98


「お元気そうで」
 背後から声をかけられ、唐沢は足を止めていた。
 アーベックス本社ビル。
 受付前のロビー、唐沢は退社するところだった。振り返ると、数メートル離れた場所に、灰色のスーツを着た長身の男が立っている。
 唐沢は目をすがめていた。
 藤堂戒。
 元J&M専務取締役だった男は、口元に淡い笑みを浮かべ、ゆっくりと歩み寄ってきた。上背のある唐沢を、軽く見下ろすほどの長身である。 身体も厚みがあってたくましく、スーツがひどく窮屈に見える。
 眉が薄く、あばたの浮いた三白眼。
 藤堂は、その凶相に、どこかさげすむような笑いを浮かべ、それでも唐沢に向かって丁寧に一礼した。
「お久しぶりです、といいたい所ですが、テレビでお見かけしない日の方が珍しいほどで」
「元気だったか」
「見てのとおりですよ」
 藤堂は肩をすくめる。
 妙に挑発的だな、唐沢はと思った。立場ではすでに逆転した。今、藤堂は、芸能界でもトップクラスの芸能事務所の社長である。が、そんな立場を故意に誇示するほど底の浅い男ではないはずだ。
「時間があるなら、少し話さないか」
 唐沢は言った。
 態度の理由は、判らないようで、判る気もする。
「俺から連絡を取ろうと思っていた、よかったら飯でもどうだ」
「もうしわけないですが、忙しいので」
 冷やかな声が返ってきた。
 唐沢は時計を見る。確かに自分も、さほど時間があるわけではなかった。
「じゃあ、立ち話でもいい。さっき上で話を聞いたんだが」
「何か誤解されてはおられませんか。唐沢さん」
 笑いを含んだ声で遮られる。眉をひそめた唐沢を見下ろし、藤堂は肩をそびやかした。
「あなたに、親しくされる筋合いはありませんよ」
 唐沢は黙って、藤堂を見上げる。
「私とあなたの間には、最初から何もなかったんです。最初から私は、あなたの会社の内情を探るためだけに、あなたに近づき、傍にいた。あなたは獅子身中の虫を、それと知らずに使っていただけなんですよ」
「…………」
 何も言わない唐沢を、藤堂は憐れむような眼で見下ろした。
「変わりましたね、唐沢さん。あなたには失望しましたが、今となっては失望するにさえ値しない。いつからそんな、甘い性格になったんですか」
 甘い、か。
 苦い笑いが漏れている。実際、その通りなんだろう。
「ここに寄られたのは、奇蹟再リリースの件でしょう。徒労をこれ以上重ねないためにも忠告しておきますが、今後どのレコード会社も、J&Mを相手にすることはないですよ、絶対に」
「まぁ、そうだろうな」
 唐沢は笑って、ポケットから煙草を取り出した。
「どうだ、一本」
「は?」
 藤堂が薄い眉をあげる。
「実は、お前の会社が東邦と合併すると聞いて、心配していたんだ。しかし、元気そうで安心したよ」
「…………」
 ふいに黙ってしまった藤堂の表情に、むしろ怒りに近いものを感じ、唐沢は黙ってくわえた煙草に火をつける。
「あなたが、人を心配できるような立場ですか」
 苛立った、そして冷えた声がした。
「何があなたをそんな腰ぬけに変えたんですか。ストームですか、今の事務所の連中ですか」
「そうかもしれないな」
 煙を吐き出し、素直に唐沢は頷いていた。
「昔の俺は、立場でしか仕事をしたことがなかった。今は、人間としてやっている。他人に必要とされることで、本当の自分が見つかったような気もしている。甘くなったと言われればその通りだが、それが悪いことだとは思わない」
 唖然とした藤堂の目に、侮蔑の笑みが浮きだした。
「つくづくおめでたい人だな、あなたは。あなたは本当に、自分が他人から必要とされていると、本気でそう信じているんですか」
「…………」
「連中は、ただ利用価値のある神輿がほしかっただけですよ。そのためにあなたを引きずりだした。誰もあなた個人なんてね、必要としちゃいないんですよ」
「…………」
「自分という人間を、もっと冷静にみるといい」
 冷やかに、藤堂は吐き捨てた。
「あなただけではない。人間とはしょせんそういう関係でしか、互いを認めることができない。ギブアンドテイク、利用できるか、できないかだ」
 それだけ言って、言いすぎた自分に辟易したように眉をひそめると、藤堂は目礼してきびすを返した。
「奇蹟の再リリースは、俺の方から断った。今日は、そのためにここに来たんだ」
 その背中に、唐沢は言っていた。
「今日から、インターネットで奇蹟を配信する。お前も一度、見てみるといい」
 一瞬足をとめた藤堂が、振り返らずに歩きだす。
「もう一度、俺のところに戻ってこないか」
 声を張り上げて、唐沢は言った。
「俺は必要とされていなくても、俺にはお前が必要だ。藤堂、もう一度、お前と仕事がしたい」
 大きな背中は振り返ることなく、真っ直ぐエントランスに向かっていく。
「いつでも連絡してこい、待ってるからな!」
 扉が閉まる。
 藤堂が消えたガラス越しに、白いものが舞っていた。
―――雪だ……。
 外に出た唐沢は空を見上げる。
 耳にはまだ、さきほどの、藤堂の声が残っている。
(連中は、ただ利用価値のある神輿がほしかっただけですよ。そのためにあなたを引きずりだした。誰もあなた個人なんてね、必要としちゃいないんですよ)
(あなただけではない、人間とはしょせんそういう関係でしか、互いを認めることができない。ギブアンドテイク、利用できるか、できないかだ)
 そうじゃない。
 ただ、自身が、今までそういう形でしか、人との繋がりしか持てなかったのも確かなことだ。その生き方の延長に今があるのだとしたら、クリスマスの午後、賑わう街並をたった一人で歩いている理由にも頷ける。
 顔にふりかかる雪の粉を払い、ふと唐沢はおかしくなる。
 もしかして、俺はずっと、ありえない幻想を見続けていたのかもしれない……。
 携帯が鳴った。
「あ、唐沢さん?」
 綺堂か。
 唐沢は携帯を持ちなおす。
「わりー、営業中?実はさ、これから水嶋さんたちも呼んでちょっとしたパーティやるんだけど、唐沢さんも来ない?」
「パーティ?」
「ゲネプロの打ち上げ兼、クッリスマスパーティ。じゃ、場所今からメールすっから、よっろしくー」
「おい!」
 そんなことをやっている暇は……ま、いいか。
 苦笑してポケットに携帯を滑らせ、唐沢は雪の街を歩きだした。
 いいか、今日はクリスマスだ。
 ありえない夢を見たっていい。



             99


「へー、ここって、あれだよね、前ストームがプチコンサートしたところ?」
 六本木、集合ビルの地下にある、小さなライブハウス。
「随分雰囲気違うねぇ、ライブハウスってあれだね、昼間に見ると、朝のカラオケ屋みたいだね」
 扉をくぐったケイが、階段を降りながらそう呟く。
 その印象は言い得て妙だと、後に続くミカリは思った。太陽に照らし出された夜の空間は、どこか間が抜けたような安っぽさがある。
「で、クリスマスパーティですか」
 再度、念を押してミカリは訊いた。
「そうみたい。あんた、東條聡から電話もらったんじゃないの?」
「まぁ……確かに、もらいはしたんですけれど」
「お、もうみんな集まってるみたいだよ」
 開きっぱなしの扉の向こうから、人のざわめきが聞こえてくる。ケイの後に続いて入場したミカリは、思わず眉をあげていた。
「うそ」
「え?」
 いぶかしむ目で振り返るケイに、ミカリはにっこり笑って手を振った。
「いえ、なんでも」
 が、一体どうなっているのだろう。
―――今日は、MCのリハだって聞いてたのに。
 ライブハウスとは思えないほど明るく飾り付けられた場内は、いかにもクリスマスパーティという雰囲気を醸し出していた。
 すでに関係者の殆どが顔を揃えている。
 逢坂、片野坂のマネージャーコンビ。
 前原大成と織原瑞穂。
 鏑谷会長とカン・ヨンジュ。
 矢吹一哉と植村尚樹。
 入ったばかりの新人五人の姿もあれば、彼らのマネジメントを受け持つ水嶋大地の顔もあった。それから隅の方に、ミカリの知らない若い女が二人、何か囁くように歓談している。新しいスタッフなのか、二人とも初めて見る顔ぶれだ。
 室内の左右には並べられたテーブル。飲み物やオードブル、ケーキなどが立食パーティ風に置かれていて、中央には小さなクリスマスツリーがささやかなムードを演出している。
 目の前にはステージ。しかしそこには、小さなテーブルがひとつと花瓶に生けた花が飾ってあるだけで、他には別段何の仕掛けもなさそうだ。
 ケイはすでに、前原と織原の会話に混じっている。その場は和み、和気あいあいとして楽しげだった。
「あっ、ミカリさんっ」
 背後から明るい声がした。
「よかったー、ミカリさんも来てたんだ、絶対来いって言われたから仕方なく来たけど、知り合いいなかったら、帰ろうと思ってました」
 セーターにジーンズ姿の流川凪。その隣には、海堂碧人の姿もある。2人ともバイクで来たのか、よく似たデザインのヘルメットを片手に抱えている。
「てか、こんな悠長なことしてる暇あるのかよ」
 呼ばれたのが不本意なのか、碧人が不満気に呟く。
「いいじゃないですか。決起会ですよ、コンサートの決起会」
 それを、ぴしりとたしなめている凪。
 二人して前原に挨拶している姿を見ながら、つきあってるのかな、もしかして、と、ミカリはふと思っている。だとしたら、成瀬雅之の立場って……まぁ、いいけど。
 今は、そんなことで頭を悩ましている場合ではない。
「なんだ、まだ始まってないのか」
 背後から唐沢直人の声がした。
「遅いっすよ、唐沢さん」
 逢坂が手を振っている。
 ミカリは、さすがに顎を落としていた。
 どうなってるの??
 聡の話では、今日、島根に帰る永真白と片瀬りょうを、会わせるという計画だったはずだ。
 しかも、MCのリハにかこつけて――忙しくて手伝ってあげることはできなかったけど、夕べの電話ではそういう段取りだったはずだ。
 それがいつの間にか、クリスマスパーティにすり代わってしまっている。
 唐沢社長もいる、末永真白にとっては面識のない人たちも大勢いる。
 この面子の中で、真白が出てくるとは思えないし、出てきたとしても、一体どうやって2人きりにしてやるのだろう。
「それにしても、あいつら何やってんだ」
 片野坂の声がした。「改装中のビルなんか貸し切って……そもそも、なんでこんな時にクリスマスパーティなんだ」
「なんかまた、企んでるんじゃないっすかね」
 ストームのパターンを読み切っているのか、あっさりと逢坂。
 ステージ横のカーテンから、ひょい、と聡が顔をのぞかせたのはその時だった。
「あっ、すいません。そろそろやりますんで、もうちょっと」
 その目が、助けを求めるようにミカリに向けられる。
 ミカリは即座に、聡の傍に歩み寄り、カーテンの向こうに入り込んだ。
「どうなってるの」
 言ってから驚いた。
 聡の服装が、へんだ。黒い割烹着みたいなおかしな服を肩からすっぽり被っている。
「それが、俺にもわかんないんだよ。憂也が一人で暴走しちゃって」
 聡もまた、ひどく困惑しているようだった。
「真白ちゃんは?」
「来てる。隣の部屋にお母さんといる。でも、この状況でどうやって入ってもらったらいいのか」
「どうするのよ、話が全然違うじゃない」
「将君がいなくなったのがまずかった。憂也、夕べは様子がおかしかったから」
 ふっと、場内の照明が消えた。
 ウェディングマーチが流れだす。
「えっ……?」
 ミカリはぎょっとしたが、聡はさらに慌てていた。
「まずい、はじまっちゃったよ。あのさ、とりあえず、裏の楽屋に真白ちゃんいるからさ、合図の曲が流れたら、うまいこと言って彼女連れて来てくれないかな」
「はぁ???」
「ごめん!恨むなら憂也恨んで!もうなんでもいいから、連れて来て下さい!」
「えー、本日はお集まりいただきまして、まことに、まことにありがとうございます」
 まるでパチンコ屋のアナウンスのように、陽気な憂也の声が響いた。
「えー、聖なる夜、もとい聖なる午後、日頃お疲れのみなさまに、せめて楽しいひと時を送っていただこうと、私、ストーム代表綺堂憂也が、素晴らしいショーをご用意いたしました。どうぞ、ごゆるりとお楽しみくださいませ」
 強いハウリングが、一瞬その声を遮った。
「では、おまたせしました、今夜のメイーンゲスト、ついに結ばれた二人、新郎新婦の入場です」



            100


「まぁ……」
 りょうは、心底同情をこめた目で、隣に立つ人をちらりと見た。
 全員から携帯で写真をとられまくり、さらにカメラまで回っている。
 場内は泣き笑いにも似た爆笑に包まれ、確かにクリスマスの余興としては大成功だった。
 しかし、自分だったら耐えられないとりょうは思う。一体全体、何があったんだ、将君。
「なんだよ」
 隣の花嫁が、凄味を帯びた目でにらみ返してきた。白いシンプルなドレスを着て、綺麗にメイクを施されたその顔に、それでも一時、りょうは「可愛いな」とバカなことを思っている。
 今日、関係者全員が見守る中、手を繋いで入場した花婿りょうと、花嫁の将。
「いや……逆じゃなくて、よかったっつーか」
「お前はな」
 すでに怒りを通り越し、冷えたやけくそオーラを発散している将は、取り巻く視線も全く無視して、フォークで切り取ったケーキを口に運んでいる。顔は綺麗だが、むき出しの腕はさすがに怖い。薄いシルクの下から、割れた腹筋が透けて見えるのも、なんだか怖い。
 それでも将は、「柏葉君、こっち向いてー」とミカリにカメラを向けられると、両手でピースをしてそのカメラに収まった。
 りょうはさすがに耐えきれず、その腕を掴んでいた。
「つか将君、どうしちゃったの、ついに頭にきたんじゃねーよな??」
「うっせーよ!」
 いや、怒っている……。
 それはもう、ものすごく怒っている。
 こ、この怒りの吐き出し口、まさか俺じゃないだろうな。
 さすがにりょうはぞっとする。
「お前ら、本当にそれをコンサートでやるのか」
 あきれ果てた声がした。隅の方で、半ば唖然とこの光景を見ていた唐沢直人。
「やりますよー。今日は予行演習ってことで、みなさんの反応見てみようと思いまして」
 平然と憂也。
「笑いすぎて寿命縮んだよ、あたしゃ」
 ケイはまだ笑っている。
「でもさ、普通逆でしょ。どうして柏葉将が女なのさ」
「いやー、発想の転換ですか?綺麗すぎて、僕もびっくりしましたよ。ははは」
 将ががっと立ち上がったので、りょうは慌てて抱きとめる。また歓声とフラッシュが瞬く。
 憂也の言う丸く収めるとは、つまりこういうことだったのである。女装したくないりょうと、結婚したい?将。どちらも願いも、こうして叶ったことになる。
 将が慌ただしく戻ってきたのが一時すぎ。当然説明する時間もなく、納得してもらう時間もないまま、半ば強行的にこの運びとなった。正直言えば、りょうにはいまひとつ判らない。そもそも将は、なんだってあんなに嫌がっていたBLネタをやろうと言い出したのだろう。
 ただ、りょうにしても、「将君の女装、みたくねー?」と囁く憂也の誘惑には耐えられなかった。
 まぁ、将には悪いが、見たかった。さらに悪いが、一生分の弱みを掴んだ気分だ。写真は転送してもらって、一生大事にとっとこう。
「えー、ではですね。楽しい写真タイムが終わりました所で、結婚式の続きに移りたいと思います」
 憂也が壇上に立ってマイクを掴んだ。
 続き。
「なにすんの、俺ら」
 りょうは、嫌な予感を覚えて将を見る。
 その憂也に、雅之がギターを手渡している。憂也は、マイクをスタンドに預ける。弦をはじいて流れるメロディは、「君がいる世界」。
 照明が再び落ちて、スポットライトがりょうと将を浮かびあがらせた。
 憂也がごほん、と咳ばらいをした。
「続きまして、新郎新婦によります、指輪交換と誓いのキス」
「ちょっと待った!!」
 りょうはさすがに叫んでいた。
「冗談じゃない、そんな真似死んだってできるか!」
「行くぞ、りょう」
 隣から声。
「は?」
 どすのきいた花嫁に腕をひっぱられ、りょうは唖然としながら前方のステージに引きずられる。
 ちょっとまて。
 これは一体、どういう悪夢だ?
「りょう」
「…………??」
 ステージの上。
 いきなり振り返った将に、両肩を掴まれる。
「目ぇつむっとけ」
「?????」
 怒っているとしか言いようのない顔が近づいてくる。りょうは咄嗟に、拳を突き出していた。


「さぁ、新郎のパンチが新婦の右頬に炸裂したーーっ、おーっっと、新婦柏葉負けてはいない、回し蹴り、見事な回し蹴り、すかさずよける新郎片瀬、右フツク、右フック、渾身のパンチは左腕でブロックされる。あーーっ、場外です、これは凄絶な場外乱闘!寝技は夜だけにしてほしい!」
 真白は、唖然としながら、隣に立つミカリを振り返った。
 何、この声。
「あの……中で、何やってんですか」
「さぁ?」
 にっこりと笑うミカリも、なんだかやけくそになっているように見えた。
 ものすごく嫌な予感がする。
「すいません、やっぱり私」
「いいからいいから、とにかくもう入っちゃって」
「???」
 ミカリに強く背を押される。それより先に、隣の母親が、締め切ってあった扉を押し開けていた。
 光―――。
 眩しい。
 なに、これ。



             101


「えー、今回のくだらないことの、首謀者は僕です」
 静けさの中、口を開いたのは憂也だった。
「あ、真白ちゃん、そのままそのまま、そこにいていいから」
 でも、と、末永真白が戸惑っている。それは、壇上に立っている片瀬りょうも同じことだった。
 場内にいる全員が、扉の前に立つ女性のことを知っている。この夏片瀬りょうと一緒にいるところを撮られ、その後、マスコミの惨禍にさらされた女子大生。
 でも全員が、何故その彼女がいきなりこの場に現れたか、知らない。
 誰も、何を言っていいか、どうリアクションしていいさえか分からないまま、扉の前に立つ真白と、壇上に立つりょうを、ただ、交互に見つめている。
「えー、」
 憂也がごほん、と咳払いをした。
「この状況を説明する前に、俺らからみなさんに、改めてお礼を言わせてください」
 聡と雅之が、目くばせをしあって、憂也の左右に立つ。2人とも揃いの黒い服を着ている。すっぽりと肩に被せたそれは、胸に十字架のマークが刻まれている。一応神父――のつもりなのだろう。
 憂也はマイクを置き、それからすっと息を吸い込んだ。
「今日まで、俺らの無茶を支えてくれて、一緒に戦ってくれて、本当に本当にありがとうございました!」
 三人揃って頭を下げる。同時に、少し離れた所に立っていた将が、戸惑ったままのりょうが、同じように頭を下げた。
 そのまま、場内に沈黙が満ちる。
「お、おいおい、これが最後みたいな言い方だな」
 最初に口を開いたのは、片野坂イタジだった。
「まだ礼を言うのは早いぞ。年末も、その先も、まだまだお前たちにはがんばってもらわなくちゃいけないんだ」
「やりますよ、やっちゃいますよ、もうヘアヌード写真集でもなんでも出しちゃいます」
 即座に憂也。
 隣立つ雅之と聡が、同時にげほげほと咳き込んだ。
「ただ、俺たちの戦いは、今年のドームで、一区切りつくんだと思ってます」
 続けたのは、聡だった。
「九月の結成式から今日まで、色んなことがありました。雅のバカが将君の飛行機が落ちたと勘違いして、たった三人ではじめたものが、ここまでくることができました。思えば周りにとっては、ただはた迷惑な、僕らストームの意地みたいな戦いだったと思います。あのまま負けて消えてしまうのが悔しくて、もう一度5人でやりたくて、その気持ちだけでここまできました。ここまでこれたことが奇跡だった。夢みたいな五ヶ月だった。本当に、本当にみなさんには感謝しています」
「僕らは、もう、悔いなんてないです。本当にないです」
 言葉が途切れた聡にかわり、うわずった声で雅之が続けた。
「精一杯やりました。精一杯のことをしてもらいました。ドームでは、今までの僕らの全てを出します。どんな結末になっても悔いのないよう、百パーセント燃え尽きます。それまでどうか、僕らのことを助けてください」
「何を言ってるんだよ、雅君」
 逢坂真吾が、困惑を押し隠したように立ち上がる。
「どうしちゃったんだ、みんな。本当にこれで最後みたいな言い方じゃないか。ドームも終わってないのに、そんな弱気でどうするんだよ」
「僕らは、ストームです」
 将が、静かに口を開いた。
「例え名前がなくなっても、この世界から忘れ去られても、僕らはもうストームです。この戦いで僕らは、自分自身の永遠に揺るがない場所を得た。もうそれで十分です。何もいらない、悔いなんてない。僕らは、僕らをここまで導いてきたものを、今度は僕らの手で、未来に伝えていきたいと思ってるんです」
 誰も何も口をきかない、静まり返った室内で、最初に手を叩いたのは、前原大成だった。
「ファイナル・ディパーチャー、終わりの始まりだ」
 前原は言った。
「君たちの覚悟は分かった、本当によく分かった。終わりだけど、それは新しいスタートなんだ、そうだな、将君」
 その大きな目は、すでに涙で潤んでいる。
「僕も同じだ、終わることはこわくない、そんなのはもう関係ない、もっとすごいものを手にいれた、そして新しい何かが始まるんだ」
 それまで隅で黙っていた、水嶋が無言で手を叩いた。
 逢坂が続き、イタジが続いた。やがて全員の手がそれに習った。
「ここにいる人たちは、最強ですね」
 手を叩きながら織原が言った。
「誰も、失うことを恐れてはいない。こんな強い集団が、絶対に負けるはずがない」
 例え全てを失っても。
 絶対に、また輝くことができるから。
「えー、こんな最強の僕たちですが、やっぱり、弱いとこもあります、人間ですから」
 マイクを手にして、憂也が続けた。
「この仕事やりはじめてから、俺、ずっと不思議に思ってました。例えば俳優とかアーティストとかいう人たちは、同じ芸能人でも別段恋愛そのものがタブーってわけじゃない。なのにどうして俺らアイドルは、恋愛ってことだけで天地がひっくり返ったように騒がれるのか」
「社長の方針なんじゃない?」
 ケイの茶化したような声がした。
 憂也は笑って、それからマイクを持ちなおした。
「まぁ、ひとまず唐沢さんのポリシーは置いといて。つまりアイドルは、顔以外実力がないから?って思ったけど、当たり前だけどそうじゃない。で、色々考えて、たどり着いたのがこれでした。そっか、アイドルって実は限りなく坊さんに近い存在なんだ」
 静かだった場内の空気がわずかに緩む。
「おいおい、何言い出すんだよ」
 隣の雅之も失笑している。
「まぁ聞いてよ」
 憂也もまた、笑いながら続けた。
「坊さんだって男だから、女好きになるし、動物だからセックスもする。でもそういうのは表に出せない。やってても出せない。アイドル以上に出しちゃまずい。だって、そんなもん出したら、信者さんがっかりじゃないっすか。なんだ、坊さんも俺らとおんなじかって。別に信者さんががっかりしようとすまいと関係ないことかもしんないけど、そもそも坊さんって、人救うために存在してんだから、信者さんいないと存在する意味さえないじゃないっすか」
 少しずつ、場内の笑いが静まってくる。
「アイドルも、同じことなんですよね」
 一息ついて、憂也は続けた。
「俺らは別に、芸を売ってるわけじゃないんです。坊さんがお経を読む上手さを売ってんじゃないのと同じで、そこが勝負どころじゃないんです。だから俳優とかアーティストとは違う。おおげさだけど、僕らはあこがれとか夢想とか、そういう目に見えない思念をもらってこの世界に生まれた、ある意味バーチャルな存在なんです。
 なんのための存在かっていったら世界中の女の子たちに幸せになってもらうため。ま、ある意味坊さんと一緒です。で、どんなにあり得なくても、そのバーチャルラインは絶対に崩しちゃいけない。それやったら、ファンががっかりします。だから嘘でも夢でも、俺らはトイレもいかず恋愛もセックスもしない、永遠の王子さまでなきゃいけない」
 もう誰も、笑っている者はいなかった。
「ただ、バーチャルじゃない現実の俺らは、もちろん生身の人間だから、人好きになるし、雄だから種を残したいと思ったりもする。ま、ちょっと高尚に言ってみましたけど、ぶっちゃけていえば、セックスもする。だって誰かを好きになって、誰かに愛されて、時にはそれを全身で感じないと、生きていくことなんてできないじゃないっすか」
 憂也の目も、もう笑ってはいなかった。
「そういうの、切り離したら絶対に無理がでる。てゆっか、恋愛のひとつもできないでどうやってファンの強烈な思念を受け止めることができるんですか。そんな弱いやつに、世界中の女の子を幸せにするなんて大風呂敷、どうやったって広げられっこないですよ」
 マイクを置いて、憂也は背後のりょうを振り返った。それから、もう一度前を見る。
「俺たちは強くなきゃいけない。もっともっと、強くならなきゃいけない。そのためには誰かを好きになって、愛して、命にかえても守りたいと思うような、そういう恋愛を、もっと一杯経験しなきゃいけないと思うんです」
 唐沢さん。
 憂也が、どこかいたずらめいた目を唐沢に向ける。
「何か反論があれば、どうぞ」
「そこまで空気が読めないと思うか」
 憮然とした声が返ってきた。
「自分のしでかしたことの責任はとれ。自分の立場と相手の立場をよく考えろ。それが分かっているなら、俺にこれ以上何も言うことはない」
「さて、ここにいる二人ですが」
 おもしろそうな声で、憂也は続けた。
 末永真白と片瀬りょう。
「ご存知のとおり、山あり谷ありの恋愛模様。別れてはくっつき、くっついては別れ、すでに悟りあって、けなげにも笑顔で別れを言い合った二人です。泣かせるじゃありませんか、彼女はミカリさんにこう言ったそうです。私、もう一生、りょう以外の誰も好きになりません」
「ちょっ、わーっ」
 真白があわてて手を振って、ミカリが「ごめん」と顔の前で手をあわせた。
 りょうは、黙ってうつむいている。
「彼女はドーム公演の後、年明け早々に留学のために渡米します。今日のイベントは、今までお世話になった人へお礼をすると共に、僕らの大切な友人でもある彼女へ、エールを送るために企画しました」
 憂也は、ようやく一息つく。
「さて、りょう」
 そして、笑いを浮かべた目でりょうを見た。
「お前の花嫁はどうやら結婚式をボイコットするみたいだ。どうするよ、この結末」














 

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