9


 
「テレビの取材??」
 ケイは眉をひそめている。
 いきつけのバー「FIN」、ここで、馴染みの人と会うのは、かれこれ数か月ぶりになる。
「今夜だったかな。もうさすがに終わっていると思うが」
 唐沢直人は、グラスを唇につけ、それから少し物憂げにそれを飲み干した。
 前髪が少し伸びている。鋭角になった顎の線が、ここ数日の男の日々を物語っているようだった。
「すごいじゃない……って、にわかには信じられないけど、情熱王国?」
 ケイは、足を組み直して眉をひそめた。
『情熱王国』
 エンターテイメントテイストのドキュメンタリー番組だ。ケイの記憶が確かなら、同ジャンルでは、ダントツの視聴率を誇る人気番組。社会的に関心がもたれている人、職業、事件を扱うことで知られている。
 本当だろうか。
 ジョークを言わない唐沢相手に、それを聞き返すほど愚かではないが、それでもケイには信じられない。
 そんな番組が、そもそもアイドルなど取り上げるだろうか。
 確かにストームは、アイドルバッシングという社会現象の代名詞のような存在にはなった。が、スポンサーからは名前を出すことさえ敬遠され、テレビをはじめとする主要メディアから完全に黙殺されている。
 そのストームが、よりにもよってゴールデン枠の高視聴率番組で、テレビ復帰を果たす。一見最高の船出のようだが、それは、世論の動向が定まらない今、危険すぎる気がしないでもない。
 よくその勇断を、企画サイド、ひいては番組スポンサーが下したものだ。
 確か、スポンサーは、旅行会社最大手のJDBと、音楽会社アーベックス。それから。
「……ジャパン、テレビ」
 ケイは思わずつぶやいていた。
 そして、咄嗟に隣のスツールに座る男を見上げている。
「もしかしなくても、真咲しずくさんが取ってきた仕事?」
「ご明察だ」
「危険じゃないの?それ」
 黙ってグラスを押しのけた直人の前に、新しいグラスが差し出される。
「リスクはあるだろうな」
「…………」
 ケイは、鞄から取り出した手帳を急いで開いた。
 万が一を考え、ここ最近ケイはずっと、東邦プロとジャパンテレビの内部事情を取材がてら調査している。
 なのに、どうして、すぐに気がつかなかったのだろうか。
「情熱王国はジャパンテレビの老舗看板番組、ジャパンテレビ自体が企画制作している番組じゃない」
「よく知っているな」
 横顔だけで直人は頷く。
「ジャパンテレビ会長の孫でもある鍵山氏が総合プロデューサーをつとめている。フランスで日本民放初となるドキュメンタリー大賞を受賞したのは昨年のことだ。いってみれば、局自体が大切に育てている、まさにジャパンテレビの看板番組だ」
「どういうこと……?」
 普通に考えればあり得ない。
 そんな番組に、今のストームが企画されること自体が。
「いってみれば、あの番組はジャパンテレビの、顔、だ」
 唐沢は言いさし、琥珀のグラスを持ち上げた。
「色んな意味で、成功すれば、相当大きな見返りがあるだろう」
「見返りって、それは判るけど、だって今ジャパンテレビは」
 ケイは言葉を詰まらせる。
 東邦プロとの買収を巡る騒動で、今、ジャパンテレビは日本中の関心を買っているのだ。
 いってみれば、東邦と、食うか食われるかの戦争の真っ最中なのだ。
 よりにもよって、Jとは最悪の因縁がある、東邦EMGプロダクションと。
「わかってんの、直人」
 ケイは、思わず口調を荒げていた。
「これは、ものすごく危険な賭けよ」
「だからリスクは承知だと言っている」
「まだ判んないの?それがあの人のやり方じゃないの、真咲しずく、社会現象にからめて、ストームを売り出す戦略、奇蹟の時と同じじゃないの!」
「判っている」
「やめさせるべきよ」
 グラスを握る指に力がこもる。
 直人は、それには答えない。
「わかってんの?あんたたちが、ただでさえ危うい綱渡りをしてるってことが。コンサートまであと2ヶ月、柏葉将の名前も正式に公開されて、今からが一番大切でデリケートな時期なのに、なにもわざわざ、東邦とジャパンテレビの争いに巻き込まれなくてもいいじゃないの」
「………………」
 動かない横顔。ケイはテーブルを軽く叩いてスツールから降りた。
 かつて奇蹟のリリースで、世間的な関心を一身に集めたストームは、確かにスターダムにのしあがった。
 が、それがいかに時期尚早で、危険な両刃だったか、今の結果が全てを物語っている。
「もういい、あんたが言えないなら、アタシがひっぱたいでてもやめさせるから」
 バックを掴んで歩き出そうとしたケイは、腕を掴む柔らかい力に驚いて足を止める。
「俺はな」
「…………」
 なによ。
 そんな、真剣な目で見ないでよ。
 ケイは、男の腕を振りほどき、視線を逸らしたまま元通り席につく。
「昔も、今も、あの女の言うことなすこと、理解できたことは一度もない」
「……だったら」
「今回も、俺の読みでは敗北が見えている、いや、最初に入院中のベッドで、あの女が持ってきた企画書を見たときから、これは自殺行為だと正直思った」
 テーブルの上で指を組む唐沢の横顔に、照明の光が揺れている。
 初めて聞くような、静かな、そして胸にしみていくような声。
「俺が信じていることが、もし、あるとすれば」
 ケイは、息苦しさにも似た胸騒ぎを感じ、唇を噛みしめた。
「あの女と、俺が見ているものが、究極的には同じだということだけだ」
「…………」
「あの女は、別の方向を見て生きているんだと俺はずっと思っていた。でも、本当は、数歩先、何十歩も先を見ているだけで」
 共に、音楽史から抹殺されたユニットに所属していた父親を持つ二人。
 J&Mに人生の全てを捧げた父親と、そのために不幸になった母親を持つ二人。
 太陽と月、ずっと水と油だった。
 それでも、真咲しずくの前で困惑し、激怒し、人間らしい一面を見せる直人の姿に、ケイはずっと、ある思いを抱き続けていた。
 もしかして、直人は、ずっと。
「今なら、わかるんだ」
 まるで、学生のような幼くて優しい笑顔。
「俺たちの見ているものは、ずっと同じだった」
「…………」
「今も同じものを見ている、だから今回も、俺は信じてみようと思ってる」
「…………」
 なによ、それ。
 まるで、恋の告白にも聞こえるんだけど、下司の勘ぐりじゃなかったらだけど。
「アタシは、信じない」
 直人の横顔が、かすかに笑う。それがまるで、子供をあしらうようにも見えて、ケイはますます苛立ちを強くする。
「もし、あの女の本心が直人と同じだったとしても、私はあの女の、人の気持ちとか大切なものを踏みにじるようなやり方は、絶対に許せないし、認めるつもりもない」
 肘をついた腕で顎を支え、もう直人は何も答えない。
「……私は信じない。今回のことも、冷静に考えて、絶対にやめさせるべきだと思う」
 リスクがあまりにも大きすぎる。
 まだ早い。まだ東邦を敵に回すには早すぎる。まだストームの復活は、世間から完全に認知されたわけではないのだ。
「どのみち、避けては通れない道だ」
「わかってるけど、早すぎるわよ」
 年末のコンサート。それを確実に成功させなくては、ストームにもJ&Mにも、間違いなく未来はない。
 ケイの目測では、このままホームサイトで宣伝するだけで、ドームは必ず満員になる。知名度はなくとも、派手なことはできなくても、その、小さな成功という実績を作るだけで、今は十分ではないか。
「風が、吹いてるんだ」
 風……?
 直人の、独り言のような呟きに、ケイは思わず眉を寄せた。
「今、少しずつだが、小さな風が吹いている。それが大きくならないことには、この先何をしても、いずれ、必ず東邦に潰される」
「…………」
「あと、たった2ヶ月で、俺たちはその風を台風にしなくてはならない。あの女がやろうとしているのは……そういうことだと、俺はそう信じている」



                10


「じゃ、明日は朝から事務所の方に伺いますんで」
 ほとんど将と年が変わらなそうな若いADが、笑顔で手を差し出してきた。
 現場では「カンチ」と呼ばれていた。もらった名刺には反町寛一と書かれている。ぼさぼさ頭の童顔が、少しだけ元マネージャーの小泉に似ていた。
 ひどく若そうなのに、この現場を取りまとめているのはこの男らしい。
「いいものにしましょうね、柏葉さん!」
「おつかれさん」
「ありがとーございましたっ」
「メシ、ご馳走さんっす」
 賑やかな喧噪の後、部屋には五人が取り残される。
 総勢十名で食べたりょう特製カレーは、もう空っぽだった。
 午前零時。初日の撮影は自炊現場と、スタッフもまじえた食事風景、雑談まじりのインタビュー、風呂に入って寝るところまで撮られた。それは、言ってみればやらせみたいなものだったが。
「……若い人たちばっかだったね」
 皿を片付けながら、聡が呟いた。
「制作で一番若い班だって言ってたね、むしろこっちが圧倒されたよ」
 将もそうだが、残る四人のメンバーも、あまりに暖かなテレビクルーの対応に最初は戸惑うばかりだった。
 が、年も殆んど変らないスタッフは、最初からストームに好意的で、そして将の事件に同情的だった。その、建前ではない熱意が、いつのまにか昔からの友達みたいに、全員の心をほぐしてしまったのかもしれない。
 気づけば意気投合して、遅くまでカレー片手に語り合っていた。まるで、昔からの仲間同士のように。
「いつのまにか、テレビは敵、みたいな感覚になってたのかな、俺ら」
 鍋を片手に流しに立った雅之も呟く。
「テレビも、その向こうにはちゃんとした人がいるんだね、……今日は、本当に楽しかったよ」
 りょう。
「俺らもそうだけど、あの人たちも崖っぷちなんだよな」
 将は、かすかに溜息を吐いた。
 ジャパンテレビが東邦に買収されるのは、いまや不可避の事態らしい。現場の悲鳴を、将にしても、今夜初めて生で聞いた。
 ジャパンテレビは、すでに買収後を見越した改革派と保守派でまっぷたつに割れ、社内は不穏な空気に包まれているという。
 「情熱王国」はその中では保守派の最先鋒、あえて、東邦へ迎合する一部上層部への批判もこめて、今回、ストームの起用を決めたのだという。
(確かにネットでは批判の声が大きいですけど、逆に現場では擁護論ばっかなんですよ、ストームさんの)
(それがむしろ、世間の本音というか、真実の声なんじゃないかと、僕らは思ったわけです)
(僕らも経験あるから判りますけど、流れっていうのは、ある時いきなり、なんの前触れもなく変わっていくもんなんです)
(ストームさんは、今が、その時だって感覚があります。正直、柏葉さんの復帰はものすごい冒険ですけど、いけると思いますよ、このままの流れで)
「真咲サンは?」
 あくびをしながら、憂也が言った。
 社長でもある水嶋から、同居は不可と念押しされているにも関わらず、最近の憂也は暇さえあれば、このにわか合宿所に詰めている。
「プロデューサーさんと、先に下に降りてったけど、もどってくんのかな」
「バックも上着も持ってったから、戻んないんじゃねー?」
 将は、嘆息してから、机の上に散らばった企画書や構成表を片付け始める。
 あの女に関しては、なんだか昔に逆戻りされたみたいな微妙な腹立たしさと寂しさが残っている。
 今夜も、やり手そうな三十代後半のプロデューサーとずっと話し込んでいたしずくは、こんな言い方をしていいのなら、完全に女を武器にしていた。
「バックとか上着とか、つか、そういう細かいとこ、普通みないよ」
 台所から戻ってきたりょうの、笑うような声がした。
 将の隣に立って、片付けを手伝いはじめる。
「なんの話だよ」
「そんな不機嫌装わないで、送ってったら?」
「いいよ、別に、タクシーでも拾うだろ」
「あのさ、将君」
 憂也が立ち上がって台所に入っていく。そのタイミングをみはからうように、りょうは静かな横顔で言った。
「前、将君言ったじゃん、一緒にいられる時は一緒にいろって」
「…………」
 言った、確かに。
 が、その言葉が本当にそれで正しかったのかどうか、後になって将には判らなくなった。
 そして今、聡はミカリと頑なな一線を引いており、雅之は凪のことを一切口にせず、りょうは、過去のすべてをふっ切っている。
 別にだからというわけではないが、今の将の立場で、恋愛感情を口にするつもりはないし、そんなことで悩んでいる時間もない。
「言ったけど、今は違うだろ」
「どういうこと?」
「今はその時じゃないってことだよ」
「なんで?」
 真顔で問い返され、逆に将は戸惑っている。
「なんでって、」
「俺は今だと思うな」
「…………」
「おかしな言い方だったら、ごめん、俺の勝手な感覚で悪いけど」
 将は無言で、りょうの端正な横顔を見る。
「俺と真白は今じゃないんだ、でも将君と真咲さんは、逆に今しかないような気がする」
「…………」
「そういうのって、どっかで宿命みたいに決まってるのかな、人の関わり合い方ってそれぞれだから」
 わずかに、その横顔がやさしく笑った。
 変わったな、将は少し寂しいような不思議な温かさの中で思っている。
 りょうは変わった。本当の意味で、昔とは違う場所で生きられるようになった。
「俺らはさ、いってみれば将君に信じられてる真咲さんのことを信じてるんだ」
 りょうは、穏やかに笑って将の肩を叩いた。
「将君が揺れてると俺らまで不安になる。聞きたいことあるんだったら、今、おっかけて聞いた方がいいんじゃない?」
「おせっかい」
「昔からね」
 笑うりょうの頭をはたいてから、将はきびすを返していた。
「あれ、どこ行くの、将君」
 雅之の声がする。
「このヤボ!」
「空気読めよ、ボケ!」
 そんな仲間たちの声を聞きながら、将は苦笑して駆け足で玄関に向かっていた。







                

 

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