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 ふと気づくと、背後の通路に長身の影が立っている。
 真白は、席をたって階段を上がった。ファミリー席、四つあった空席は、ひとつをのぞいて埋まっていた。柏葉将の両親と妹。三人は今、ステージに立つ彼らの家族を、楽しそうな笑顔で見つめている。
「真咲さん」
 通路に出た真白は、人影の前に立ち、丁寧に一礼した。
「ごあいさつが遅れて申し訳ありません。その節は、大変お世話になりました」
「ん?」
 なんの話?と、笑うしずくの傍らには車椅子があった。
 真白は、およそコンサートには似つかわしくないその取り合わせに眉をあげる。車椅子にしっかりと固定されて座っているのは、白髪で、頬の垂れた老齢の男性。
 昔は恰幅がよかったのだろうが、骨ばった身体は、着ているものを抜いてしまえば、骨と皮だけだろうという印象がした。
 挨拶をしようと、かがみこんだ真白は表情をとめていた。かつて、老人ホームで仕事をしていたことがあるから判る。感情を持たない目。もう、随分痴呆が進んでいるのだろう。
 しずくの傍らに、大きな荷物があるのを認め、真白は無言で、その隣に肩を並べた。
 ステージでは、5人が笑顔で歌っている。笑っている。走って、大きく手を振っている。
 曲の合間、綺堂憂也が掛け声を出すたびに、観客から一斉にコールが返る。
 その憂也の声は、完全につぶれている。すりきれている。東條聡の声も限界だ。それをカバーしているのは、もうステージに立つ仲間たちだけではない。観客が声をはりあげ、一斉に歌っている。客席を埋める5万5千の観衆、青い光、青いリボン、総毛立つほどの一体感。
 真白は初めて理解していた。言葉では知っていても、感覚で理解したのは初めてだった。
 コンサートは、5人で作るものじゃない。お客さんと一緒に作っていくものなんだ。そうやってはじめて、この素晴らしい、奇蹟のような歓喜の空間が生まれるんだ。
 お客さんが愛しいんだ。
 昔りょうが言っていたその言葉は、きっと嘘で偽善でもない。
 一期一会のこの時を、同じ感情をわかちあって過ごすことができる仲間だから。だから――愛おしい。
 ステージの上で笑うりょう。こんな、弾けるような楽しそうな笑顔を、真白はまだ見たことがない。

 
電光石火 一気上昇 戦闘態勢 いんじゃない
 留め置かれる フラストレーション
 抑圧を嫌う ジェネレーション
 性に会わない 全然似合わない なぜ俺こ こにいなきゃいけない?


 柏葉将の小気味いいラップ。いつもより切れがよく、声も出ている。
 いや、何より、いつもより何倍も輝いてみえる。
「また、いなくなっちゃうつもりですか」
 歓声の中、声が届いているのかどうかは判らない。
 しずくの横顔は、わずかに笑っただけだった。
「行かないでください」
 真白は、力をこめて言っていた。
 りょうから聞いていた。柏葉将とこの人には、もう、今しかないことを。
「柏葉将は、あなたのことが好きなんです。すごく、すごく大好きなんです。お願いです。このコンサートが終わっても、彼の傍にいてあげてください」
 しずくの横顔は動かない。ただ無言で、目の前のステージを見つめている。
 音楽が途切れる。5人がゆっくりとステージ中央に歩み寄ってくる。
「本当のこと言うとね」
 静かな声がした。
「自分でもよくわからないんだ。彼を見ているのか、彼でない別の人を見ているのか」
 その意味を解しかね、真白は隣立つ人の西洋人形にも似た横顔を見上げる。
「彼を見ていると、ずっとその影がついて回るの。振り払おうとしても忘れようとしても、消えないの。それってどう?ひどい話だと思わない?」
 よく……わからないけど。
「私の知っている、柏葉将は」
 真白は言った。
「例えそうだとしても、全然気にしないと思います」
 しずくの横顔が、わずかに笑ったような気がした。
「その、誰かの思い出ごと」
 絶対に。
「あなたのこと、大切にすると思います」
「今日は、本当にありがとうございました」
 柏葉将の声がした。
 言葉を続けようとした真白は、意識をステージに戻している。
「今年は、色んなことがありました。みなさんに、沢山迷惑をかけて、沢山心配をかけてしまった。本当に、本当に申し訳ありませんでした」
 メインステージ中央。
 5人揃って、深く頭を下げている。
 歓声と声援と拍手が飛んだ。
 静かなメロディが流れだす。それは、初めて聞く旋律なのに、どこかで聞いたことがあるような気がした。
「ただ、こんな僕らを今日まで信じて、2005年最後の日、ここに集まってくれたみなさんに、今は感謝の言葉しかありません。ありがとう、本当にありがとう」
 マイクを持ちかえて、柏葉将は顔をあげた。
 オーロラビジョンにその顔が映し出される。笑顔だったが、その目は、わずかに潤んでいるようにも見えた。
「集まってくれたみんなや、いろんな人に助けられて、 離れ離れになった僕達が今このステージにいる」
 メロディが高まり、柏葉将の背後で、4人がマイクを取って歌い始めた。


 
未来はいつも儚くて
 成功には遠すぎて
 信じる気持ちまでも
 手放そうとしたけど

 やっぱり仲間は大切で
 離れられない親友で
 やっと気づいた僕達が
 今伝えられる言葉

 それこそが奇蹟だよ
 ここに来てくれて
 ありがとう
 本当にありがとう



 途絶えることない歓声の中、5人が深々と頭を下げる。
「最後に、僕のわがままになりますが、この曲を歌わせてください」
 柏葉将がマイクを置いた。セットが動き、ステージ右隅に滑り出てきたグランドピアノ。その前に立ち、将は再度客席に向かって頭を下げた。
 客席は静まりかえっている。
 時刻は11時53分。おそらくこれが、今年最後の曲になる。
「君がいる世界」
 将の指が、鍵盤を撫でるように動き、美しい旋律を奏で始めた。

 
君に届けたいものがあるんだ
 それが判らないから歌い続ける


 柏葉将のソロ。
 その後を、4人が追って全員のユニゾン。

 
ひとつひとつ
 雨が降る石段を
 踏みしめながら上がっていくよ
 その先は真っ暗で
 何も見えないんだ
 誰もが必死に
 他人を蹴落としてでも頂上を目指してく
 それが僕のいる世界の全てだった


 しずくが、ふいにしゃがみこんだ。車椅子の老人が、何かうめいたような気がした。
 真白に、その会話までは判らなかった。ただ、それまで動かなかった老人が、必死で手を動かそうとして、しずくがそれを助けているのだけが判った。


 
この素晴らしい世界で
 奇蹟のように
 めぐり合う生命
 僕ら、ひどく儚い存在
 ひとりじゃないと判ったから
 今を輝くのが生きている証だと気づく



「どうしましたか」
 隣の同級生に問われ、片瀬士郎は首を振って、片手で目を押さえていた。
「嬉しいんです」
 どうして俺は。
 今まで、息子のしていることを見ようともしなかったのだろう。認めようともしなかったのだろう。
「こんなに沢山の人が笑っている。これほどの人が喜んでくれている。息子が、そうさせていると思うと……嬉しくて」
「人は、なんのために生まれたのかと、時々思うことがあります」
 魚屋食堂の板前は、重みを帯びた声で言った。
「そこに、様々な使命や目的はあるでしょうが、これに勝るものはないと思います。生きている間に、一人でも多くの人に喜んでもらうこと」
「…………」
「あなたの息子さんは、一人の男として生きるには残酷だが、そういった使命を持って生まれてきたのかもしれませんね」
 片瀬は無言で頷いた。だとしたら……だとしたら。
「本当に……素晴らしいことだと思います」


 
僕らがいる小さな世界は
 争いと憎しみと欲望に満ちて
 時に、夢も希望も踏み潰されていく
 抱きしめて切ないくらいに祈るよ
 この小さな翼で、
 僕は、君を守れるのかな



「なるちゃん、かっこいいなぁ」
「そうね」
 ませた娘の口調に、梁瀬恭子は苦笑している。
「ママ、逃した魚はおっきいと思ってるでしょ」
「ぜーんぜん、ママ、こう見えてもモテモテなんだからね」
 娘は笑わず、ステージを食い入るように見つめている。
「ママ」
「ん?」
「あたし、セーラー戦士になる」
「ええ?」
「なるちゃんと約束したんだ」
 大きな目をきらきらと輝かせて、娘は母親を振り返った。
「あたし、女優になる。絶対いつか、なるちゃんと一緒に、ステージに立つ!」


 
何もできないなんて世間の連中は言うけれど
 歌うたいに何ができるのかと
 頭のいい連中は笑うけれど
 託した火の行方なんて見えなくていい
 誰かが継いでくれればいい
 僕らはまるでリレーのように
 命を継いで生きていくから



 それまで、どこかクールに取り澄ましていた逢坂が、初めて顔をくしゃくしゃにした。
 片野坂は、無言でその肩を抱いてやった。
「よかった……」
 スタッフ通路から舞台を見ている2人の視界に、メインステージ背後のバックスクリーンに流れる文字が映っている。
 春のライブツアー「チームストーム」でやったのと同じ、コンサートスタッフ全員が、そのエンドロールに記されている。
 片野坂イタジ
 逢坂真吾
「俺、この仕事やっててよかった、こんな……すげーことに、名前残せて」
 子供みたいだな。
「本当に……よかった」
 そう思いながら、泣きじゃくる30男の背を叩き、イタジの目も熱くなっていた。
「まだまだ泣くには早いぞ、逢坂」
「わ、わかって、ますよ」
「あいつらには、ステージが終わったら、真っ先に教えてやらないといけないな」
 アーベックスで、今度はタレントを中心とした内乱が起きた。荻野の元へ移籍すると主張したトップアーティスト引き止めのために、アーベックスは、いったん解雇した荻野を社長として復帰させたのである。
 そして。
「ストームは、これで終わりじゃないんだ」
 イタジは、力強い口調で言った。
「まだまだ俺たちの仕事は終わらないぞ、逢坂」
「はいっす!」


 
君を守る翼が力尽きても
 たった一人、君がそこで笑ってくれれば
 僕は、届けたものの意味を知るだろう

 信じているから
 誰かの笑顔が強さになって、それが世界を変えていくと



「真白さん」
 階下から、流川凪が、そっと手を振っているのが見えた。
 階段をかけあがってきた凪は、少し口惜しそうにステージを振り返る。
「ごめんなさい、私、そろそろ出なきゃ」
「えっ、もう?」
「ボランティアスタッフで、帰りの誘導とかやるんです。私、一応リーダーだから」
「そうなんだ」
 凪の、猫のように敏捷で綺麗な目が、じっと真白をみつめている。
「もしかしなくても、ここで私たち、お別れですね」
「そうね」


 
泣かないで
 僕はここにいる

 泣かないで
 ここで君を見守っている

 信じていて
 このすばらしい世界で
 僕らはきっと
 もう一度めぐり合う生命のしずく



 ここ。
 歌詞が、違う。
 真白は、思わずしずくを見ていた。
 彼女の名前と同じフレーズ。それは、元曲には絶対になかった。


 
君に届けたいものがあるんだ
 だから僕は、今日も歌を歌い続ける



「将に……伝えて」
 初めて、しずくの、人形のように怜悧な横顔に涙が伝った。
「私……待ってるって」
 この人でも、泣くんだ。
 真白も、そしてその場に居合わせた凪も、言葉をなくしたまま、その綺麗な横顔に伝う涙を見つめている。
「ガラスの靴は置いていかないけど」
 涙を払って、しずくは笑った。
「どこにいても、君が迎えにきてくれるのを、私、ずっと待ってるから」



 カウントダウンのコールが始まる。
 10.9.8.7……
 新しい年が明けようとしている。
「じゃ、行きます、私」
 凪が、笑顔で手を振って走り出す。
 しずくの姿は、もう会場から消えている。
 不思議にすがすがしい気持ちのまま、真白は眼前に広がるドーム全体を見回してみる。アリーナ席、2階席、3階席、どの顔も笑っている、歓喜と幸せに溢れている。
 素晴らしい世界。
 この、素晴らしい世界。
「真白、そろそろ帰らないといけないけど」
 いつの間に傍らに来たのか、母親がそっと囁いた。
「いいの?このまま会わずに別れて、後悔しない?」
「しないよ」
 真白は笑って、ステージに立つりょうを見つめた。
 大丈夫。
 大丈夫、私たちはきっと、また会える。
 この、素晴らしい世界の中で。






「これは、私が愛読している、小林正観という方のご著書に書かれていたことですが」
 じっとモニターを見つめていた織原瑞穂が、ふいに口を開いた。
「釈迦は、仏の世界に住んでいる4種の人を、こう挙げておられるそうです。如来、菩薩、明王、天」
 天。
 最後の聞きなれない言葉に、唐沢は耳を止めている。
「韋駄天、帝釈天、毘沙門天、吉祥天、……韋駄天はご存じの通り、瞬足の達人です。帝釈天は剣の達人、つまり天とは、一芸に秀でた人を指すのだというのです」
「…………」
「一芸に秀でた人とは、いってみれば仏の世界の住人なんです。唐沢さん」
 天――天か。
 モニターを見つめながら、織原は続けた。
「アイドルは……ストームは、もしかすると天の世界の住人なのかもしれない」
「おおげさだ、お前のそう言うところにはついていけない」
 肩をすくめて否定しながら、それでは、彼らは一体なんのために生まれてきたのかと唐沢もまた考えている。なんのためにこの地上で、闇と戦いながら生きているのかと。
「それは、地上を照らすために存在する……光だ」
 モニターの中では、緋川がマイクを持って歌っている。その背後ではマリアが踊る。広いドーム、あるだけのゴンドラと移動ステージがフル稼働して、絢爛豪華なアイドルの光を客席の隅々にまで届けている。
「それは大きな、……大きな光だ」









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「どうすんだよ、まだ、全然コールがとまんねーんだけど」
「出ようぜ出ようぜ、こうなったら、何度でも出ようぜ」
「ばーか、臨時便だって終わっちまうだろ」
 途切れることないアンコールが、まだ控え室にまで届いてくる。
 これ、夢かな。
 実際、将は夢うつつの中で思っている。
 もしかしたら、今日が人生最後の日で、神様が最後にいっぺんだけ、超幸せな夢、見せてくれたのかもしんねーな。
 だってさ、普通ありえねーだろ。
 緋川さんと美波さんが同じステージでコラボ歌って、マリアもスニーカーズもサムライもなにわも、ヒデ&誓也も、みんなで一緒に歌ってるなんて。
「将君、どうするよ、みんなノリノリで手がつけようもねーんだけど」
 憂也の問いに、もう、将は答えられない。
 感情が、もう言葉として出てこない。
「将君?」
 りょう、心配すんな。
「おい、将君!!」
 大丈夫だって、騒ぐなって。
 少し、疲れただけだからさ。
 少し眠れば戻るから、それまで、ちょっとだけ待っててくれ。
「これ……まずい、かなり内出血してるみたいだ」
「おい、誰か救急車呼べ!」
「柏葉、しっかりしろ、柏葉!」
 見ただろうな、バカ女。
 5万5千の観衆と作る最高の空間。これが俺の奇蹟だよ。お前の氷みたいな心に、ちょっとでも響いてくれたらいいけどさ。
 だって。
 今日来てくれたファンにはわりーけど。
 誰より――愛しているから。
「将君!!」
「馬鹿野郎、死んだら、しゃれになんねーっつっただろうが!」
「将君、起きろ!!」
 光が見える。
 それは眩しく、天に向かって一気に駆け昇って行く5人の手から、足から、全身から迸っている。
 虹色の光。
 それはやがて、きらめきながら、遠くに遠くに、永遠の果てに過ぎ去っていく。
 もう、将の耳には歓声しか聞こえない。
 ストーム、ストーム、ストーム、ストーム
 いつまでもいつまでも、永遠に繰り返すメロディのように。
 ストーム、ストーム、ストーム、ストーム……
 永遠に続く歓喜のように――。
























                               最後の敵(終)






 

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