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「だからさ、なんだってそこまで言われないといけないんっすか、俺!」
 決して酔っているわけではない。
 それでも、管を巻く16歳は、缶ジュースひとつでできあがった完全な酔っ払いだった。
「ありえない、冗談じゃない、俺をなんだと思ってるんだーーーっ」
「うるせぇな、さっきから何回同じこと言ってんだ、てめぇは!」
 さすがに将は顔をあげた。
「まぁまぁ将君」
 対面に座っているりょうが、呆れたように苦笑する。
「いいじゃん、俺らにだってあったでしょ、あんくらい荒れた夜」
「ねぇよ、ったく、ハタ迷惑な」
 J&M所有のマンション、今はストームの寮である。
 が、今夜はストーム以外に、もう5人、別の面子が揃っていた。
 リビング。食卓について明日の最終確認をする将とりょう。その隣の座卓では、J&Mが採用したばかりの新人、相馬瞬、月島蓮、仲間陸、沖田南、鳥羽希が首を揃えて座っている。で、その傍らには、「この空気をどうしたものか」と顔を見合わせている雅と聡。ちなみに憂也は一人、別室でゲーム中である。
「ま、将君、落ち着きなよ」
 りょうの声は優しかった。
 12月23日の夜。ゲネプロ本番を明日に控え、将は朝から苛立っていた。自分の態度や言葉が、余計周りを緊張させていることが判っても、どうしても感情の棘が抑えられない。段取り、タイミング、曲順、頭で考えたことの全てが、妙に空回りしているような気がしてならない。
「悪いな、りょう」
 将は、軽く嘆息して立ち上がった。
 それを今日一日、ずっとりょうにフォローしてもらっていたような気がする。
「もう寝るか。今更焦っても、なるようにしかなんねぇしな」
「ええっ、将君、そんなこと言わずにこっちに混じってよ」
 悲鳴のような聡の声。
 将はあきれて肩をすくめる。そもそも果てしなく落ち込んでいる新人連中を、今夜ここに招いたのは聡なのである。
 座卓の周辺は、重苦しい空気に包まれていた。
 今日のスタジオでの稽古、この新人五人組は、矢吹一哉の、それはもう身も心も凍るような凄まじいレッスンを受けたのである。
「もう、僕、やめます」
 膝を抱えたまま、ずっとうつむいていた仲間陸が呟いた。
 母と姉が猛烈なJ&Mファンで、勝手に履歴を送られたという、聡の二の舞のような少年である。
「無理です、できないです、不可能です、……まだ入って一週間くらいなのに、いきなりドームに出るなんて」
「ま、才能ないのよく判ったし?」
 冷めた目でそう言ったのは東大生の鳥羽希だった。
「というより、合理的じゃないですよねー。即戦力が欲しいなら、どうして僕らみたいな素人選んじゃったかな」
 その目は何故か、いつも挑戦的に、将の方に向けられる。
 知るかよ、俺が。
 そう思ったが、場が凍りつきそうなので、黙っておいた。
 実際、将の目からみても、ちょっと厳しいかな、とは思っていた。ダンスについては、相馬瞬以外はほぼド素人。なのに五人は、年末のドームで、ストームのバックダンサーとは別に、短いながらも彼らだけで構成されるショーをひとつ、受け持つことになったのである。
 今日一日、矢吹がつきっきりでレッスンをつけていたが、正直、その凄まじい罵倒は、将でさえ、「いっそ死んだ方が楽なんじゃ……」と思えるほど酷いものだった。
 で、急きょ、雅之と聡が、「ちょっと俺らの部屋に寄ってけよ」と、先輩風を吹かして彼らを招き入れたのである。
「まぁまぁ、矢吹さんもさ、君らに見込みがあるから怒ったんだし」
 なんとかフォローに走ろうと、聡。
「すごいことだよ、矢吹さんを本気で怒らせたんだよ。それだけで、君らが特別ってことじゃないか」
「矢吹さん、ド素人にも容赦なく怒るじゃん」
 ひょいっと、顔を出して余計な口を挟んだのは憂也だった。
「昔のあだ名が共演者キラー。とにかく気にいらない相手は、怒鳴って怒って降りるまでいびりつくす」
「おいっ、憂也!」
「うわーーーっっ」
 雅之が慌てて止めたが、時すでに遅し、プチ聡こと仲間陸が声をあげて泣きだした。
「つか、やめたいなら、さっさとやめろよ」
 ぼそり、と一人で壁に背を預けていた男が呟いた。
 ここにきた最初から、むっつりと黙ったまま、一言も口をきかなかった男である。
「さっきから黙って聞いてりゃ、やめるだのやめないだの、鬱陶しいんだよ」
 顔立ちでは、むしろ大学生の鳥羽希より大人びて見える、月島蓮。
 その態度の悪さは折り紙つきで、将にしろ、他のメンバーにしろ、挨拶さえされたことがない。
「なんだよ、その言い方」
 水を打ったような沈黙の後、むっとした顔で言い返したのは、さっきまで大声でわめいていた相馬瞬だった。
「そのセリフ言っていいのは俺だけなんだよ。一番下手なくせしやがって、えらそうに言ってんな、ボケ」
「なんだと?」
「けっ、耳もいかれてんのか、このクソド素人」
「…………」
 蓮が無言で立ちあがる。
 瞬も、上着を脱ぎ棄てた。
「わーーっっ、タンマ、タンマっ」
「ここですんな、よそでしろっ、よそで!」
 聡と雅が、体当たりで仲裁に入る。
 ああ……なんだってこんな夜に、こんな奴らを連れてきたんだ。
 将は心底疲れを感じつつ、今にも相手に飛びかかりそうな月島蓮の頭を掴んで、壁に押し付ける。
「なんだよ、離せよっ」
「いいから座れ」
 体格では将の負けだが、貫禄で叶わないのか、蓮は眉をしかめながらも、しぶしぶ壁際に腰を下ろす。
 将はその前に立ち、耳の後ろをわずかに掻いた。
「あのさ、どういう理由があってここにいるのかは知んねぇけどさ。とりあえず、五人でやれって言われたんだから、喧嘩してもしょうがねぇだろ」
 全員から、不機嫌な沈黙が返ってくる。
 ただ一人、沖田南だけは、不思議に静かな目をしていた。
「矢吹さん、見返してやりたいんだろ」
 振り返り、背後の瞬の頭を小突いて、将は続けた。「だったら四の五の言わずに、ステージで見返してやりゃいいんだよ」
「無理ですよ、そんなの」
 冷めた声で鳥羽希。
「短期間に、矢吹さんを超える実力つけるのなんて不可能だし、それに僕ら、二次面接の時に念押されてるんですよね。もしかするとドームで会社自体が解散になるかもしれないって」
「それでもいいって、お前らがそう答えたんじゃねぇの?」
 言葉が継げなくなった将に代わって、背後からそう言ったのは、憂也だった。
「なーるほどね。それで判ったよ。どう考えてもレベルの低いお前らが選ばれたわけ。とりあえず後先考えずに目だてりゃいいって奴だけが、消去法で残ったわけだ」
 月島蓮が色をなして立ち上がろうとする。
 将は、その肩を掴んで、再度壁におしつけるようにして座らせた。
「本当のこと言われて、怒んなよ」
 面白そうな声で憂也は続ける。
「今のお前らなんて、ダンサーどころか俺らの引き立て役にすらなんねーんだよ。目ざわりだし邪魔なだけ。頭はいいのかもしんねぇけどさ。お前らがどんだけ、でかいこと考えても、束になってかかってきても、俺ら一人の足元にだっておよばねーんだよ。バーカ」
「おっおい、憂也」
 もう何を言っても無駄だと判っているのか、半ば、頭を抱えつつ聡。
「やめちまえ、やめちまえ。お前らなんか、そもそもドームまで待つわけがない。とっとと荷物まとめて、家に帰りな、僕ちゃんズ」
 その最中、雅之が相馬瞬を押さえ、将が月島蓮を押さえている。歯がみする2人は、今にも憂也に飛びかかりそうな勢いだ。
「んじゃ、そゆことで」
 面倒そうに手を振った憂也は、そのままさっさと退室した。最悪の空気だけを後に残して。
 まぁ、言いすぎではあるけれど。
 将は嘆息して、それぞれ怒りと失望をもてあましている五人を見た。
「悔しかったら、見返してみろよ」
 そんなの無理だし。鳥羽希の横顔が無言の抵抗を見せている。
 こんなくだらねぇおせっかいは、これが最後だと将は思った。
 本当は、これから一緒に過ごす日々の中で教えてやらなければいけないこと。
 その中で、こいつら自身が見つけていかなければならないこと。
 でも、その時間が、ここにいるみんなに残されているかどうかは判らないから。
「一人じゃ無理だよ」
 将は言った。
「でもお前らは、もう一人じゃないんだろ」



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「どの程度、押さえたかね」
「できる限り買い占めてはいますがね。今のところ、三十席が限界です」
 藤堂戒は、軽く息を吐いて、背後のシートに背を預けた。
「なにしろ、主要オークションには全く出てきませんのでね。向こうさんも、今回は本腰を入れて対策に乗り出してきたようだ」
 東京、丸の内。オフィスネオ。
 闇をまとった来客は、無表情でその言葉を聞いている。
「確保した三十席も、いくつかはJ&M側に掴まれていますよ。おそらく会場でチェックが入るんじゃないかな」
「うちは、確実に一人の刺客を送り込めればいい」
 陰鬱な声が返ってきた。
 そして男は、椅子を軋ませて立ち上がる。
「よくやった、藤堂君。これで君の仕事は、全て終わったといってもいいだろう」
「お役御免、ということですか」
 目を細めて男は笑う。
 藤堂にとっては義理の父親、耳塚恭一郎。
「来年早々、オフィスネオは東邦EMGと合併する。君は自由だ、藤堂君」
「…………」
「年が明ければ、君の口座には、当面遊んでも使いきれないほどの金が振り込まれているだろう。私から指示があるまで、好きな女とバカンスでも楽しみたまえ」
「この面体なのでね」
 藤堂は苦笑して立ち上がった。
「女の方がよりつかない。まぁ、せいぜい楽しみますよ」
 終わりか。
 東京の夜を見つめながら、藤堂は不思議な感慨に取りつかれている。
 これで、何もかも終わりというわけか。
「コンサート当日は、随分な裏工作をなさるようですね」
「なんの話かね」
 わずかに笑って耳塚。
「……いえ、ただ、そこまでする理由が、私にはまるで判りませんので」
「君に、判るように説明した覚えはないからね」
 知る必要がないということか。
 そして、これ以上の詮索は不要だということ。
「私を、恨んでいるかね」
 言葉の意味が判らず、藤堂は耳塚を見上げた。
「いってみれば、この傷が君を、ずっと縛り付けてきたようなものだからね」
 青白い指で、耳塚は自身の傷をなぞるように触れる。
「いいえ、よく判りましたから」
 少し考えてから、藤堂は笑った。
 繁華街で半殺しにされそうになった所を救われて以来、藤堂を縛っていたのはここに立つ男ではない。自分自身だ。
 ただそれは、決して愛でも恩でもない。耳塚が、気まぐれで飢えていた少年を拾い、自身の忠実な手足に育てた理由が、決して愛情ではないように。
 それはもっと、寂しくて怖い理由だろう。
「私も、しょせん、守るものなど何もない人間だということですよ。生きるために、私にはあなたが必要だった。でもあなたには、これからは私は必要ないということなんでしょう?」
「来年は、バカンスを楽しみたまえ」
 藤堂の肩を叩いて、耳塚は笑った。
「素敵な旅を」



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 五万人が埋め尽くしたドーム場内は、騒音の嵐と化していた。
「柏葉ぁ、引退しろぉ」
「今更、もどってこなくていいんだよ」
「出てくんな、馬鹿野郎!」
 りょうは、胸を抑えてうずくまっている。
 聡は両手で顔を覆い、雅之はうなだれていた。憂也は、憂也はどこだろう。
 怒号の中、将だけが、後にも先にも進めない。
 絶望と後悔が胸に重くのしかかる。ここに戻るべきではなかった。ここに立つべきではなかった。最初から勝てるはずのない勝負だった。一人ならともかく、みんなを巻き込むべきではなかった。思考だけが、頭の中に渦巻いている。
「中止だ」
 唐沢の声がした。
「これ以上の続行は危険だ。コンサートは中止だ!」



「…………っっ」
 動悸が、苦しいくらい鳴っている。
 汗ばんだ額を押さえたまま、将は暗い天井を見上げていた。
―――夢か……。
 連日のランニングとボイトレ、そして過酷なダンスレッスン。身体は極限まで疲労しているはずなのに、ここ数日、まともに眠れたことがない。
 また、やな夢みちまったよ。
 隣のりょうを横眼で見る。
 今夜は、余計な連中が隣室で寝泊まりしているから、三つの布団を寄せあって、五人でくっつきあうようにして眠っていた。
 枕に半ば沈んだりょうの横顔からは、規則正しい寝息の音が聞こえてくる。
 その隣では、雅之が完全に布団から飛び出している。で、その足が聡の腹に乗っかって、眉をしかめた聡の寝顔は苦しげだ。憂也は少し離れた場所で、毛布だけをしっかりキープして眠っていた。
―――子供だな、まるで。
 かすかな鼾をかいている雅之に、そっと自分が使っていた布団をかけてやる。
 深夜二時、どうせしばらくは眠れない。
 将は起き上ると、足音を殺してリビングから続くベランダに出た。
「あー、さみー」
 静けさに包まれた冬の空。
 空気は鋭く、吐く息は真っ白だ。
 あと少しで、2005年が終わろうとしている。長い、本当に長かった1年が。
「…………」
 どうなるんだろう、これから。
 どうなるんだろう、ドームは。
 どうなるんだろう、俺たちは……。
「将君」
 背後から声がした。さすがにびっくりして、将は振り返っている。薄暗がりの中、りょうが窓の隙間から顔だけをのぞかせている。
「風邪引くよ」
「悪い、起こしちまったか」
「いいよ」
 ベランダに降りたりょうが、毛布を手渡してくれる。それを肩にかけると、りょうは猫みたいに隣に体を滑りこませてきた。 
 ベランダの手すりに身を預けたまま、二人はしばらく、無言で暁闇の空を見上げている。
「……なんか、こう、色々考えちまってさ」
 言い訳のように、将は口を開いていた。
「でかいこと色々言っちまったけど、本当にドームで、五万人のお客さんを楽しませて、幸せな気持ちで、新しい年を迎えてもらうことができんのかな、俺ら」
「…………」
「そう思うと、何もかも準備不足で、不十分って気になってきてさ。今更焦っても意味ないってわかってんだけど」
 大げさでなく、日本中が注目している。
 当日は警備も厳重、マスコミも多数押し寄せる。コンサートの雰囲気としては、相当異様なものになるだろう。
 おそらく、さいたまアリーナ同様、観客の中には、故意にコンサートを壊そうとする輩が紛れ込んでいるはずだ。そして彼らの最も都合のいい標的が――将だ。
 さいたまアリーナのように、観客同士が暴走して、パニックになる可能性は絶対にある。もしその火種が投げ込まれたら、それをどう回避するか。
「将君」
 静かな声がした。
 不思議だった。自分が今考えていることの何もかもが、隣に立つりょうには判っているような気がする。
「ここまできたら、もう余計なことは考えなくていいんじゃないかな」
「…………」
「俺たちが楽しもうよ、東京ドーム」
「…………」
 りょうの優しさが、ゆっくりと胸にしみていく。それでも将は、軽く唇を噛んで、夜明けが見えない空を見つめた。
「それじゃ、でも、ただの自己満足になっちまうだろ」
「……上手く、言えないんだけど」
 綺麗な目が、将と同じように、暗い夜空を見つめている。
「俺たちが幸せなら、もうそれでいいんじゃないかな」
 俺たちが、幸せなら。
「例えばさ」
 将を見上げて、りょうは笑った。
「将君が怖い顔してると、俺はすごく嫌なんだ。すっごくブルーな気持ちになる。でも将君が笑ってくれると、俺はすごく、幸せになる」
「…………」
「幸せな気持ちって、そういう風に、広がっていくものじゃないのかな」
「…………」
 遠い目をしているりょうが、今、故郷の恋人のことを思い浮かべているような気がした。
「誰かを幸せにするって、すごくおごった考えだと思う。だって言ってる端から、その人のこと、不幸だって決めつけてるみたいじゃない」
 柔らかな声で、りょうは続けた。
「人を変えることって、できないんだよ、将君」
「…………」
「でも、自分が変わって、百パーセント幸せになることはできるんだよ。いつだって、今からだってできるんだよ」
 いつでも。
 今から、でも。
「その幸せを誰かが見てさ、それでみんなに幸せの気持ちが広がっていったら、もうそれで、コンサートは成功なんじゃないかな」
「いいんじゃねー、それで」
 うおっと、将はのけぞっている。
 窓の隙間から顔をのぞかせているのは、憂也、雅、聡。
「い、いつからいたんだよ、お前ら」
「いやー……すげー入っていけない雰囲気だったんで」
 てことは最初からか。
 つか、最初から起きてやがったのか、こいつらは。
「でもさ、やっぱいいこと言うよ、りょうは」
「よっ、さすが地獄を見た男」
「うるせーよ」
 静かだったベランダが、あっと言う間に賑やかになる。
「そうだよ、俺たちが幸せだったら、もうそれでいいんだよ」
「いこうぜ、題してストームラブラブコンサートだ!」
 親指を突き出して、雅之。
「愛だよ、将君!」
 唖然とした将は、それでも少し間をあけて、吹きだしていた。
「だっせ」
「イタちゃんレベル」
「ひ、ひでー」
 本当に。
 本当に、最高の奴らだよ、お前らは。
「わかったよ」
 笑いながら、将は言った。
 もういいや。
 なんか、悩んでる自分がバカバカしくなってきた。
「ストームが超ラブラブで、女なんて目じゃないほど俺たち五人が愛し合ってるってことを、世界中の奴らに見せつけてやろうぜ」
「よっしゃ!」
「愛!」
「ラブラブでいこう!」
 と、わけのわからないぱらぱらの掛け声で、掲げた手を叩きあう5人。
 将は笑いながら、りょうの肩を抱いていた。
 不思議なほど、今まで胸に澱んでいたものが、綺麗に吹き飛んでしまっている。
 ガキに、説教たれてる場合じゃなかったな、俺。
 俺だって、みんなに助けられてここまで来た。そして、これからも助けられながら進んでいく。最後の最後、肝心なとこで、その一番基本を忘れそうになっていたのかもしれない。
「あ、そだ」
 ふいに聡が、輪から離れてすっとんきょうな声をあげた。
「そういや、いないんだ、新人君。今みたら部屋がもぬけの殻でさ」
「ええっ?」
 慌てて雅之が、引き返してまた戻ってる。
「やべー、マジいない、靴もねぇ」
「逃げたんだよ、やっぱ」
「憂也がきついこと言い過ぎたから」
「俺?」
「どうするよ、唐沢さんにどう言い訳しよう」
「……いや、てゆっか」
 りょうだけが、平然と、ベランダの手すりの向こうを指差した。
「誰も気づいてなかった?さっきから、5人、あそこで踊ってるみたいだよ」


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「帰ったら誰もいないんで、驚くかな」
「さぁね、あのまま道路でバタンキューなんじゃない?」
「風邪引かせたらどうしよう」
「大丈夫だって。気が張ってる時は、不思議と風邪引かないもんなんだ」
「それは将君が普通と違うから……」
「何が言いたいんだよ、雅」
 聡が、ちょっと歩かないか、と言いだして、結局は全員が、上着を羽織って外に出た。吐く息も凍える冬の深夜。道路には薄く霜が降りている。この冷え込みがこのまま続けば、本当に、今週にも雪が降るかもしれない。
「可愛いな、あいつら」
 空を見上げながら、雅之が言った。
「生意気で、個人的には好きになれそうもねーけど、やっぱ、可愛いや」
「昔の将君と憂也みたいだったね。瞬と蓮」
「そうそう、最悪の組み合わせだけど、きっと最強のコンビになるよ」
 街路灯だけが頼りの車道で踊る五人。
 怒りながら、それでも残る四人にステップの指導をしている相馬瞬。時々殺気ばしった空気を漂わせながら、それでも素直に踊っている月島蓮。
 プライドが傷つけられたのか東大生鳥羽は時々むくれたように輪から離れ、それでもしばらくすると輪に混じって踊り出す。
 黙々と同じステップを飽きることなく繰り返す南は、時々、へたりこむ陸を励ましている。
 これから。
 歩きながら、将は思う。
 いろんなことがあるんだろうな。
 ぶつかりあったり、嫉妬したり、助けられたり、助けたり。
 泣いたり、笑ったり、胸が痛くなるほど誰かを好きになって苦しんだり。
 生きてることが、泣きたくなるほど嬉しくなる瞬間も、死にたくなるほど落ち込む瞬間も、これから、いくらでもおとずれるだろう。
 そうやってひとつひとつ、階段を昇って行って、その先に何があるかは、多分、あいつらにしか判らないんだろうけど。
 俺たちの行きつく場所が、多分、俺たちにしか判らないように。
「水嶋さんがやるんだろ、あいつらのマネジメント」
 前を行く聡の問いに、憂也は肩をすくめて頷いた。
「そうみたい。デビュー前の新人なんて、昔の水嶋さんだったら椅子蹴って怒り狂ってたパターンだけど」
 憂也の元マネージャー水嶋大地。
 会社を正式に清算した水嶋大地は、憂也の所属をJ&Mに移し、自らはマネージャーとして復職した。その水嶋を、社に戻るよう説得したのは唐沢社長だと聞いている。
「やなおっさんだと思ったけど、憂也と一緒にやった会見はかっこよかったよな。憂也にはなんの責任もないんです、全て僕が、僕一人の判断で決めたことなんです」
「で、憂也は隣で、また泣きの演技入ってるし」
「へっへー、涙は男の武器だからね」
「がんばってほしいな」
 りょうが、凍った水たまりをひょい、とよけながら呟いた。
「あいつら?」
 雅が訊くと、うん、とりょうは頷く。
「今まで、事務所の後輩なんて、ライバルとしか思えなかったのに不思議だね。すごく頑張ってほしいと思うから、今夜は憂也の気持ちがすげーわかってさ」
「…………」
「なんだろね、今まであんま、後輩と本気で関わったことがなかったからかな。キッズの先輩には、俺も随分きついこと言われたけど、全部が全部、厭味でもなかったんだなって、今頃嬉しくなってきたよ」
「……そうだな」
 将は空を見上げて、目を細めた。
 今なら判る。多分、全員が知っている。優しい言葉では伝えられないこともある。傷つけることでしか、教えられないこともある。
 美波さん、緋川さん、マリアの永井さん、増嶋さん、スニーカーズの澤井さん、数えきれないほどの先輩スターに支えられ、見えない背中に導かれて、だから。
―――だから今、俺たちが、ここにいるんだ。
 俺たちの前には階段があった。それは、美波さんが、緋川さんが、後輩のために作ってくれた階段だ。でも俺たちの下に。
「……………」
 俺たちの下に、その階段はあるんだろうか。
「……聞いてほしい話があるんだ」
 口を開いたのは聡だった。
 あてもなく歩いているようで、その行先はいつの間にか決まっている。
 5人が初めて出会った場所。
 旧J&M跡地。
「俺たちは、ストームだよな」
 全員の目を見てから、聡は言った。
「当たり前じゃん」
「何の話だよ」
「誰がどこにいたって、たとえば会社がなくなって、俺らの出した曲が世界中から消えたとしても、それでも俺たちは、ストームだよな」
「…………」
 聡の目が、わずかに潤んでいる。
 将は言葉を失ったまま、聡がこれから言おうとしていることを、不思議な予感と共に理解した。
「ストームは復活した、もう永遠に消えることはない。もう俺たちの勝負は終わったんだ。年末のドームで、世界中にストームの姿を焼きつけて、焼き付けてさ」
 聡の言葉が途切れる。
 将は大きく息を吐き、聡の顔を見ないまま、その肩を抱いていた。
「……逃げるとかじゃ、ないんだ」
「わかるよ」
 俺も同じことを考えていたから。
 ずっと、ずっと考えていたから。
「……わかるよ、聡」
 聡はもう、答えない。噛んだ唇が、必死に感情を抑えている。多分、ずっとずっと聡も考え続けていたんだろう。最初から終わりの見えていた五人の旅、それでも航海を続けると決めた船を、どこで、終止符を打って終わらせるか。
「……ドームが終わったら、みんなにとって、一番いい方法を考えなきゃいけないと思う。あの時は、俺たち5人しかいなかった、でも、今はそうじゃない」
 震える声で、それでも気丈に、聡は続けた。
 誰も、何も言おうとしない。憂也も、りょうも、黙って別の方向を見つめている。
 将は気付く。多分、みんな、心のどこかで、誰かがそれを言いだすことを予感して、そして覚悟していたんだろう。どんな時間にも、人生にも、必ず終わりがあるように。
「それは……でもさ」
 ようやく雅之が、重い気持ちを振り切るように口を開いた。
「これから、ストームとして頑張ることを前提に、考えていけばいいことだろ」
「そうできたら、いいと思うよ」
 聡は素直に頷いた。
「俺さ、嬉しくてさ。だって最初、将君と雅と俺、三人ぽっちでスタートしたんだぜ、空港で」
 滲んだ涙を指で払って、聡は続けた。
「それが今は、五人揃って、唐沢さんもいて、イタさんもいて、逢坂君……水嶋さん、ファンのみんな……J&Mを支援してくれるみんな……、もう、数えきれないほどだ」
 小さな思いが、少しずつ繋がって広がり、そして今、ドームのコンサートという形で結実しようとしている。
「広がった火を消さないで守ることが、今の俺たちの責任だと……思ってる」
 将は、聡の肩をそっと叩いた。
「お前の、言うとおりだと思うよ、聡」
 沢山の人を、否応なしに巻き込んでしまった。
 唐沢社長、織原社長、前原大成、鏑谷会長、矢吹さん、植村さん、他にも数えきれないほど、沢山の人を。
 目の前に、アスファルトで舗装された空地が見えてきた。100円パーク、それが、元J&M事務所の今の姿だ。
 足を止めた誰もが、何も言わない。
 冬の空に、5人の吐く息だけが、白く濁って溶けていく。
「すっげー、燃えなきゃいけねぇな」
 最初に口を開いたのは憂也だった。
「もう、真っ白にさ、灰になるまで燃え尽きなきゃ、俺なんて化けてでてきそうだ」
 笑っている。でもその目は、故意に逸らされたままだった。
「いいんじゃねー、別に笑顔で解散でも。形の上で解散したって、俺たちがストームだってことは永久に変わらねぇんだし」
「身分、みたいなもんだよな」
 雅之がわけのわからないことを言って、その場の空気が少しだけ砕けた。
 りょうは何も言わない。黙って、薄紙が剥がれるように、少しずつ明けていく空を見あげている。
 雅之は、多分納得していない。けれど、聡の言うことも理解している。そんな苦しそうな目をしている。
 今、言うかな。と、将は思った。
 正直言えば、まだ自分の中で形になっていなかった未来への思い。でも、今の聡の言葉で、ようやく覚悟が決まったような気がする。
「……俺さ、しばらくだけど、日本を離れようと思ってんだ」
 将は空を見上げながら、口を開いた。
「ドームが終わったら、ちょっくら芸能界、休業する」
「えっ」
「聞けよ」
 過剰な反応を遮って、将はバリカーを乗り越えて、100円パークの中に入った。
「引退するわけじゃない、絶対にまた戻ってくる。お前らと一緒に作ってきた道だ、これから何があったって、絶対にここで終わらせたりしない」
「だったら」
「笑わずに聞けよ。俺、やっぱりあのバカ女が好きなんだ」
「…………」
 目を見合わせた四人が、再び将を見る。
「まさかと思うけど、真咲さんのこと……?」
 聡が眉をひそめている。
「まぁ、俺もまさかと思ってるけどな」
「それは……どうかな、彼女のことは……俺、わからないでもないけど」
 聡は言いよどむ。将にもその複雑な感情は判る。あの状態でいきなり消えた女に対して、どうしてもわだかまりが消えないのだろう。
「なんか、理由があったんだろ」
 口を挟んでくれたのは憂也だった。
「俺はさ、そんなにひでーことされたって、正直思えないんだよね。だって考えてもみろよ。東邦はいつだって、俺らを潰しにかかってこれたんだぜ。いつだって、あのおっさんが好きなタイミングで」
 憂也はにっと笑うと、将を見上げた。
「最終的な勝負の結果は時間がたたなきゃわかんねーけどさ。真咲さんは、真田のおっさんが持ってる最後の切り札みたいなものを、なんつーのかな、早い時点で強引に使わせたんじゃねぇかなって、俺、そんな風に思ってんだ」
 それにさ。
 憂也は続けた。
「結局は俺ら、おっさんの思惑通りにはならなかったじゃん。将君は今ここにいるし、コンサートは無事に開催される。俺たちは全員、誰一人欠けることなく永遠にストームだ。それでいいんじゃねぇのかな、もう」
「いいと思うよ」
 りょうだった。
「ただ、真咲さんがそれを望んでるのかな。将君が、今の場所を捨ててまで、自分を追いかけてきてくれることを」
「…………」
 将はポケットに手を入れて空を見上げた。
 多分。
「多分、これっぽっちも望んでないだろうな」
 将は、最後に抱いた女の身体の熱さを思い出していた。
 あれから、どれだけ悔いただろう。
 あの夜、理由も聞かずに手を離してしまったことを。
 人間としても、男としても、あまりに幼かった自分自身を。
「前、りょうが言ってたよな。俺とあいつには今しかないような気がするって」
「…………」
「俺もそう思う。今捕まえられなかったら、もう一生掴めない。俺は2度、あいつの手を離してんだ。だからもう、離したくない」
 絶対に。
 絶対に捕まえてやる。
「それは、ストームを抜けるってこと?」
 不安な目を、曖昧に逸らしながら雅之。将は笑って首を振った。
「違うよ。さっき聡が言っただろ、俺たちはどこにいたってストームなんだ。世間のやつらがどう言ってようが関係ない、名前がなくなっても関係ない。心でつながってんだ、俺たちは」
「…………」
「それが判ったからこんなこと言えるんだ。それが判ったから、離れてもいいって思ったんだよ、雅」
 世界中のどこに行っても。
 俺の戻る場所は、もうここだって判ったから。
「俺たちは、チームだよな」
 ようやく口を開いた雅之の声は、もう泣いていた。
「誰かが困ってから、何があっても助けに来るんだ。世界中の、どこにいたって、そうだよな」
「大袈裟だな、別にみんながバラバラになるわけじゃないんだぜ、雅」
「わかってるよ、……わかってるけどさ」
「まだ、決まったわけじゃないよ」
 聡が、その雅之の肩を叩いた。
「ドームが終わった後、みんなにとっての最善の方法を考えようって言ってるんだ。それは解散かもしれないけど、J&Mを守って、俺たちが芸能界でこれからも戦っていくことに変わりはないんだから」
 ようやく納得したように、雅之は頷く。
「頑張ろうな、ドーム」
 将は言った。
「絶対に、すごいものにしてやろうな」
 アイドルの認識を、絶対に変えさせてやる。
 俺たちはすごいってことを、世界中に証明してやる。
 夜が、少しずつ蒼に染まっていく。
 五人は身じろぎもしないまま、新しい朝を迎えていた。
 12月24日。
 コンサートまで、あと一週間。












 

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