストーム「奇蹟」。
 ヒデ&誓也「Love season」発売初日。
 午後六時、オリコン株式会社が公式サイトで発表したニュースが、ポータルサイトを通じてネット上に一斉に広がった。


 
ヒデ&誓也のデビュー曲「Love season」、デイリーランキングで二位以下を大きく引き離しての一位獲得。5月20付けオリコンシングルチャートでも、一位確定。


 デイリーチャートの正式発表は明日、9日。
 この時点でオリコンが結果を公開するということは、情報どおり、二位以下を相当大きく引き離しての、ほぼ一人勝ち状態での一位であったことが推定された。
「……………」
 雅之は、何か言おうとして、言葉を呑んだ。
 博多市内のホテル。
 売り上げ当日、東京でヒデが派手なイベントを開いている間も、ストームは地方プロモの予定をこなしていた。
 ホテルの一室。備え付けのパソコン。
 前原大成と打ち合わせ中の将をのぞく全員が、ひとつの部屋で液晶画面を凝視している。
 誰も、全員が何も言わない。
 まだ、勝負がついたわけじゃない。
 まだ、集計締め切りまで、後4日残っている。
 その4日で――
 しかしそれが、今となっては奇跡よりも儚い希望だと、さすがに雅之にも判っていた。
「しょせん、テレビなのかな」
 りょうが、ぽつりと呟いた。
「……俺らのプロモ、絶対に悪くないと思ったよ、どこ行ってもお客さん喜んでくれたし、すげー応援してくれたし」
「うん」
 事前予告もなしのイベントだったにも関わらず、満員につぐ超満員。あふれかえる客に、警察まで出動する騒ぎになったほどだ。
 小泉君から、「ファンクラブの申し込み数が、今、ものすごい勢いで上がってるよ」とも言われた。
 このプロモツアーを通じて、すごいパワーをもらったし、これからストームをやっていく上での、基礎みたいなものを改めて教えてもらった気分だった。
 曲もよかったし、みんなで考えた振り付けも、歌割りも最高だった。
 俺たちは――最高だった。
 でも、
 テレビへの露出度は、ゼロだった。
 悔しいが、雅之にしてみると、ヒデとストームとの差はそこにしか見出せない。
「………でっかい組織には、何やってもかなわない、そういうことなんだろうな」
 りょうの冷めた呟きは、雅之が抱いたむなしさでもある。
「つか、今時、草の根運動で、トップ狙おうっていうのが、そもそも甘いよ」
 どこか冷えた声でそう言ったのは、最初からずっと黙っていた憂也だった。
「俺に言わせりゃ、テレビだけに頼る時代でもないと思うけどね」
 その突き放したような表情が、雅之の心を少しだけ重くする。
 何もかも忘れたように見えて、時折憂也が見せる暗い表情。ふいに心を閉ざしたように黙り込み、何も言わなくなる横顔。
 その微妙な変化は、一番近くにいる雅之だから、判ったことなのかもしれない。
 が、判りながらも雅之には、何も言えないし、疑問を口にすることもできない。
「憂也、」
 微妙に険悪な空気に、たまりかねたように聡が口を挟む。
「……甘いかもしれないけど、みんなで決めたプロモだろ、今回は」
「だから?自分の甘さに腹たってんだ、これで俺たち、解散決まったも同然だしね」
 苛立ったように憂也は、椅子を蹴って立ち上がった。
 口にすれば。
 杞憂が本当になってしまうような気がして。
「将君どうしたよ」
 背を向けた憂也は、扉の方に向かって歩いていく。
「自分の部屋、前ちゃんが一緒だと思うけど…」
 憂也の怒りが理解できないのか、戸惑ったように聡。
「さっさと相談してみろよ、こんなとこで、何もできねぇ連中が雁首そろえてる場合でもねぇだろ」
 強烈な皮肉。
 それだけ言って、憂也はものも言わずに、扉を開けて部屋を出て行く。
 外から、乱暴に扉が閉められて、残る聡もりょうも、さすがに鼻白むのが判った。
「なんだよ、あれ」
 やや、冷めた声でりょう。
 雅之はため息をついて、髪に手をさしこんだ。
 つか、憂也、1人で怒ってる場合じゃねぇだろ。
―――これから、一体、どうなっちまうんだ、俺たち。


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「……こんなもの、か」
 唐沢直人は呟いて、オリコンから取り寄せた、デイリー指数ランキングを机の上に投げ出した。
 もう少し健闘すると思ったが、所詮は買いかぶりにすぎなかったか。
 無論、オリコン独自の指数だから、今時点で、正確な売上げ出荷数までは判らない。
 が、一位のヒデ&誓也の、58228に比べて、ストームの数字は40001。
 この数字だけを取れば大したものだが、一位には遠く及ばない。
 売り上げは、初動から次第に落ちていくのが常だから、ストームに、これ以上の売り上げを出すことは不可能だろう。
 常識で考えても、来週火曜、14日に正式発表されるウィークリーチャート。
 一位は、確実にヒデ&誓也だ。
「…………………」
 案外つまらない勝負だった。
 唐沢は、椅子を回して立ち上がる。
 ここまで差がつくなら、本気になるまでもなかったか。
 ここからは、ストームなど関係ない。幾多のスターがひしめく激戦週、その中でヒデ&誓也の売り上げ記録を、どこまで延ばせるかだろう。
「美波」
 通路ひとつ隔てた隣室。
 ヒデ&誓也、新曲発売スタッフ専用の会議室。
 戦略チームの、実質チーフである美波涼二は、入ってきた唐沢の姿を認めて顔を上げた。
「何か」
 ずっとプロモのイベント準備に追われていた男は、さすがに疲労を滲ませた目をしている。
「ストームは何をしている」
「……今日、明日で、九州を回る予定だと聞いていますが」
「余計な予算を使わせるな、さっさと戻ってこいと伝えておけ」
 吐き捨てるように言うと、無言のまま、美波は頷く。
「榊に伝えろ」
 唐沢は、薄く微笑して肩をそびやかした。
「真咲しずくと相談して、株式譲渡の準備をしておけ、とな。それから6月の株主総会だ」
 いなくなる副社長に代わり。
「お前が、次期副社長だ、美波」
「……………」
「そのつもりで、身辺の整理をしておけ」
 これで、全部だ。
 これで、過去の遺物は、全部片付いた。



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「あわわわわ」
 大森妃呂は、大慌てで、冗談社の扉を開く。
「ケ、ケイさん、今、休憩中に、ネットカフェで」
「知ってるよ、ストームの解散でしょ」
 九石ケイは、煙草を口に挟んだまま、そう言って物憂げに妃呂を見上げた。
「主力ポータルサイトでは、殆どトップニュース扱い、おかしな時代だね、事務所から正式に発表されたニュースでもなんでもないのに」
 すでに公式発表のような確かさで、日本全国、いや、世界中に配信されている。
「は、発信源はどこですか」
「今のとこ、謎、個人ブログに一斉に書き込みがあったって情報もあるけど、今、高見に調べさせてるから」
 

 J&M、前代未聞のダブルリリースの裏事情。
 ストーム解散。存続の絶対条件である、オリコン1位獲得争いに敗れる。

 5月8日付けのオリコンデイリーチャート、ヒデ&誓也に大差で破れた段階で、ストームの存続はほぼ絶望となった。
 その裏には、会社の代表取締役社長である唐沢直人氏と、同副社長、真咲しずく氏の社内での派閥争いがあると言われている。
 今、人気が急上昇しているストームは、とんだとばっちりを食った形だ。
 解散は、早くても今月下旬には正式発表される、活動は7月いっぱいの予定。


「……なんか、どこから見ても、正式発表なんですけど」
 プリントアウトされた記事を見て、大森は呟く。
「なんにしても、これから少し忙しくなるよ」
 ケイが、嘆息して立ち上がった。
「で、大至急、バイト探してくれないかな、できれば経験者、この際贅沢は言わないから」
「バイト……ですか」
 大森は戸惑って室内を見回す。
 忙しくなるって、そんなだろうか、今までだって、どんな修羅場も、基本4人で乗り切ってきたのに。
「ミカリさん、取材ですか」
 妙に綺麗に片付いた机を見て、そういえば、今朝からいなかったな、と、大森はケイを見上げる。
「辞めたよ、あの子」
「……はぁ」
 しばらく考えて、「ええっ」と、大森は顎を落としていた。
「辞めた?や、辞めたって」
 ミカリさんが?
 この会社を?
「借りてたマンションももぬけの殻、……前から準備してたんだろうね、多分、もういないよ、どこ探しても」
「だ、だって」
 答えずに立ち上がるケイの目が、少しだけ寂しそうになっていた。
「ミカリのことはほっときな、大人の女が腹括って決めたことだ、多分、私らには何もできないよ」
 大森は何も言えない。
 色んな事が溢れてきて、そして、ミカリが、恋人のことを語る時の表情や眼差しを思い出して――。
 その背中を、ばしん、と強く叩かれた。
「私らは、私らのできることをやるしかないよ、ぼやぼやしてる暇なんてないんだ、大森、すぐに今から九州に飛びな!」



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「ヒデ&誓也という別格さえいなければ」
 しずくは、黙って、差し出された集計結果を見つめていた。
「確実に一位でした、初動は、間違いなく二十万枚を超えています、ストームにとっては、最大のヒット曲……でした」
 イタジの声が、そこで途切れる。
「…………………」
 しずくは無言で微笑した。
 ま、よくやったって言ってあげてもいいでしょうね。
 テレビという媒体を一切使わず、全て自分たちのプロモで勝ち得た収穫。
 そして、今日までの積み重ねと。
―――成長したじゃない、バニーちゃん。
 でも、勝負は、これで終わったわけじゃないのよ。
「動くわよ、イタちゃん」
「は、はい」
 背後で、イタジが緊張している。
 しずくは、暗い目で夜を見つめた。
―――見てなさい。
「奇跡が起こるのは、……これからよ」



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「将君?」
 ノックをしても返事がない。
 聡が扉を開けると、途端に、かなり大音量の音楽があふれ出した。
「しょ、将君、何やってんだよ」
 背後の、りょうも雅之も面食らっている。
 肝心の将は、ベッドの上に腰掛けたまま、じっとうつむいて、床の一点を見つめているようだった。
「将君……?」
「…………」
 りょうの問いかけにも返事がない。
―――もしかして、結果、前ちゃんから聞いたかな。
 聡は視線をめぐらせた。
 音源は、机の上に置かれた小さなステレオ。
 原曲がラジオか何かだろう、音がひどかった、そして、どこかで聞いたメロディ。
「ごめん、ボリューム下げるよ」
 手を伸ばすと、その手を上から掴まれた。
「………?」
 どこか陰鬱な将の目が、下からじっと聡を見上げている。
「お前、この曲知ってるか」
「……え?そういや、最近、時々有線で聴くけど」
 それきり黙る将、そして、唐突にオーディオのスイッチを押して、音を消す。
 聡は嘆息して、将の隣に腰を下ろした。
「今、そういうこと気にしてる場合じゃないよ、前ちゃんから聞かなかった?デイリーオリコンで」
「俺、この曲知ってるんだ」
「は?」
「つか、なんだって今ごろ、いや、……これは」
「………………」
 将君……?
 立っている雅之とりょうも、同じように唖然として将を見ている。
「これは、俺と、あの女しか……知らない曲の、はずなのに」
「意味、わからないんだけど」
「俺たちの曲、誰が作ったか、覚えてるか」
「……え、確か、TAなんとかTakeshi……」
「この曲も、同じ奴が作ってんだよ」
 将は、険しい目で立ち上がった。
「ちょい、俺、いったん東京戻ってくる」
「は?な、何言ってんだよ」
「あの女に直接会って確かめたい、明日には戻るから、絶対」
「待てよ、何無茶なこと言ってんだよ!」
 明日も早朝から仕事が入っている。東京と九州、自家用ジェットでも使わない限り、戻ってくるのは不可能だ。
 聡は立ち上がる、しかし飛び出す将の方が早かった。
 激しく扉が閉まり、それが勢いでまた開く。
「………………つか」
―――どうすりゃいいんだよ、これから一体。
 扉が半開きの室内で、聡は呆然と立ちすくんだ。
 りょうと雅之も、言葉をなくしているのが判る。
 憂也はキレて、将君が消えた。
 第一週の集計期限は5月12日、午後6時。
 あと4日。
 絶望的なほど差がついた状況で、これから、一体どうすれば。
「……将君、何の話してたのかな」
 りょうが、ようやく呟いた。
「いや、俺にも、よく」
 聡は、首を横に振る。というより、意味がまるで判らない。
 ベッドの上に、CDのケースが落ちていた。
「…………」
 眉をひそめ、聡はそれを、手にとってみる。
 そこには、癖のある前原の字で、殴り書きのようなタイトルが記されていた。

 ST.fu.Takeshi
「君がいる世界」













                               act3 恋愛中毒 (終)




※この物語は、全てフィクションです。


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