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「おかえり」
 扉を開けた将は、思わず買い物袋を落としそうになっている。
 その背中に、勢いよく聡の鼻頭がぶつかった。
「おっ、さすが地球に優しい柏葉君、レジ袋じゃなくてマイエコパックですか」
「う、うるせーよ」
 買い物を袋覗き込むしずくから、少し慌ててそれを隠す。
 背後で、りょうが笑いをかみ殺して、聡と雅之は、意味もなく慌てている。
 憂也が、軽く口笛を吹いた。
 しずくは、淡いグレーのジャケットに少しタイトなスカート姿。胸もとが開いたニットから、綺麗な鎖骨がのぞいている。仕事の帰りかな、と将は思った。髪はうしろでひとつに括り、いずれにしても仕事の延長のような雰囲気だ。
「お、おじゃまします」
「お世話になってます」
 と、やや居心地が悪そうに、聡、雅之が二人をすりぬけて室内に上がっていく。
「んじゃ、りょうちゃん一人じゃ可哀想だから、俺が手伝ってやっか」
「真咲さんも食うよね、カレー」
 逆に、余裕の表情で通り過ぎていく憂也とりょう。
 しずくは肩をすくめ、えくぼを浮かべて将を見上げた。
「なんでしょね、この空気」
「俺に聞くなよ」
 多分、気をきかされたことを見抜かれている、将は軽く咳ばらいした。まるで出会いがしらの事故みたいに唐突に玄関口に残された二人。
 しずくは後ろに手を回し、笑顔を口元に刻んだまま、少しだけ視線を下げた。
「イタちゃんに聞いたけど、自炊してるって本当だったんだ」
「ま、憂也以外金持ってねぇしな」
「あはは、うち、まだ一回もお給料だしてないもんね」
「仕事だってしてないだろ」
「悪いけど、部屋の中見せてもらった。……懐かしかったな、めちゃくちゃなものいっぱいつまって、ガラクタ小屋みたいな宝箱。まるで大学の部室みたい」
 横顔が少しだけ寂しげに見えた。
 将はわずかに眉を寄せる。
「……別に、見たって悪くはないだろ、元々はおまえの部屋なんだし」
 なにしに来たんだろ。
 この部屋は、しずくの自宅だったものが売却され、今は事務所名義、つまりJ&M名義になったものだ。
 寮がわりだ、と唐沢に言われ、将は正式にここに住むことになった。4LDKの広い間取り。そこに、家を出てきたりょう、聡、雅之が入り込み、今は四人で共同生活。憂也も時々それに混じる。
「つか、最近、あんま、事務所にいないね」
「そ?たまたま会わないだけじゃない?」
「そっかな」
 最近のしずくの動向が、将にはいまひとつ判らない。
 唐沢に主だった経営を任せ、しずくは専ら社の広報にあたっていると、イタジから聞いてはいる。が、先日のライブライフ、スターダストプロとの共同記者会見にしても将には全くの寝耳に水で、今も、事務所を離れて単独行動しているしずくは――将にとって、感覚的に、奇蹟リリース前のそれに近い気がした。
 性質の悪い何かをたくらんでいる予感がするのに、それが全く読めない感じ。
「で、今日は何の用だよ」
 将が言った時、しずくのポケットで携帯が鳴った。将にいたずらっぽい目くばせをし、しずくは取り出した携帯を耳に当てる。
「はい、真咲です。ええ、今全員帰宅したところ。五分くらいでつくの?じゃ、それまでに説明しとくから、はい、お願いしまーす」
 え?
 全員帰宅したところ。……説明?
「取材よ」
 携帯を再びポケットに滑らせたしずくは何でもないように言って、将に笑顔を向けた。
「ここで?」
 リビングに続く扉を開けるしずくの後を、少し焦って将は追う。
「そ、ここで。ストーム復活に向けての涙の軌跡、若者たちの青春群像、ま、コンセプトはそんな感じ」
「どこの取材だよ」
「んー?テレビ」
 テレビ?
「まさかと思うけど、今日これから?」
「そう、五分もしたら、クルーの皆さんがこっちにつくから」
「いや、だって」
 そんな急に。
 しかも、ストームを完全に締め出しているテレビの仕事?
 リビングの中。
 各々の実家から持ち寄った家具が、広い部屋に統一感ゼロの色彩で並べられている。
 テーブルでは憂也とりょうが食材を並べ、雅之と聡は洗濯物を取り込んでいた。
「おい、待てよ」
「みんな、聞いて」
 将を遮り、しずくが声のトーンを高くして、手を叩いた。
 全員が、少し驚いた風に顔をあげる。
「報告」
 しずくは、にっこり笑うと、細くしまった腰に腕をあてた。
「随分待たせちゃったけど、年末のドーム公演、10月末日にストームのメンバーが公表されることになったから」
 将の視界にはその綺麗な背中だけが映る。
 将は、視線を下げていた。
 いよいよか。
「もちろん俺も入ってんだよな」
 即座に軽い口調で憂也。
 しずくは、華やかな笑顔のまま、食卓の椅子に腰を下ろした。
「ひとまずね。ま、正直言うと、君の事務所の意向もあって、ここまで公表が遅れたんだけど」
「ひとまずって?」
 口調は軽くても、憂也の声は真剣だ。
 いまだ、ストーム復帰についての承諾を出し渋っている、憂也の所属事務所社長水嶋大地。オフィス水嶋とJ&Mで、何度も協議を繰り返しているようだが、互いの主張は平行線、いまだ上手くまとまっていないらしい。
 しずくはかすかに笑って、その憂也の手から、林檎を取り上げて光にかざした。
「だから、ひとまず。メディア向けの言葉で言えば、一夜限りのゲスト参加ってことかな」
「……ふぅん」
「含みはもたせるから心配しないで。水嶋さんだって、コンサートの結果しだいじゃ考えなおしてくれると思うから」
「…………」
 明らかに納得していない風の憂也だが、水嶋社長の立場では、それが最大限の譲歩だったのかもしれない。
 なにしろ、憂也には、ライス食品、TOYODA自動車という、大手CMスポンサーがついている。水嶋一人というより、それら契約企業の意向もあるだろう。
 そして、それが水嶋の脅しではなかったらだが、ハリウッド映画「最終防衛線」のキャスティングもかかっている。
 覚悟していた時がきた。
 将は、振り返らないしずくの背中を見る。その将の肩を、歩み寄ってきたりょうが、軽く叩いた。
 大丈夫だよ、その目がそう言っている。
 雅之も聡も、物言いたげな目で将を見ている。
 わかってる、将は頷く。
 運命共同体だ、そう言ってくれているのだろう。新生ストームに柏葉将の名前が出ればどうなるか。また、夏のような異常な騒ぎにならない保証などどこにもないのだ。
 折しも緋川拓海事件からくすぶっていたアイドルバッシング、その最中に起きた逮捕劇。あの時は、世論をたてにとった日本中のマスコミが将を批判し、謝罪と反省を求めてきた。
 将は――ファンには謝罪したが、被害者には謝罪しなかった。事件の状況や動機も、一切説明しなかった。無論、これからも一切公言する気はないし、謝罪するつもりもない。
 そんな将の態度を、マスコミやネットユーザーは傲慢、反省がないと、叩くだけ叩いた。結果的にストームが解散するまで、その騒動は続いたのだ……。
 今でも、同じ火種はネットの中で、爆発前の導火線のようにくすぶっている。それに一気に火がついた時の恐ろしさは、将だけでなく全員がよく知っている。
 ここから、戦いの本番が始まる。
 ただ一人、楽しそうに笑っているしずくは、手にした林檎を憂也に軽く投げ返した。
「で、それに先駆けてテレビの取材が入ってるんだな、これから。情熱王国、知ってると思うけど一時間枠のドキュメンタリー番組。そこでストームの復活に至るまでの経緯を、ドキュメンタリー形式で放送したいんだって」
「…………」
「……え?」
「テレビ??」
「つか、マジですか、それ!」
 口ぐちに叫んで立ち上がった四人が、しばし、固まる。
 唖然とした白い沈黙。
 テレビ。
 もしかすると、永遠に干されるかもしれないと覚悟していた……テレビ?
「そ、それ本当なら、一体どんなマジックつかったんすか、真咲さん」
「やるなぁ、さすが俺が惚れちゃっただけあるよ」
「ゆ、憂也、オイ」
「使ったも何も、向こうから勝手にオファーがあっただけ」
 しずくは肩をすくめて腕時計に視線を走らせる。
「君らのここでの共同生活、事務所でのミーティング、稽古、そんな映像とインタビューで繋げるみたい。即席にはなるけど、うちの希望もあって、オンエアは10月末日、つまり、ストームメンバーの公表と同日になるから」
 しずくは将を振り返った。
「それから、事後承諾になって悪いけど」
 将は無言で目をすがめる。
 将を見つめるしずくの目は、将にとってはどこか遠い、別世界の人のものになっている。
「柏葉将の父親のエピソードも、そこで出してもらうつもりだから」
 将の背後で、騒いでいた4人が、固まったのが判った。
 将は、冷静に聞いていた。
「……どっちの親父のこと?」
「ストームの宣伝になる方、奇蹟のオリジナル楽曲提供者の方」
「……………」
 それは。
 将は、しばらくうつむき、そして大きく息を吐いた。
 こっちから、真田のおっさんに喧嘩売るってことか。このぎりぎりの状況で。
 マジで、この女だけは……。
「別にいやなら、逃げてもいいのよ」
 どこまでも、俺を追い詰めるためだけに存在している女。
「……それは、そういうので事後承諾は、ちょっとないんじゃないっすか」
 雅之が、戸惑った声で口を挟んだ。
「そ?この程度の覚悟くらいあると思ったから決めたんだけど」
 平然としずく。
「奇蹟の楽曲提供者が、実のお父さんだったなんて、ドラマでもなかなかない設定よ?日本人は人情に弱いし、使わない手はないと思うけどな」
「将君の、プライベート売ってまでやることですか」
 静かな声でりょう。
「奇蹟が今、レコード店全てから撤廃されて、実質廃番扱いになってるのは知ってるでしょ?」
 切り返すしずくの声も、静かだった。
「イタちゃんや逢坂君が、連日営業に回ってくれてるけど、今のところ、どのレコード会社でも門前払い。奇蹟をもう一度、日のあたるところに出したいと思わない?もう一度あの曲を、ヒットチャートに乗せたいとは思わない?」
 りょうは黙り、全員が口をつぐむ。
「そのためにはもう一度、奇蹟にスポットを当てる必要があるのよ」
「いいよ、わかった」
 将は顔をあげていた。
「いいのね」
 確認するように、しずく。
「君の実親の名前を出すことになるけど、ご両親にはどう言うつもり?」
「……親は、今夜にも俺から説明する。多分反対は、されないと思う」
 もう、その程度の覚悟なら、将より両親の方がよほど腹を固めている。
 迷いを振り切るように、将は唇を噛みしめてしずくを見上げた。
「あんたを信じてるし、……任せようと思ってるから、そういうことは」
「…………」
 しずくが、わずかに首をかしげてから黙る。
 来客を告げるベルの音が鳴る。
「俺も、信じてます、あなたのこと」
 静かな声で立ちあがったのは聡だった。
 まだ何か言いたげな雅之を手で制して、聡はインターフォンに向かって歩き出す。
「そんな顔してないで、がんばろうみんな。これが新生ストーム、俺たちの最初の仕事じゃないか」







                

 

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