69


 12月5日。
 その記者会見は、朝のファックスで予告されたとおり、午前10時に始まった。
 満場の記者が埋め尽くす会見場。黒いスーツ姿で現れたのは、それまで頑なに取材を拒否し、表舞台から一切姿を消していた柏葉将。
 そして。
 カメラのフラッシュが眩しいほど瞬かれる。あまりの記者の数と混乱ぶりに、怒声にも似た声が飛び交っている。
 ケイは、最高尾に席をかまえたまま、静かな目で、目の前の光景を見つめていた。
 柏葉将が用意された席の前に立つ。その隣に、実質本日の主役である片瀬りょうが並ぶように立つ。
「なんで片瀬なんだ?」
「さぁ」
 事情を知らない記者たちの囁きが、ケイの耳にも聞こえてくる。
 柏葉と片瀬。二人とも、揃いのようなシングルのスーツにネクタイを締め、どこか暗い目に、それでも強い覚悟を閉じこめ、今、日本中が注目するこの壇上に立っている。
「定刻になりました」
 傍らに控えている、片野坂イタジの声がした。
「今日は、質問はいくらしていただいても構いません。けれどまずその前に、柏葉と片瀬の2人から、みなさまに、申し上げたいことがございます」
 世論の関心を反映してか、民報各社、国営放送の記者もいる。
 ジャパンテレビが放映に難色を示したと聞いている。が、しょせんインターネットで流されるとあって、結局は全社が押し寄せた。
 初めて行われる柏葉将の謝罪、そして釈明会見。
「本日は、僕たちのために、貴長なお時間を割いていただきまして、まことにありがとうございました」
 マイクを持ち、柏葉将がまず、口を開いた。
 いつもそうだが、この折り目正しさは、瞠目に値する。彼の真面目な性格、そしていかに両親に礼節を重んじるよう育てられたか、その生い立ちや人間性が透けて見えるようだ。
 柏葉将は、もっとメディアに出るべきだ、とケイは痛切に思っていた。マスコミ報道でついた彼の「乱暴者」「道楽息子」というイメージ。それがいかに間違ったものであるか、彼の人となりを見れば、明らかに判るからだ。
「まずは、最初に」
 緊張のためか、声がわずかに上ずっていた。柏葉将がここまで緊張している理由を、ケイはよく知っている。
「僕が今日まで公の場に出ることを拒否していたため、みなさんに、多大なご迷惑、ご心配をおかけしたことを、心よりお詫び申し上げます」
 マイクを置いて、二人が、深々と頭を下げる。
 柏葉の頭は、しばらくそのまま動かなかった。
「……今日は、」
 ようやく、顔をあげた柏葉が口を開く。まだ彼が、この場に及んでなお躊躇していることが、その迷うような眼差しから察せられた。
「僕が何故、あのような事件を起こしてしまったのか、……あくまで僕の視点になりますが、今日は全て、お話しようと思っています」
 フラッシュが眩しいほど柏葉将の周辺を包み込んだ。
「今更かよ」
 隣席の記者から、そんな声がした。
「おいつめられて、さすがに言い訳考えてきたんじゃねぇの」
 ライトのため、むしろ蒼白にさえ見える柏葉将の顔は、それでも苦悩を振り切るように、力強く記者席に向けられる。
「6月23日の夕方、僕は当時のマネージャーから、緊急で取材が入ったから、受けてもらえないかと言われました。それが道徳さんのことで、フリーのジャーナリストだという紹介でした。ストームの軌跡を追った、ドキュメンタリーノベルを出版したいから、と」
 言葉を切って、柏葉は続けた。
「正直言えば、そんな気分ではありませんでした。その日は色々あって……苛々していましたし、別のことで頭がいっぱいになっていました。それでも、10分でいいというので、結局は赤坂の喫茶店でお会いすることになりました。最初はマネージャーも同伴の予定でしたが、用事が入ったと言われたのと、今日は挨拶だけでいいとの話でしたので、タクシーを拾って、一人で待ち合わせの場所に向かいました」
 淡々と語る将の隣では、片瀬りょうが視線を下げて、その言葉を神妙に聞いている。
「それで」
 記者の一人が初めて口をはさみ入れた。
「実際お会いして、何が原因で口論になったんですか」
 将は黙る。
 その沈黙に、フラッシュが襲いかかる。
「喫茶店で、お二人が激しく、いえ、柏葉さん一人がかなり激昂されているところを、色んな人たちに目撃されていますよね」
 将は答えない。唇をわずかに開き、そして再びそれを閉じる。
「なんですか、ここまできて、またダンマリですか」
「本当に謝罪するつもりなんですか、あなた!」
「僕に説明させてください」
 静かな声が、その喧噪に割って入った。
 片瀬りょう。
 最初から、何故彼がこの席に座っていたか判らなかった記者の間に、いぶかしげな空気が広がる。
「柏葉君は、写真を見たんだと思います」
 綺麗な、お手本のようなカメラ目線で、片瀬りょうは落ち着いた声で続けた。
「写真?」
「写真です」
 記者の問いかけに、りょうは頷く。
 やっとわかったよ。真咲しずく。
 ケイは、静かな気持ちで思っている。
 やっと判った。
「それには、僕と僕の母が写っていたんだと思います。母は長い間、精神を患っていました。道徳さんが将君と会った日は、その母が自殺した日です」
 これが、あんたの本当の切り札だったんだ。



                70


「今まで柏葉さんは、警察の事情聴取にも、動機については黙秘を貫いたという話ですが、それも全て、片瀬さんを守るためだったということでしょうか」
 将……。
 黒いスーツに包まれた親友の顔が、テレビ画面に映し出される。
「……守るというのは、違います」
 ためらったように、将はそこで視線を伏せる。
 判っている。こんな言い訳をするのが何よりも嫌いな男だ。いつも一人で決めて、実行して、終わった後でさえ何も言わない男だ。
「僕のしてしまったことは、あくまで僕自身の責任なので、そこで片瀬さんの名前を出すのは、違うんじゃないかと思いました」
「では、何故、今になって話そうと?」
 今、どんな思いで、将は壇上に座っているのだろう。そう思うと胸が張り裂けそうになる。今すぐ行って、腕を掴んで連れ戻してやりたいとさえ思う。
 自らの芸能人生をいったんは捨ててまでも、友人のスキャンダルを守りたかった。それが、将自身の生き方であり、信念だからだ。その頑なさは、誰よりもよく知っている。
 だから――今、つらいだろう。それが、苦しいほどよく判る。
「話した方がいいと言ったのは、僕です」
 片瀬りょうがマイクを取った。
「今日のことは、全て僕の一存で決めました。本当は僕一人でここに立つ予定でしたが、それを知った柏葉さんが、一緒に会見に出ると言ってくれたんです。彼が決心してくれたことを、とても嬉しく思っています」
 きっと。
 きっと、この男の決意が、将を変えた。
 ストームが、将を変えた……。
―――将……。
 不意打ちのように零れた涙を、浅葱悠介は指で払った。
 やっと判ったよ。
 俺には、何もしてやれないんだ。
 それは俺じゃなくて、他の誰かがすることなんだ。
 将と同じ場所に立ち、同じものを見つめている誰かがすることなんだ。
「悠介、もういい加減出てきなさい」
 扉の向こうから、母親の声がした。
「お父様も、今回は赦すっておっしゃってるんだから、もう一度留学でもなんでもすればいいじゃいない。何もすぐに仕事につけと言っているわけじゃないのに、いつまで子供みたいに拗ねているつもり?」
 少しだけ苛立った声は、やがてひそやかな足音と共に去っていく。
「………………」
 ぼんやりと膝を抱える。
 もしかすると、J&Mのスタッフになりたいと思ったのは、音楽活動を頭から否定している父親への、対抗心があったのかもしれない。一人ならできなくても、将がいればなんとかなる。いつも自分はそうだった。音楽をはじめたきっかけさえも。
 いつも、将ばかりに依存して――
(悠介にはね、悠介にしかできないことがあるのよ)
 亜佐美の声が、ふいに耳元で蘇った。
―――俺にしか、できないこと。
(私たちはね、私たちの立場で、できることだけをしたらいいの。それが一番大切だし、結局は一番将のためになってるのよ)
 俺の……立場。
 結局は父親に逆らいきれず、音楽は趣味で終わり、いずれは社会人になる。
 そんな俺に、できること。
―――俺に何ができるだろう……。
 悠介は黙って考える。いつも迷惑をかけるばかりで、何ひとつ返してやれなかった親友に、何が。
―――何ができるだろう……将。



              71


「言いましたね」
 優しい声が背後から聞こえる。ん、と頷くケイのデスクに、そっと暖かなコーヒーが置かれた。
「全部見てました。その後にあった綺堂君と水嶋さんの会見も。どちらも賛否両論、ネットでは非難ごうごうですけど、あれで、よかったと思います」
 ミカリの目元が笑っている。
 久々に全員が出勤した、冗談社。
 午後七時、外はもう、夜の闇に包まれている。
「でも、あんなことまで言わなきゃいけなかったんでしょうか」
 デスクの上でパソコンを叩きながら、大森が、少し悔しそうに口を開いた。
「作り話だとか、言い訳だとか……病気の親を利用したとか、とにかくひどい書き込みばかりで」
 それはケイも知っている。会見直後に行われたネット上での意見調査では、会見をすべきではなかったが、半数近くを占めている。
「言ったからって、何かが劇的に変わるわけじゃないのに……こんな世の中で何を言ったって、叩かれるのは目に見えてるのに」
「いいんだよ、実際大きく変わったじゃないか」
 ケイは笑って立ち上がった。
「変わったって、何がですか」
「もうこれで、ストームの連中は、堂々とおひさまの下を歩けるようになったってことだよ。あけっぴろげの、思いっきりあいつららしい、バカみたいに明るい顔でさ。それでいいし、それが一番大切なことなんだよ」
 もう、本当の意味で。
 あいつらに怖いものは、何ひとつないだろう。
「……これで、最後になってもさ」
 言いさして、ケイは軽く唇を噛んだ。
 真田孔明は、これでもう、なりふり構わずストームを潰しにかかってくるはずだ。
 状況は、限りなく絶望的だけど。
「もう、そんなこと、あいつらにはどうでもいいことなんだよ」
 ストームの五人にとって、それはもう、些細なことだ。
 多分、それよりも大切な何かを、あの五人は、いや、J&Mは手に入れたから。
「……私は、それでも、あがいてみたいと思ってます」
 かすかに微笑して、そう言ったのはミカリだった。
「まだ希望が全部消えたわけじゃないと思ってますから」
 ミカリは変わった。
 そう思いながら、ケイはミカリの肩を軽く叩く。
 ストームと自らを同化することによって、自身のトラウマを、ミカリは完全に克服したのだろう。今はもう、むしろケイよりも頼もしい、一人前の記者の顔になっている。
「アタシもやるよ」
「えっ」
「今回はアタシの負けさ。どこまで出来るかわかんないけど、やれることは、全部やってみようじゃないか」
 笑顔になったミカリが綺麗な目を潤ませる。ケイは笑って、その肩を抱いた。
 もう考えるのも迷うのもよそう。今はただ、情熱のままに走ってみたい。
 それは多分、想像しうる以上の危険な領域に、足を踏み込むことになるんだろうけど。
 あいつらが乗り越えた壁を、大人の私が乗り越えられないはずがないから。
「まずは、謎のメッセージの解読ですよ」
 この時を待っていたのか、張りきった声で、大森が立ち上がる。
「僕は、救世主、か」
 ミカリが眉をひそめて呟いた。
 高見は相も変わらず、下界の声など一切耳に入らない様子でパソコンにかじりついている
 例のメッセージ。
 僕は救世主、白ウサギを探せ。
「白ウサギのキーワードで色々調べてはみたんですけど、さっぱりです。ハリウッド映画マトリックスで、似たようなメッセージがあったことくらいでしょうか」
「主人公を、バーチャル世界へいざなうメッセージだね」
「follow the white rabbit、白ウサギについていけ。キアヌリーブス演じた主人公ネオは、救世主という設定ですから、救世主、白ウサギというワードだけとると、符号しているとも言えますね」
 ケイは頷いた。
 マトリックスでいう白ウサギとは、不思議の森のアリスの一場面を意味している。白ウサギを追って異世界にいざなわれたアリス。
 白ウサギを追って、たどり着く世界。
 ケイは唸って、唇に指を当てた。
「……このメッセージ自体が、マトリックスのパクリだってことは間違いないような気がするよ。でも、だとしたら、一体どういう意味なんだろう」
「ラテン語の母から派生した単語で、子宮という意味でもありますね。マトリックスは」
「あんま、関係なさそうですよねぇ」
 ミカリと大森も、首をひねっている。
「……ま、そこは高見に任せるしかないだろうね」
 多分、考えても無駄だろう。ケイやミカリがたどり着けるレベルの話ではないのだ、おそらく。あれきりものも言わずにパソコンに向き合っている高見が、一切の説明をしない以上、そういうことなのだろうという気がする。
 もしかすると、あれは、高見にだけ意味が判るメッセージだったのかもしれない。
「どうせネットユーザーの隠語だよ。白馬の騎士は高見に任せて、アタシたちは、別の方面からあたってみるさ」
 ケイは肩をすくめ、席に着こうとして、デスクの上の分厚い茶封筒に気がついた。
 今朝大森から手渡されたばかりのそれは、ようやく届いた真咲しずくの身辺調査の報告書である。
「…………」
 おそらくここに、消えてしまった女の行方が記されている。
―――なんだかねぇ。
 自分で頼んでおきながら、何故か気のりがしないまま、それは未だ、封を切らずに置いてある。理由は判るようで、判らない。
 封筒を引き出しに放り込んだ時、「ケイさん」背後からミカリの声がした。
「……実は、もう一つ。それとは別の話になりますけど、うちの雑誌で特集を組んでみたいことがあって」
「特集?」
 我に返ったケイの隣に、ミカリが腰をかけながら切り出した。
「流川凪さん、覚えてます?」
「ああ、あの歌舞伎町の?ミカリも知り合いだったっけ」
 歌舞伎町?と、わずかに眉をひそめたが、ミカリはすぐに、いくつかの資料をケイのデスクに並べた。
「彼女、元キッズだったんです。J&Mの歴史にあって唯一の女性アイドル、ていっても、素性は男で通してたみたいですけど」
「へぇぇ、漫画みたいじゃん」
「その彼女が、キッズの卒業生全員に手紙をだして、ネットワークの創設を呼び掛けているんですよ」
「……ネットワーク?」
「発起人は、彼女と、レインボウの前原さんの息子さんです。凪ちゃんもなかなかのビジュアルですけど、彼もかなりのイケメンですよ」
「ふぅん……」
 絵になると、そう言いたいのだろう。
 ケイは、身を乗り出している。
「で?どういった内容なのさ」
「J&Mと、そしてストームをサポートする私設応援団みたいなものです。実は私と大森も協力してたんですけど。ネット上のファンサイトを統合して、ひとつの大きなサイトにしようと、検索をかけて引っかかったあらゆるサイトに呼び掛けてみたんです」
「それで?」
「驚かないでください。口コミで広がったんだと思いますけど、たった三日で、500を超えるサイトから協力の返事がありました。中には韓国、台湾、中国からも」
「………………」
「今日の2人の会見を受けて、その動きはますます加速すると思います。……正直、ここまでの声があつまるなんて、夢にも思っていませんでした」
 差し出されたのは分厚い紙の束。
「……なに、これ」
「凪ちゃんに寄せられたメールです、全部私の方でプリントアウトしました」
 
 がんばれ!
 絶対に負けないで。
 何もできないけど、応援してます。
 私の分までストームを応援してください!!!
 まけんなよーーーーっっ
 将君の大ファンです、もう一度、彼にステージに立たせてあげてください。


 ケイは唖然としつつ、紙を手繰る。コメントは短いものから長いものまで、数百、数千、延々と続いている。


 マスコミは絶対おかしいと思う。柏葉将事件は、そんなに騒ぐことでもない。柏葉将が謝罪しようとすまいと、それは彼のプライベート、アーティストとしての彼の評価に置き換えることがそもそもおかしい。
 テレビは、もっと公平に検証してほしい。インターネットの声におされるように、ストームを責めるのはやめてほしい。
 誰かの悪意が、世間一般の声になる。もうこんな、虚しい連鎖はやめにしましょう。
 企業やマスコミは、ネットの声に踊らされることなく、もっと冷静に対処すべき。


 それまで、決して表に出ることがなかった声なき声。
 ひっくり返るかもしれない。
 机の上で、ケイは無言でコーヒーカップを握りしめる。
 口に出せない興奮で、指が震えた。
 ほとんどあり得ない、奇跡のような可能性だけど、もしかすると、本当に。
 この絶望的な状況がひっくり返るかもしれない。









 

                 >next >back 

 
          
感想、お待ちしています。♪内容によってはサイト内で掲載することもあります。
Powered by SHINOBI.JP