6
沈黙していたJ&Mが動きだした。
立ち上げ以来、日計10万以上のアクセスを記録する公式ホームページで、いわば、ファン向け株式公開ともいえる投資システムをスタートさせたのである。
ライブライフ、ネット投資会社ドリームダストプロジェクト、そしてJ&Mの三社が協力してたちあげたその新システムに、連日、深夜を超えてもアクセスがつながらないほど熱い視線が寄せられている。
これに先立って都内で行われた記者会見は、テレビでは殆んど無視されたが、週刊誌、ネット動画サイトでは大きな話題をよんだ。その一問一答を再掲する。
ライブライフ代表 織原氏
「本日、我々がたちあげましたのは、業界初となる、ファン参加型投資システムです」
ドリームダスト代表 飛嶋氏
「私どもの会社のターゲットはインターネット投資家だったのですが、J&Mさんの発案とご協力を得て、より広く門戸を開き、低リスクの投資を若い世代に浸透させることで、新たな顧客層を開発しようということになりました。そういった願いをこめて、この新システム開発に携わらせていただきました」
J&M代表 真咲氏
「その最初のモデルケースとして、私どもJ&Mが行う、ストームの東京ドームコンサートを選んでいただけました。これが成功し、業界のいい先例になれば、なによりだと思っております」
―――簡単に言えば、ファンに投資させるということですか。
真咲氏
「そういうことになると思います。当社を応援してくださるみなさんのご助力で、いいステージを作っていければと、そう思っております」
―――ひどい話だと思いませんか、まだ年末のステージに、誰が出るかもおたくは公表してないんでしょう。
真咲氏(以下、記者の質問の応対は全て真咲氏)
「投資受付開始前に、ストームのメンバーは当サイトにて公表いたします。それがいつになるかは、現在調整中のメンバーもおり、まことに残念ですが、はっきりしたことはお約束できません」
―――それは、具体的には綺堂憂也と柏葉将のことを指すと思っていいんですか。
「全員が、現在の仕事や生活のことを踏まえて調整していると、そういうことです」
―――メンバーの入れ替わりもあると、そういうことなんですね
無言。
―――投資といえば随分聞こえがいいですが、対象は十代のファンも含まれますよね、言い方はあれですが、ファンから、チケット代だけでなく、それより上に金をとるということになりませんか。
「投資ですから、無論リスクがないとは申し上げません。それはサイト内で十分啓発しますし、カード決済のみという形で、未成年者が無謀な真似をしないよう、十分配慮したいと思っています。そして投資ですから、逆に収益があれば、当然配当を戻します」
―――どんな収益を見込んでいるんでしょうか。
「当日のグッズ、チケット売上、及びDVDの売上などです」
―――何度も言うようですが、アイドル見たさに必死になるファンを、いわば、利用するような卑劣なシステムとは思いませんか。
「たとえば今まで、元来のJ&Mでしたら、ファンクラブ優先枠というのを設けまして優先的にチケット配布していたのですけど、ファンクラブ会費が、年間五千円ほどかかります。今回にしても、その程度の投資額だとご理解ください」
―――では、投資家は、優先してチケット枠をもらえると、そういうことですね
「そのような形にしていけたらと思っております」
―――熱心なファンなら、どうしてもコンサートに行きたいから、乗り気でなくても投資しますね。
「もちろん、チケットに関しましては、一般発売枠も設ける予定です、また優先チケットを望まない投資家も当然おられるはずですから、そのあたりは選択制という形で対応したとい思っております」
―――近年、オークションで、アイドルのチケットが高値で出回ることが社会現象になっています。そのような敷居の低い投資システムでチケットの優先枠が得られるなら、そういった現象にますます拍車をかけることになりませんか。
「どのような形でチケットを売り出すにしても、その危険性は同じことだと思います。もちろん、当社としても、十分な対策をとるつもりです」
投資受け付け開始は11月1日。
チケット一般発売開始は同月15日と発表された。
少なくとも今月中には、ストームのメンバー全員が公開されるものと思われる。
すでに自身の口からストーム復帰を公言し、事務所移籍を果たした東條聡、成瀬雅之は確実だろう。
実質引退していた片瀬りょうは体調次第、すでに上京しているとの噂もあるが、最後のステージで精神面のもろさを露呈しただけに、その存在はストームにとって爆弾でもある。
しかし、最大の問題はスポンサーが反対意思を表明している綺堂憂也(オフィス水嶋)。
そして、暴力事件を機に引退宣言をした柏葉将である。
綺堂憂也に関しては、いまさらストームに呼び戻されることに、一体なんのメリットがあるのか。おそらく所属事務所は猛反対しているだろうし、あきらめさせる方向で綺堂の説得にあたっているものと思われる。少なくとも移籍はありえないだろう、おそらく限定的な復帰になるのではないか。
そして、柏葉将。
柏葉将に関しては、再々新事務所に出入りしているという情報が得られているが、立場はいまだフリーのまま、タレントとしても社員としても、なんら正式な契約を交わしてはいない。
憶測ではあるが、ファンを吸引するひとつの目玉として、その復活を匂わせておきなから、実は、ストームには戻らないのではないかとも思われる。
仮に引退を撤回し、ストームに戻るとなると、その反発は凄まじいものになることが予想される。結果、新生ストームは、コンサートを成功させたとしても、今後テレビなどで活動することはできなくなるだろう。
これだけ世間の注目を集めながら、新生J&Mには未だスポンサーがついていない。
表だったメディアではいまだ静観が続いているが、ネット上の掲示板、公式サイト等には、脅迫にも似た書き込みが相次いでいる、つまり世間では、柏葉事件は依然色褪せていないのだ。
どのような事情が介在しようと、暴力は暴力だ。一部暴力行為を認め、J&Mの崩壊を招き、結果として世間をおおいに騒がした柏葉将の復活は早すぎる。
世論とモラルを忘れ、単に話題と注目だけを求める新生J&Mに未来はない。
7
「えーっと、このくらいかな」
足を止めて、雅之は額の汗を拭った。
「もうちょっと広いだろ!」
50メートルも離れた場所から、声を張り上げて将。
「そっか?」
慌てて、足でコンクリの地面をこすり、それから再び、チョークを使ってラインを引く。
夕闇に包まれている河川敷。
「ぜんっぜん、広さたんねーなぁ」
憂也が、さらに遠くから叫んでいる。やはり振り上げた手にはチョーク。 バックラインぎりぎりだが、無論、いくら河川敷が広いといっても本番の広さにはほど遠い。
「そりゃそうだ、本番はドームだもん」
「つか、どこでリハすりゃいいの、マジな話」
「当分はここしかねぇだろ」
遥か上に見える道路を、ジャージ姿の高校生らしき群が駆けていく。部活かな、と雅之は思った。この雰囲気が、何故だか妙に懐かしい。
「俺らって何に見えるだろ」
CDデッキを抱えた聡。
「せいぜい、高校生が文化祭のリハでもやってるってとこじゃねー?」
歩幅でステージの中央を測りながら、りょう。
「もっと空間、使いたいね」
「たとえば?」
そのりょうの前で、将が持参した図面を広げている。
「上とか下とか」
「上は判るけど、下ってなんだよ」
「客席ん中」
「あー、それダメ、唐沢さんに言われたけど、ドームは客席におりんの、基本タブーなんだってさ」
「基本だろ?」
笑うりょう、けれど目だけが笑っていない。
絶対なんか、やべーことやる気だな、そう思いながら雅之は、五人がかりでラインを引いた河川敷の仮想ドームステージを見渡してみる。
「でけー……」
「すっげーな、これ」
「前もこんなに広かったっけ」
「ばーか、実際はもっとでかいんだって」
「この川の向こう側くらいまであるよ」
同じ方向を見る五人の額を、川面から吹き上げる風が撫でていく。
広い。
つか、めちゃくちゃでかい。
「河川敷でリハしよう」との将の発案で、全員ここに集合したが、今日は全体の構成をイメージしてみるだけだろう。でないと、こんな場所じゃ声がそもそも届かないから、リハーサルなんてしようがない。
「出は、どうすんだっけ」
「りょうの案じゃ、天井からほら、なんか出てきて」
「無理だろー、危険だし、いったいどんくらい金のかかる演出だよ」
「だからそういうの、今は気にしなくていいんだって」
五人が、最初の、立ち位置につく。
聡がデッキのスイッチを入れた。
懐かしいメロディ、全員の脚が、同時に同じステップを踏んでいる。
「やっぱ最初は、デビュー曲だよな」
「この条件反射、もう職業病の域入ってるね」
ターンして、キック、片手をあげる。そのタイミングさえ狂わない。
すげーな、と雅之は思う。
こんなに離れていたのに、心さえ離れていたのに、身体だけは、一糸乱れないこの動きを秒単位で記憶している。
デビュー前、美波涼二から何百回も何千回も叩きこまれた、この基本ステップを。
「ここから三、四曲、立て続けに流して、その間に全体を回りたいね」
「スビード感殺さないように」
「とにかく有無を言わさない感じで」
イメージは、最初から全員同じものが頭にある。贖罪コンサートのようなノリの悪さで、二度と失敗はしたくない。
河原沿い、高校生らしきカップルが脚をとめて見下ろしている。新生ストーム最初のギャラリー、もちろん、向こうはただのストリートダンサーだと思ってんだろうけど。
暮れていく空。事前に区に許可を得ているから、購入したカードを入れて照明をつける。
通しで五曲、生ぬるい晩秋の夕暮れ、終わった時には全員の額に薄く汗が浮いていた。
「こっからの曲の流れなんだけどさ、一応三パターン考えてきたんだけど、みてくんねーかな」
将が構成表を広げる。その傍で、全員が頭を突き合わせた。
「どれも悪くないけど、ちょっとありきたりっつーか、いつものパターンになってねー?」
憂也が、汗を拭いながら言った。
「元来のもの、崩したいっていうのはあるよな、確かに」
りょう。
「俺は逆に、オーソドックスでいいと思うけどな。ストームの集大成みたいなコンサートなんだし」
聡。
全員のジーンズが、チョークと砂埃、泥と枯草で真白だ。
りょうは、伸びた髪を後ろでくくり、妙に大きな眼鏡をかけている。変装としては上出来だが、ちょっとやばい人に見えなくもない。
将はタオルを巻いて髪を覆い、あたかも大工か職人のよう。
聡は、さらにおっさんくさくて、そのタオルが鉢巻状になっている。
憂也は、赤いチェック柄のシャツに緩めのジーンズ、背が低いせいもあって、遠目でみると、お父さんの仕事を見にきた子供のようだ。
で、雅之は、うるさい髪をカチューシャで後ろに止めて、今日は河川敷でリハだというから、わざわざジャージに着替えてきた。ある意味、一番浮いているスタイル。
「なんかさ、……カテゴリーみたいな感じで、五人それぞれのイメージでパートわけしてみたらどうかな」
なんの気なしに、ふと雅之は呟いた。
「パート?」
「う、うん」
将の目が怖かったので、びびりながら頷く。
「ソロパートってことか?」
「い、いや、ソロってわけじゃなくてさ、なんつーの、カラー、みたいな」
「カラー?」
今度はりょうの、底しれない眼差し。
こと、コンサートの話になると、この二人の異常なまでの拘りと執念は五人の群を抜いている。うかつな軽口を叩こうものなら、灼熱と吹雪のオーラが待っているのである。
「そ、そう、なんつーの?例えば俺なら元気でバカで、憂也なら可愛くて」
「雅……」
「だーっっ、そういう意味じゃねぇし、離れろバカ!えーと、つまり、聡君なら落ち着いた大人な雰囲気だし、りょうならワイルドセクシーで、将君はかっこよくて男らしいじゃん?」
迫ってきた憂也を手で押しのけながら、雅之は早口で言いきった。
「そ、そんなイメージで、やってもいいかなって」
あれ?
というくらい、全員がしんとする。
りょうが、図面に落ちた枯草を手で払った。
「雅にしては、結構、まともなこと言うね」
…………いや、りょう。一応ひとつ年下のお前に言われたかねーんだけど。
「いいんじゃないかな、そのイメージで、中盤の構成を五パートにわけてさ」
聡が身を乗り出した。
「それぞれのパートで主役を決めるんだ、歌うのは全員なんだけど、センターはそいつ」
「いいね、それ」
「照明の色も、イメージで統一してみようよ、将君は赤で、りょうはピンク」
「はぁ??ピンクかよ」
「りょうは自分が判ってねぇなぁ」
「んじゃ、将君、その線でもっかい構成考えてみない?」
「…………」
「将君?」
聡に再度声をかけられ、ようやく将が顔をあげる。
まるで、夢から今覚めたような、将らしくない表情に、雅之は不思議な胸騒ぎを感じ、わずかに眉を寄せていた。
「なんだよ、将ちゃん、聞いてなかったのかよ」
笑いながら、憂也がその頭を軽くはたく。
「ああ……いや」
「将君が乗り気じゃなくても多数決で決定、ストームで入って、五人で魅せて、ストームでしめよう、それが俺らの終りで、そして始まりのコンサートだ」
「了解」
あきらめたように将が笑う。それで、雅之もようやく嬉しさがこみあげてきた。
動き出した。
本当に今、心の底からそんな気がする。
今年の春、無謀にもストームで企画したライブツアーの経験が、今になって生きている。
構成、将。
編曲、憂也。
振り付け、聡。
演出、りょう。
で、それら全ての補佐が雅之。
基本、そういう形で進められていくコンサート。無論、いずれは舞台演出のプロがつくだろうが、基本のプロットは五人で話し合って決めるように言われている。
「なんだよ、雅、思いだし笑いは気モチわりーぞ」
「そんなんじゃねぇよ」
それでも、雅之は笑っていた。
このあり得ないギャップはなんだろう。だって、リハが河原で、本番が日本最大級の収容を誇る東京ドーム。いくらなんでも、ちょっとぶっとびすぎた設定だと思う。
気がつくと、照明の下でも、字を追うのがつらくなっていた。夜はとっぷり更けている。
「……でも、こんなに広いと、なんだかイメージできないな、逆に」
聡が立ち上がり、腰に手をあてて嘆息した。
「ああ、ごめん、別に弱気になってるわけじゃないんだけど」
「判るよ」
将。
「なにしろ、想像を超えてるからさ、本番が。こんなことならTAミュージックアワードの時、もっとじっくり構成みてればよかったな」
聡の嘆息の理由が、なんとなく雅之には判る。
五人の知識と経験ではまるで見えてこないものが、今回は絶対にあるからだ。
目に見えない透明な壁が、多分五人の周囲数百メートルの範囲を覆っていて、けれどドームの果ては、多分それよりはるか向こう岸にあるのだ。
「前が、どうコンパクトにいくかだったろ、発想の根本が違うし、……逆に広がりすぎても分散するし、難しいね、すごく」
「勉強すっか、先輩のドーム公演でもみて」
実質三時間を超えるステージ。
走っても走ってもおいつかないほど巨大なドーム。そして、現実問題、想像するしかないその距離感と感覚。
「まぁ、そこは、全員で知恵だしあって、つめてくしかねぇな」
「最終的には、演出のプロがつくんだろうし」
「前やった、ほら、客席の上を通過するステージ、あれってまたやれるのかな」
「…………」
聡の問いに、将が、何か口を開きかけて、そして閉じた。
何が言いたいか判ったし、雅之も同じ気持ちだった。
―――前ちゃんがいればな。
前原大成。
りょうがどんな無茶を言っても、絶対に実現させてくれた人。
その情熱に、ここにいる五人が、逆に引きずられたことも一度や二度ではない。
「ま、無理なことこれ以上言っても仕方ないしな」
将が、自分に言うように呟いて顔を上げた。
その目がどこか、遠くを見ている。雅之は、その見えない視線の先を追っている。
「この距離をさ」
将はその目のまま、ラインを引いたはるか向こうを指さした。
夜空には、すでに月が輝いている。
「この距離を、当日は、何往復全力で走っても足りないくらいの体力がいるんだ。三時間、後にも先にもそれだけしかない、一回こっきりのステージだ」
はるか彼方、川の向こう岸では、街の灯りが瞬いている。
「ちょっと、走んねぇか」
そう言って、将はいきなり着ていた上着を脱ぎ棄てた。
「走るって、今から?」
瞬きをしながら、聡。
「今日だけじゃない、明日から毎日、歌と踊りのレッスンとは別に、朝夕の走り込みと、それからボイトレやろうと思ってる、俺」
「……ボイトレ?」
繰り返す雅之に、将は頷いて膝をついた。
「ボイストレーニング、それだけはこれから本番まで、みっちりプロに指導してもらおうと思ってる、今、コーチを、唐沢さんに手配してもらってっから」
「いや……それは、体力も歌唱力も、確かに基本なんだけど」
早くも靴紐を結び直す将に、聡が戸惑ったように声をかけた。
戸惑っているのは聡だけではない、初耳だ、ボイストレーニングのことなんて聞いてない。
「そんなによくばってる時間、そもそも俺らにあるのかな、当日の構成だってまだ何も決まってない、全員で合わせる時間なんてわずかだし、その間に構成つめて、曲のアレンジして、振り付けだって頭に入れなきゃいけないんだ」
将はそんな聡をスルーして、ストレッチをやりはじめる。
「将君」
「聞けよ」
将は顔をあげ、少し怖い目で聡を見上げた。
「これは演出より大事なことだ。じゃ聞くけど、三時間、歌って走って踊りきるだけの体力と歌唱力が、今のお前らにあるのかよ」
「体力は確かに必要だよ、でも、ボイストレーニングは、今焦ってやったって」
今までだって、J&Mで、芝居やダンスのレッスンはあっても、ボイトレまではしたことがない。基本、ショーを魅せるのがJ&Mアイドルのスタンスだから、重視されるのは常にダンス。歌唱力不足は、機械でいつも補っている。
「そりゃ……たった一回のステージだから、何もかも完璧にしたいのは判るけど」
聡が言葉を濁し、同意を求めるように憂也を振り返る。
「まぁ今回は、時間がね」
憂也は、首の後ろで腕を組んだ。
「おおげさでなく日本中が注目してるステージで、なのに悲惨なまでに人手が足りない。歌重視して、他のとこでボロ出すわけにはいかねぇし、微妙だね」
「今回は」
将は、膝の草を払って立ち上がった。
「今回は俺、演出上必要なとこ以外、全部生歌でいこうと思ってる」
「…………」
憂也が視線を止め、聡と雅之が、顔を見合わせる。
もともと喉が弱く、高声が不安定なりょうも、無言で将を見つめている。
「全部って、……ハモってるとこも?」
聡の問いに、将はなんでもないように頷いた。
「合わせる時間なら腐るほどあるだろ、憂也以外、俺ら一緒に暮らしてんだから」
「……それは、そうだけど」
戸惑う聡の気持ちが、雅之には判った。
アイドルは口パクだとバカにされているが、あの激しい振り付けで、そもそも歌などまともに歌えるわけがない。声は出ても、それは聞くに堪えないものになる。それがハーモニーともなると、CD通りのものを再現するのは不可能に近いのだ。
「……踊りを最小限にすれば、なんとかなるかもしれないけど」
聡が言葉を途切れさせる。
雅之にもその続きは判った。しかしそれでは、ステージが持たない。
「将君、俺たちが魅せるのは、歌だけじゃないはずだ。今までだって、口パクと生歌をうまく混合させてやってきただろ。そういうのじゃダメなのかな」
「俺は少なくとも、全曲生で歌いたいと思ってる」
将の眼差しと言葉は揺るぎない。が、わずかな間を置いて、その目がふいに優しくなった。
「……つか、また暴走しちまったかな、俺」
「いや……」
「みんなが難しいなら、俺一人でも受けるよ、ボイトレ」
将をのぞく全員が、微妙な眼差しを交わし合う。
「生歌は……確かに、理想だけど」
思わず呟いた雅之にしても、本音を言えば歌いたかった。
が、理想は理想だ。
今までだって、随分無理をして歌ってきた。でも、その時のコンサート映像を見るたびに、不揃いな生歌部分の聞き苦しさに、やはり無理があるんだな、と思い知らされずにはいられなかった。
将のラップは、後半は声が枯れて聞き取れないほどだし、りょうは音を外しがち、憂也にしても高音はいつも不安定だ。まともに歌えるのは聡一人。その聡にしても、踊りに力が入る曲では、やはり口パクで歌っている。
演出上、仕方ないのだ――今はそう思っている。
「踊りだって、見せ場のひとつだろ、将君」
聡が、思いつめた目で食い下がった。
「踊りと歌、両方見せるのが、俺たちのステージじゃないか」
「判ってる、だから踊りも歌も、今回はマジでやるんだよ」
「無茶だ!だったら振り付けからして全曲考えなおさなきゃいけない、今からだと二か月もないんだよ!」
「…………」
将は初めて、静かな目で全員を見つめた。
「それでも、やりたい」
「…………」
「すげー大変なことやろうとしてんのは判ってる、それでも俺、やってみたいんだ」
月を雲が覆っていく。
「……なんで?」
沈黙の後、わずかに肩をすくめたのは憂也だった。
「なんでそこまでこだわんのさ、後がないからってのはナシだぜ、将君」
「違う」
「どうだかな、これがラストだって匂いがプンプンしてっけど」
「そんなんじゃないよ」
少し黙ってから、将は静かに顔をあげた。
「俺らはただ歌うだけのアーティストじゃない、それよりもっと高度なものが求められる存在だと思ってるからだ」
憂也が、初めて眉を寄せた。
「高度……?」
戸惑って聞く雅之に、将はわずかに笑ってみせた。
「アイドルだろ、俺たち」
アイドル。
「お客さんは、全員俺たちに恋してるんだ、たった一回きりの逢瀬のために、六千五百円のチケット買って、必死の思いで俺たちに会いに来るんだ」
たった一回きりの。
「………………」
たった一回きりの逢瀬、か。
「俺、現実には無理だろうって判ってても、ずっと思ってた。その一回きりに、俺らの生の今を届けないでどうすんだって、ずっとずっと思ってた」
「…………」
「俺だって、いつもそんな真似ができるとは思ってない、今回だからだ、たった一日の、一回限りのステージだから、それができると思ってんだ」
雅之は、初めて、将がこのコンサートのコンセプトに「FINAL」をもってきた、本当の意味が判ったような気がした。正直言えば、雅之は嫌だった。まるでストーム最後のコンサートになるような予感がしたし、それより将が――。
何かの覚悟を決めているような、嫌な予感がしたから。
憂也も最後まで反対していた、けれど、今回も憂也は折れた。
雅之も折れた、将を信じようと思ったからだ。例えこの先何があろうと絶対に、俺達から離れたりはしないんだと。
力強い声で、将は続ける。
「俺たちは、ただ歌を届けるだけじゃない、三時間、踊って、笑って、驚かせて、感動させて、全身全霊で俺らを見に来た恋人を楽しませなきゃいけない、幸せにさせなきゃいけない。歌唱力、演技力、間を見きって笑いを取る力、話術、ダンスの技術、あらゆることが、ステージに立つ俺たちには求められてるんだ」
「アイドルの基本だね」
はじめて表情を緩めて、憂也が笑った。「ホストと同じだ」
美波さんだ。
雅之は咄嗟に思っていた。
ふいに涙が滲みそうになった。あれはまだキッズの頃だ、美波さんの口癖だった。アイドルはホストと同じだ、それが理解できないようなら、やめちまえ。
「俺、証明したいんだ」
将の目は、遠くを見ていた。
「アイドルの凄さを、今回、マジで、世界中に証明してやりてぇんだ」
全員が黙る。
そして将と同じ方向を見る。
風が吹いてくる、淡い星空の下に広がる街。
よく、わからないけど。
雅之は、うつむいて滲んだものを指で払った。
あの時美波さんに見えて、俺たちには見えていなかったものが、今は――見えているんだろうか。
ようやく、見えるようになったんだろうか。
随分、遠まわりしたけど、やっと。
「んじゃ、とりあえず走るか」
さばさばと言ったのはりょうだった。もう上着を脱ぎ始めている。
「言っとくけど、俺、速いよ」
「……だからさ、この少年ジャンプみてーな展開、勘弁しろよ」
うんざりした顔で、やはり上着を脱ぎながら憂也。
「つか、またサッカー部に戻った気分だよ」
それでも、雅之はわくわくしている。多分、その時より過酷だろう。舞台と並行しながらの稽古で、企画演出もやりながら、残る四人と歌と踊りを完璧にあわせなくてはならないのだから。
雅之は、暗い星空を見上げる。
いつだって俺たちの壁は高い。でも、越えられない壁なんて、絶対にない。
タオルを頭からはずした将が、河川敷の向こうを指さした。
「あの端まで行って戻ってきてここがゴール、三往復で一番おせー奴が、今夜のメシ当番な」
「ずっ、ずる、今夜は将君の……」
「よーい、スタート!」
「ひっ、卑怯だーーっ」
結局、五人で、もつれあうようにダッシュしている。
ようやく見えきた、五人の行くべき場所に向かって。
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