12



「将君、起きてる?」
 その声の持ち主だけでなく、雅之以外全員が起きているのは知っていた。
「なんだよ」
 将は、天井を見ながら呟く。
 部屋が四つもあるんだから、それぞれ別の部屋で寝てりゃいいのに、結局布団を持ち寄せあって、ひとつの和室で枕を並べて寝ている5人。
 カーテンの外は暁闇だ、夜明けはそんなに遠くない。
 将の隣にいる聡もまた、将と同じで天井を見上げているようだった。
 その聡の横顔が呟く。
「明日の午前中なんだけど……みんなで、ちょっと集まれないかな」
「つか、このまま朝になれば、すでに集まってんじゃねー?」
 わずかな鼾をかいている雅之の隣で、寝返りを打って憂也。
「憂也、仕事は?」
「心配しなくても当面暇、多分、年末まで、他の仕事は控えることになると思うから」
「それ、別の意味で心配だけど」
 窓際の布団から、りょうの声が返ってくる。
「いいよ、そういうことも全てひっくるめて、覚悟しちゃってっからさ、俺」
 憂也の声はさばさばしている。
 将には何も言えない。ある意味自分より大人の憂也を信じているし、決めたことに口を出すつもりもない。が、憂也を取り巻く環境の変化だけは、心配でないと言えば嘘になる。
「で、何さ、聡君」
「……もし、もしも、もしもの話だけど、もしもの」
「しつけーな、なんだよ」
 暗闇の中、聡がしばし黙っている。
「………………」
「………………」
「………………」
「…………ごめん、この沈黙に耐えられないんだけど」
 りょう。それにかぶさるように、聡の振り絞るような声がした。
「最悪みんなの身体、俺に預けてもらってもいいかな!」
「はっ??」
「え??」
「ちょ、雅、やべー、俺の後ろの貞操が」
 いきなり揺り起こされた雅之が「えっ、なになに?火事?」と目を白黒させている。
「つか、ちゃんと説明しろよ」
 さすがに意味がわからない。
 将も、笑っていいのか真剣になっていいのか判らないまま、聡を見る。
「……ひとつだけ、あてがあるんだ、スポンサー」
 薄闇の中、聡の静かな声がした。
「俺、河川敷でリハした時から、ずっと考えてた、ずっと思ってた、やっぱり、俺らには前原さんが必要だって」
「…………」
 前原さん。
 レインボウの、前原大成。
「みんなには悪いと思ったけど、唐沢さんに電話いれて、悠介君にストップかけてくれるように頼んだんだ。……俺は、どうしても、どうしてもこのコンサートだけは、ストームのことを誰より理解して、愛してくれてる人にやってほしいから」
「それは、みんな同じだよ」
 将は頷く。
 例え、この決断を罵倒されてののしられても、将にもまた、前原以外の人は考えられない。あきらめてもあきらめても、未練のように前原のことを想ってしまっている。
「あてって……マジで、あんのか、前原さんが言ってるような条件の会社が」
 聡は、低く頷いた。
「本当は、頼めた義理じゃないんだ、顔をあわせるのも怖い。……でも、死ぬ気で頼んでみようと思ってる」
 どこだろう。
 再び寝てしまった雅之以外、全員が闇の中で顔を見合わせる。
「どこだよ、それ、まさかホストクラブかなんかじゃないだろうな」
「身体と引き換えってこと?マジで?」
「だから、最悪だよ。最悪の場合、その覚悟があるかって聞いてんだ」
 しばしの沈黙。
「いいよ、俺」
 最初に口を開いたのは憂也だった。
「捧げます……この日のために磨き抜いた珠玉のボディ」
「多分、俺の方が売れるんじゃないかと思う」
 りょう。
「意外に俺もいけるんだよな」
 将も、笑いながら言っていた。
「雅は俺が許可を出す。大丈夫、何が起きても意味が分かんねー奴だから」
「そんなもので前原さんが釣れるなら、安いもんだよ」
 聡は黙っている。
 そのまま、片手で目を押さえる。
「……うん、ありがとう……」
 それは俺のセリフだよ。
 将は、片手で、聡の手をそっと叩く。
 そして思う。
 俺たちは最高だ。
 この最高の場所を、仲間を守るためなら、俺は……多分、なんだって、できる。



                 13


「ほう、ストームが出演すると」
「そのようですね」
 藤堂戒は、そう言いさして、対面に座る男の顔を見上げた。
 東京、丸の内。
 芸能事務所オフィス・ネオ。
 深夜一時、社長室兼応接間にだけ照明が灯ったその部屋に、今夜は珍しい客が来ている。珍しい――というより、こんな時間だからこそ迎え入れることができる相手。
「それは本当かね、藤堂君」
 耳塚恭一郎はそう言うと、焦点の定まらない目で藤堂を見つめた。
 もう馴れた藤堂でさえ、ふと眉をしかめたくなるほどの凶相、いや死相さえ漂う容貌の持ち主は、藤堂にとっては一生かけても返しきれない恩と義理でつながった相手である。
 藤堂は続けた。
「情熱王国のスポンサー筋から内々に聞きだしました。情報としては確かでしょう」
 ふん……、と耳塚は呟き、薄い眉に指を当てる。反応はそれだけだった。
「それにしても、会長のお耳に届いていないとは」
 藤堂は、ちらりと耳塚を見て、表情の変化を確かめた。無論、それを読むことはできない。ここに座る男が、時に彼の主をも平然と欺くことを、藤堂はよく知っている。
「だとしたら、ジャパンテレビの連中は、相当極秘裡に動いているのでしょうね。事前に公表すれば潰されるからでしょうが、それにしても徹底している」
「…………」
「いずれにせよ、今のストームへのネットユーザーの注目は、凄まじいものがあります。仮に柏葉将が出演するとなれば、数字はとんでもないものになるでしょう」
 耳塚が煙草を取り出したので、藤堂は灰皿を前に差し出した。
 気のせいか、その白蝋の頬に、わずかな笑みが浮きだしたような気がした。
「真咲の小娘が仕組んだことだろうな」
 紫煙が天井に達する頃、ようやく耳塚が口を開いた。
「真咲しずく氏ですか」
 そうだろう、そう思いながら藤堂は、今それを初めて知ったという風に頷く。藤堂もまた、この義理の親の前で、平然と本心を隠す術を身につけている。命という義理で結ばれた父子は、こういってみれば映し鏡のようなものだ。互いが互いの醜さを、相手の中に見とっている。
 唐沢さんに、この芸当はできない。
 藤堂は無表情で考える。
 ある意味、苦笑したくなるほどストレートな唐沢には、真咲しずくのような一種底の見えない陰湿さも不気味さもない。そういう意味でも水と油だった元社長と副社長。しかし、新生J&Mでは、その二人が手を組んでいるのだ。
 耳塚は足を組み直し、金属が触れあうような声で続けた。
「あの娘が性懲りもなく動き回っていたのは知っていたよ。ジャパンテレビの経営陣に接触しているとの情報も得ていた。またぞろ、奇蹟の二番煎じを画策しているのかもしれないが」
「ネットでは相変わらず柏葉バッシングが続いていますが、逆に擁護する声も多くなっています」
「知っているよ」
「元々騒ぎに値するほどの罪ではない、引退にまで追い込んだのはやりすぎだったと……自分たちがマスコミや一部アンチストームに踊らされていたことに、ようやく気づきはじめたといったところでしょうね」
「それもまた、お定まりの流れだよ、藤堂君」
 耳塚は不思議な笑みを浮かべて藤堂を見つめた。
「大衆とは、しょせん流れにしか乗れない生き物なのだ。自身の意志など、水に流される砂のようなものだと気づきもしない」
「放っておかれるので」
「…………」
 耳塚は、やはり、藤堂には理解できない表情のまま立ちあがる。百九十を超えるやせぎすの巨体、骨がきしんだような音がした。
「世論が危険な怪物だと、あなたが私に教えてくれた。どうやら真咲氏は、それを本気で動かすつもりのようですね」
 広い背中が窓の傍に立つ。
「情熱王国の件は、早急に手を打って潰しておくべきだと思います」
 探りを入れているつもりが入れられている。その不安が、つい藤堂を饒舌にする。
「言っておきますが、真咲氏を舐めたらやっかいなことになりますよ。現に一度、あなた方にしても痛い目にあっているはずでしょう」
「藤堂君」
 背中から軋んだ声がした。
「君はいつからビジネスマンになったのかね。小娘一人の口を塞ぐくらいわけもないことじゃないか」
「…………」
「あれだけの美人で有名人だ、ストーカーまがいの信奉者が一人や二人いてもおかしくはない。彼女の滞在しているホテルのセキュリティレベルなら、さほど慌てることもないさ」
 黙る藤堂を、耳塚はようやく振り返った。
「最も今は、その必要さえないがね」
「あなたにとって」
 藤堂もまた、立ちあがっていた。この時間、まだ事務所のトップスターでもある緋川拓海は仕事をしている。そろそろマネージャーから連絡が入るころだ。
「そこまでできる真田会長とは、一体どういう存在なので」
 ずっと耳塚と真田を見続けてきた藤堂には、その一点がどこかで腑に落ちないでいる。単に金で雇われている以上の何かが、この二人の間には常に潜んでいるような気がするし、そして藤堂の知る限り、耳塚とは決してそのような人間的な感情を他人に持つような男ではない。
「真田会長は失うものを持っている人間で、私は持たざる人間だよ、藤堂君」
 耳塚は薄く笑った。
「持っている者にとって、これほど使い勝手のいいものはない。それだけのことさ」
「それだけですか」
「唐沢君も、だから君を重宝していたのではないのかね」
「……それは答えになっていませんがね」
「持たざる者は、持っている者に使われてこそ、初めて生きる価値がある」
「…………」
 藤堂は眉を寄せる。耳塚は痩せた肩をそびやかした。
「私も君も、そういう寂しい人種という、それだけのことだよ、藤堂君」



                 14



「どうやら水面下で、噂は広がっているようですな」
 車の運転席。
 携帯電話のイヤフォンを耳にさしこみ、耳塚はステアリングに手をかけた。
 私用であっても公用であっても、運転は必ず自身でする。他人は誰も信じない。それが耳塚の信念でもある。
「新生ストーム、間違いなく柏葉将は名を連ねてくるでしょう。時間稼ぎは、会長の推測どおり、成瀬雅之と東條聡の仕事を考慮してのことだったのでしょうな」
『テレビは、相当の数字になるだろうな』
 イヤフォンから、くぐもった低い声が流れてくる。真田孔明。耳塚は時計を見た。まだ仕事の最中だったのかもしれない。
「つぶすなら、今ですよ」
 耳塚はアクセルを踏みこんだ。
「これが坊ちゃんの筋書きだというのは判っていますがね。相手は真咲の小娘だ、甘くみると、とんでもないリークをそこで持ち出してくるかもしれません」
 暗に、静馬のことを指したつもりだった。電話の向こうからしばしの沈黙が返ってくる。
『耳塚』
「なんでしょう」
『その結界なら、すでに一度破られている』
 苦い、静かな怒りが滲んだ声だった。
『やりたければやればいい、おそらくそれが、あの女の最後のカードだ』
「カード」
『お前も知っているだろう、切り札とはな、先に出した方が負けなんだ』
 耳塚の耳に、真田の静かな笑いが被さった。
『まぁ、もうその話はいい。藤堂君と筑紫君に、いつでも動けるよう準備しておけ、と伝えておいてくれないか』
「準備は万端です、いつでも、坊ちゃんのご指示があった時に」
 言いさした耳塚は、少し考えてから口を開いた。
「ただし、藤堂は、もう核心からは離した方がいいでしょう」
『どういう意味だ』
「あまりにも長く、唐沢の傍にいさせすぎたのかもしれませんな。情が移るほどではないですが、多少は罪悪感があるようで」
『藤堂には、オフィスネオの代表として、ストーム締め出しに一役かってもらえればいい』
「その程度なら問題ないでしょう」
 いずれあの会社も東邦に吸収される。藤堂には、もうこの世界から足を洗わせて、自由と報酬を与えてやってもいい頃だろう。
『問題はタイミングだ』
 真田の声に、笑いが滲んだ。
『私は最高のタイミングを待っている。今回はそれを、あのバカ女自らが提供してくれることになるだろうな』
「気をつけてください」
 ステアリングを切りながら耳塚は言った。
「あなた自身も、今、柏葉将以上に世間の注目を集めているということをお忘れなく。昨年の失敗の例もある、情報のガードには十分注意してください」
『問題ない』
 肩をすくめるように言われ、電話はそこで切れた。
 切り札、切り札――か。
 闇に続く国道。
 耳塚はわずかに目をすがめる。
「私だ」
 続いて携帯を繋げた相手は、先ほど話したボスも知らない。
「ある女の身辺を洗ってほしい。多少手荒でもかまわない、女が持っている全ての情報を引き出してほしい、そう――私に関しての、だ」
 耳塚は、女の名前と滞在しているホテルの部屋番号を告げた。
「やり方は任せる、薬でもなんでも使え。何、天涯孤独の身の上だ、行方が知れなくなってもどうということもない、それに……楽しめるだろう、いろんな意味で、な」
 電話の向こうから聞こえる卑猥な笑い。
 最後の確認事項に、耳塚は淡い笑みを浮かべた。
「もちろん、その時は、生かしておく必要はない」
 電話を切ってラジオに切り替える。
 流れているのは軽快なポップス、東邦がこの秋日本でデビューさせた韓国人ユニットだ。J&Mが解体し、かつてのアイドルが存在しなくなった世界で、甘いマスクを持つ長身の男性ユニットは、バカみたいに売れている。
「今年、大ヒットを放ったのは、すでに解散したストームの奇蹟ですけど、この曲、初動ではその奇蹟を上回る売れ行きだそうですねぇ」
「いやー、こないだまでアイドルアイドルだったのに、節操ないですよ、日本の女性は!」
 ジョッキーたちのふざけた会話が、曲にかぶさる。
 そう、代わりなど、いくらでもいる世界だ。
 ストームなど必要ない。
 奇蹟など……この薄汚れた世界に必要ない。








                

 

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