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「えーっ、ええっ、マ、マママ、マ、マ、ママ」
「しつけーよ、雅」
 ばこんと憂也が、マを連発する男の後頭部を叩く。
「マジっすか」
 そして親友の言葉を翻訳した。
「だから、本当、それは緋川君が、2000年のミレニアムコンサートで着た衣装なんだって」
 ふらっ。
 と、昏倒しかけた雅之を、背後の聡が慌てて支える。
 都内の貸しスタジオ。
 外は穏やかな秋晴れの午後。澄みきった明るい日差しが、締め切った室内にも入り込んでいるようだった。
 コンサートのリハーサルのために借りきった一室。昨夜からぶっ通しで続いていた稽古を終えたばかりの熱気と喧噪が、フロアのいたる所にあふれている。
 わずかな休憩のためにスタッフが出て行ったその空間に、今、色とりどりの衣装の花が咲いていた。
 いや、花などという可憐な表現では生易しい。ぎらぎらと反射して輝く、夜のネオンにも似た色彩だ。
「あ、でもさ」
 至福の笑顔でぎゅっと自分を抱きしめる雅之に、かつてJ&Mの専属衣装担当だった佐々木エリは、少し気の毒そうな眼を向けた。
「緋川君のやつはあっち。雅君が着てるのは香沢君のね。サイズの都合上」
 えっと、エリに指さされたりょうが瞬きする。
 着ているのは紫ラメのフリルつきスーツ。手を動かすたびに、長いレースが流線を描いてひらひらと踊る代物だ。
 わーっと襲いかかる雅之を聡が止めて、りょうは即座に将の背後に回り込んだ。
「頼むから、子供みたいなことでいちいち騒ぐな!」
 その将は赤。
 聡は黄色。
 笑っている憂也は緑である。
 それぞれのスパンコールが、スタジオの照明を浴びて眩しいくらい輝いている。
「でもよかったー、全部綺麗に残しておいて」
 佐々木エリは、大きな口を広げて笑った。
 四十七歳、舞台衣装専門会社「HAL」の代表取締役兼デザイナー。近年のJ&Mのコンサートは全て「HAL」が手掛けている。
 旧J&Mの崩壊と共に双方の契約は白紙に戻ったが、今回のコンサートでは、自ら協力を申し出てくれた稀有な存在だ。
「こんなドハデなタキシード、演歌かキミマロじゃなきゃ、J&Mしか使わないじゃない。つぶれた時はガレッジセールで叩き売ろうかと思ったけどさ」
 さばさばと言い、エリは腰に腕をあてた。二人の子持ちながら、衣装を扱う職業がらか、そのスタイルは抜群だ。今も黒のシャツにスキニージーンス。脚が綺麗に伸びている。
「ガレッジセールよりオークションのが高値がつくんじゃない?」
 その衣装に、印用のビニールテープを張りながら、憂也。
「こんだけあったら、むしろ展示会でもした方がいいと思うな」
 その隣では、将がステージの進行表を見ながら、憂也のセレクトした衣装をチェックしている。
 年末のコンサート。使用するステージ衣装は着替えの時間を最小限に考慮して全8種類、二回予定されているアンコール分を含めると10着になる。
 当初、ステージプランに合わせて新しくデザインする予定だったが、誰からともなく出た意見で、昔のものをリメイクして使おうということになった。
 「HAL」のもとには、昨年のコンサート、そして今年使用予定だった衣装が在庫として大量に残されている。中にはエリの趣味で、リサイクルせずに保存されている貴重な衣装もあり、先ほどの2000年ギャラクシーミレニアムライプの衣装もそのひとつだった。
「この列がサムライ6、こっちがマリア、スニーカーズにギャラクシー、どれでも好きなの選んでいいけど、本当に全部お古でいいわけ。1着くらい新しいのデザインさせてよ」
 この仕事が三度の飯より好きといってはばからないエリは、そこで耐えかねたように眉をしかめた。
「てゆっか、あんたたち臭い!似非アイドル、一体いつから風呂入ってないのよ!」
「え?マジ?」
「なんも感じねーけど」
 くんくん、と腕に鼻を寄せる雅之と聡。
「ここに泊まりこんで四日になるしな。そういや風呂って入ってたっけ」
 はぁ??と、エリはしかめた眉を大きく上げて、譜面やら振り付け表やら、コンビニ弁当やスナック菓子の袋やらが散乱しているフロア周辺を見回す。エリの脚元に転がってきたペットポトル、わずかに残った液体には薄くカビが浮いていた。
 それから、汗沁みと脂でしんなりとしおれたシャツを着ている柏葉将を、まじまじと見る。
 タオルで包みこんだその髪は、取ろうものならば、「うっ」と顔をそむけたくなるほど獰猛な気配を漂わせていた。
「まさかと思うけど、ここに泊まってんの?」
 おそるおそるエリは訊いた。
 よく見れば隅に毛布の山が打ち捨ててある。
「だって、帰れねーもん。どこもかしこも記者さんが張り込んでてさ」
 鼻の頭に脂を浮かせて雅之。
「ホテルにいちいち戻るのも面倒だしさ。振り付けは、今が追いこみだからね」
 聡の髪は、寝グセでアニメのヒーローみたいに逆立っている。
 てゆっかお前らアイドルじゃねーだろ。
 そんなことを思いながら、エリは今朝のテレビで見た、さわやかな五人のインタビュー映像を思い出す。全然別人。というよりこのスタジオの一室そのものが、世間の喧噪から離れ、まるで別の時を刻んでいるようだ。
 で、そんなエリの戸惑いにはまるで無頓着なストームは、持ちこまれた歴代ステージ衣装の前で、ひたすら舞い上がっている。
 ずらりと並んだ絢爛豪華な衣装の数々。本当に豪華なのはその仕様ではなく、本来の使用者たちだ。マリア、スニーカーズ、ギャラクシー……ファンには垂涎ものの衣装がずらずらと並んでいる。
 すでに興奮状態がピークに達している雅之ならずとも、全員が軽い高揚状態だ。
 見るだけで、あ、この衣装はあの曲の……と、即座に記憶が喚起されるのか、すでに、足でステップを踏んでいる者もいる。
 が、その中で、一人場違いに冷静な男が、エリの背後から歩み出てきた。
「衣装のセレクトは、機能性を第一に考えろ」
 矢吹一哉。
 休憩から戻ってきたらしい男は、ぶっきらぼうな怒り声でそう言うと、浮かれている5人を睨みつけた。いや、普通に見たのかもしれないが、おそらく10人中10人が、睨んでいると判断するであろう針のような眼差し。
「着衣水泳と同じだ。余計な装飾は体力を無駄に奪うことを忘れるな」
「いっそ、ハダカでやっちゃいましょうかぁ?」
 その空気を読めないのか読んでいてやるのか、ふざけた声で憂也。
 雅之が気まずそうに目を泳がせ、聡がごほんと咳ばらいをする。
 矢吹一哉。
 旧J&Mの取締役の一人で、活躍していたのは本格舞台かミュージカル。
 歌手、ドラマ等、タレントじみた仕事は一切しないし、所属タレントとは頑なな一線を引いていた寡黙な男である。
 そんな矢吹とストームが、仕事でバッテイングすることなどもちろんない。仕事の上では、今回が、実質初対面といってもいい。
「裸も衣装のひとつだ」
 憂也のノリは、実に合理的に、そして事務的にスルーされた。
 それだけ言うと、矢吹はあっさりきびすを返し、隅のベンチに腰を下ろす。小さな休憩スペース、テーブルの上には差し入れのお菓子やお茶、小型モニターなどが備え付けてある。
「や、やりにくくねー?」
 こそこそと雅之が憂也に囁く。
「ま、いいんじゃね。厳しいけど、基本的には俺らに任せてくれてんだし」
 衣装のひとつを羽織り、鏡の前でポーズを決めながら憂也。
 貴族仕様の白タキシードは、去年、ストームのライブで使ったものだ。
「植村さんも言ってたじゃん。やぶっちゃんは、不機嫌が地なんだ、むしろ機嫌がいい時のが恐ろしいから気にしない方がいいってさ」
「本当に、自分から志願してきてくれたのかな」
 そこで、首をかしげながら、りょうが口を挟む。
「不機嫌どころか、ものすごく嫌そうな顔してんだもん。稽古でも打ち合わせでも、挨拶さえ返してくんないし」
「俺、美波さんがむしろやさしく思えてきた」
 こそこそと、雅之。
「美波さんは飴と鞭の使い分けが上手いんだ。矢吹さんの場合、飴が一切垣間見えないからな」
 憂也と同じ白タキシードを手に取りながら、将。
 憂也が軽く口笛を吹いた。
「でも俺、そういうとこ嫌いじゃないよ。教えるだけ教えて後は勝手にしろって突き放されてる感じがたまんない」
「な、なんだよ、そのMっぽい言い方は」
「怖いけどやっぱすごいよ、あの人は」
 同じくタキシードを羽織りながら、聡が囁くように割って入る。
「振り付けだって、ちょっと直してもらっただけであれだよ、踊りながらでも声が自然に出せるようになったんだ。これだったらいけるよ、歌も踊りも、両方魅せることができる」
「……ありがたいよな、本当に」
 将は、袖の長さを確かめながら呟いた。
 歌も最後まで歌って、踊りも魅せる。
 それが今回のステージ、ストームが自らに課した目標だった。
 しかし、そのためには、それまでの踊り中心の振り付けを、大幅にアレンジしなければならない。どれだけ努力しても、飛んだり跳ねたりの振り付けでハーモニーを合わせることなど不可能だからだ。
 が、その飛んだり跳ねたりも、アイドルのステージには欠かすことができない演出なのである。
 どうやって、両立させるか。
 書いては消し、歌っては諦め、踊っては失望し――聡が一か月以上悩み抜いた振り付けは、矢吹が手を加えることで、ほぼ完成の域に近づいていた。
「踊る時は踊って、歌う時は歌うんだよな」
 珍しく、ハミングをしながらりょうが言った。
「そ、要はメリハリと呼吸なんだ。ムダな動きをやめて、呼吸に身体を合わせたら、自然に動いて声も出る」
「だいたい俺たち、五人だしな、一人が歌ってる間に、回りで踊ればいいんだし」
 そう、魅せ方は無数にあり、ストームが知っていたのはそのごく一部にすぎなかった。
 それを、経験という翼で、今回は矢吹におぎなってもらったのかもしれない。
「色んな事、……頭じゃわかってたけつもりだったけどさ」
 脱いだ衣装をハンガーにかけながら、将はあらためて感謝の思いで矢吹を見る。
「やっぱ、俺らの知識や技術じゃどうにもなかったのかもしれない。本当、先輩ってのはありがたいよ」

 僕らは くるくる廻る この世界の輝きになる

 ふいに雅之が歌い出した。
「おいおい、なんだよ」
「いや、ちょっと試したくなって」
 覚えたての新しい振り付け。右手を頭の上でくるくると回す。
「お前がやると別の意味に見えるな」
「うっせーよ」


 まだ大丈夫 まだ行けるさ
 信じていれば
 きっと神様は奇蹟の鍵を
 雲の隙間から落としてくれる


 気がつけば、全員がポジショニングをとって、同じステップを踏んでいた。
 「Vous croyez le miracle
 デビューシングル「STORM」のBとしてリリースした曲だ。可愛くて元気のいい曲で、コンサート前半に歌う予定になっている。

 だから大丈夫
 仲間を信じて 僕を信じて
 行くんだ 光る1つの星になるため


 前半が終わるや否や、聡が手を叩いて首を振った。
「ストップ、ストップ」
 天窓は開いているが、室内は熱気で少し熱いほどになっている。
 足をとめて聡を見た全員の顔が、汗と熱気で火照っていた。
「全然ダメ、午前にあれだけやったのに、まだみんなバラバラだよ」
「雅、お前一人がずれてんじゃねえの?」
「将君さ、ターンのタイミングが悪いんだ、もうワンテンポ早めてみてよ」
「いや、俺はあってるだろ、りょうがずれてんだよ」
「それはないね」
「いや、俺もない」
「俺は絶対ずれてない」
「あー、わかったわかった、じゃ、もっかいやってみようよ」
 火花の散る目でにらみ合った一瞬の後、全員が試着中の衣装を脱ぎ棄てた。
 鏡の前で、びしっとポーズを決める、聡が口でカウントを取る。
「……どうでもいいけどさ」
 その背後で、エリが呆れた声をあげた。
「あたしゃ、いつまでここで待ってりゃいいのかしらね」



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「まるで夢の世界の住人ね」
 ロビーで肩を落として携帯メールを打っている男に、エリはひょい、と声をかけた。
 「情熱王国」のオンエア以来、今や全国区に顔が売れてしまった、ストームのマネージャー逢坂真吾。
 エリにとっては旧J&M時代からの顔馴染みだが、いつも精気に溢れている男が、今日はいつになく憔悴して見えた。
 年末のコンサートまであとひと月半である。人手不足の事務所にあって、若い彼が殺人的なスケジュールに追われているのは想像にかたくない。
「なんの話ですか」
 逢坂は力なく笑って顔を上げる。痩せた頬、ここ数日で十は年を取ったようだ。日やけした顔はむしろ青黒くさえ見えたが、さすがに風呂には入っているのか、あまり趣味がいいとは言えない男性化粧品の匂いがした。
 エリは、首をすくめて、出てきたばかりの扉を指さした。
「連中、このスタジオを学校の合宿所か何かと勘違いしてんじゃないかな。テレビ局のスタッフだって、あそこまでひどくはならないわよ」
「ここ、仮眠室はあってもシャワールームがないんで」
「そういう問題?」
 それでも、エリの唇は自然にほころんでいる。
「思い出しちゃったな、あたしが新人の頃のこと」
 逢坂の相槌はないが、エリは独り言のように言葉を繋ぐ。
「初めてのショーの前日、みんなで徹夜した時のこと。不安と希望と武者震い、無駄なエネルギー満タンのハイテンション状態、寝ても覚めても頭の中にはデザインとショーのことしかなくて……懐かしいな」
「あいつらはいっつもそうなんですよ」
 逢坂が、どこか疲れた声で口を挟む。
「あいつらだけじゃなく、Jの連中はみんなそうです。子供の頃からそんな環境でやってきて、大学出て就職する年越えても、ずっとあんな調子なんです。言いたいことわかりますよ。懐かしいけど、本音を言えば妬ましいって思う時がありますから、俺なんて」
 その投げやりめいた口調に、エリはちらり、と横に立つ男の顔を垣間見ている。
「いくら一緒にやってても、俺なんて名前も残らない裏方ですからね。……ま、この空気が好きで戻ってきたから文句も言えないっすけど」
 夢の住人、か。
 逢坂は、苦く笑って呟いた。
「あいつらの時ってどっかの時点で止まってんのかもしんないっすね。今だって外は大騒ぎなのに、ここは――確かに、夢みたいな別世界ですから」
 その笑いに、影がある。
 エリは不審を感じて瞬きをする。
「うちから、今夜にでも連絡がいくと思います。マスコミにHALさんの名前は公表してないんで、迷惑が及ぶことはないと思いますけど」
「なんの話?」
「夢の世界に住んでるのがあいつらなら、それを守るのが俺たちの役目だったけど……少し、難しいことになってきたから」
 逢坂は携帯を閉じて、それをポケットに滑らせた。途端に着信音が鳴る。逢坂は顔色ひとつ変えず、それを無視する。
「柏葉に殴られたっていう被害者が、今日、独占インタビューという形で、初めてメディアに出てきました」
 咄嗟にその意味が判らず、エリは黙って瞬きをした。
「同時にうちにも、弁護士を通じて民事訴訟の予告と、コンサートの中止要請が届いています」
「……どういう意味?」
「柏葉がストームとしてコンサートに出演した場合、相手さんは柏葉相手に民事訴訟を起こすと、そういうことですよ」
 弱い笑いを浮かべ、逢坂はぺこりと一礼した。
「今から連中に話してきます。電話より直接いけって、唐沢さんに言われたんで」
 エリは立ったまま、その頼りない背中が扉の向こうに消えていくのを見つめる。
 ようやくエリは気がついた。逢坂の眼には最初からあきらめの色があったことを。
 今まで、頑なに取材を拒否していた被害者がテレビに出てきた。何故か今、この時期に。
 立つことができないまま、エリは無言で眉を寄せる。
 それは、何を意味するのだろう。
 ここ数日の、ストームを巡る報道の過熱ぶりは凄まじかった。正義のヒーロー、悲劇のヒーロー、けれど、持ちあげられた者は、その分だけ叩き落とされる。それが、芸能界のセオリーだ。
 扉の内側は夢の世界、でも下界は――残酷な時が進行している。










                

 

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