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「そうですね……リベンジとか、そんなんじゃなくて……僕らが悲しませたり、苦しい思いをさせてしまった人たちに、心から楽しんでもらいたい、喜んでもらいたい、そういう願いをこめたコンサートなんです」
 画面で、淡々と語っているのは、かつて芸能界でトップアイドルの座を掴みながら、その人気絶頂の最中、暴力事件で引退したはずの元アイドルだった。
 柏葉将。
 数か月ぶりにテレビ画面に映る男の顔からは、やや女性めいた甘さが消え、精悍で控え目な大人のものになっている。
「すごい汗ですね」
 顔は映らないインタビュアーの声。
「ああ、汗っかきなんで」
 その額から零れる汗を、柏葉将はタオルで拭った。
 夕闇の河川敷。背後では、ストームの残る四人が振り付けの稽古をしている。その映像に、先ほどのインタビュアーの声が重なった。
「また早いとか、反省がない、とか、……色々言われているのはご存じですか」
「ええ、当たり前の批判だと思っています」
「それでも、ステージに立たれることを選んだ理由は」
「……うーん」
 殆んど素顔に等しい、二十二歳の若者の横顔だった。
 うつむいて笑うその横顔の切なさに、身守る凪は思わず胸を打たれている。
 東京渋谷。待ち合わせ場所の対面にある、ビルの壁面に備え付けられた巨大スクリーン。10月末日、自宅でこの番組は録画している。
 午後8時、こんな時間にも関わらず、テレビ映像の前にはちらほらと人だかりができていた。
「芸能界は甘いねぇ、もう犯罪者をテレビに出してるよ」
「えらそーなこといって、自分が目立ちたいだけなんだろ」
 そんな揶揄が、若い男性連れから聞こえてくる。
「誰?柏葉将?」
「引退したアイドルでしょ?だっせ、もう戻ってくるんだ」
「どうでもいいっつーの」
 その反面、祈るようにして画面を見守っている女の子たちもいた。その目が涙ぐんでいるのを見て、凪もまた、胸が苦しくなっている。
 画面では、柏葉将が、長い沈黙を破って口を開いた。
「今見せなくて、いつ見せるのか……って、そんな感じかな」
「ステージのことですか」
「そうです、僕らのことを待ってくれている人たちは、何年か先の僕らではなく、きっと今の僕らが見たいんだと思うので」
「批判を覚悟で、復帰を決意されたと」
「反省を口実に逃げてる方が、……卑怯なんじゃないかな、と思いました」
「それでも、大変な決心がいったでしょう」
「……一人だったら諦めてました、五人だから、あの連中と一緒だから決断できたんだと思います」
 画面が切り替わる。
 その四人の姿になる。
 全員が、沈む夕日をシルエットに、汗みずくになって踊っている。
 息を切らし、肩を上下させ、厳しく飛ばされる指示に繰り返し同じステップを刻んでいる。
 曲は流れないでも、振り付けでわかる。奇蹟。
 ぐっと胸が詰まり、凪は涙が滲みそうになった。
「振り付け担当は矢吹一哉氏、元J&Mのメンバーで、舞台では日本の権威とまで呼ばれた人です」
 ナレーターがそこに被さる。
「今回、ストームの五人は新たな挑戦を試みています。三時間のステージ、フルで生歌で通すという試みです。一般のアーティストには当たり前のことでも、派手な演出とファンサービスが第一とされたJ&Mのステージでは、それを実現させるのは、なみたいていのことではありませんでした」
 画面が再び切り替わる。
 河川敷をダッシュしている五人の映像。
「なにこれ、やらせなんじゃないの?」
「ありえないでしょ、こんなとこで、毎日練習してるわけ?」
 OLらしき女性たちの冷めた声。
「そりゃ、きついっすよ、でも体力ないとどうにもならないから」
 綺堂憂也。
 去りかけたOLたちが、足を止めた。
 それだけの花が、今が旬の綺堂憂也の顔にはある。
「俺が戻ったわけですか?単純にアイドルが好きだから、あ、俺のこと俳優なんてテロップつけないでくださいね。俺、アイドルに誇りもってっし、多分一生一アイドルですから」
「仕事が制限されるとは思いませんか」
「えー、されんのかな」
 屈託なく、憂也は笑った。
「そんな風に思ったこと、今まで一度もないんですよね。俺はアイドルだからここまでやってこれたし、俺たちを支えてくれたのはファンのみなさんなので、……一にも二にもファンです。ファンを喜ばせるために存在してるから、俺たちは」
「そのファンを裏切る形での、解散となりました」
「……うん、そうですね」
 綺堂さんは、どう答えるのだろう。
 凪もまた、固唾を飲んでいる。
「それは、すごい反省しなきゃならない。俺たち全員が、足元もっかい見直さなきゃならない。……そういう意味で、いい勉強になったんだと、僕は前向きに考えてますけどね」
「高い代償でしたね」
「……そうですね、その代償ってのかな、それを払ってくのは、これからになるんでしょうね」
 少し寂しげな横顔だった。
 が、それは間違いなく、元来の綺堂ファンの心をわしづかみにしているだろう。
 結局は、何をやらせても上手いのだ、この人は。
 画面がまた切り替わる。
 今度はピアノの前、恰幅のいい黒人男性が、音を取りながら、いならぶ五人に指示を飛ばしている。
「ボイストレーニング担当は、K・ウッディ氏、解散したジャガーズの編曲などを担当していたこの世界では有名なシンガーでもあり、名プロデューサーでもあります」
 画面では、そのウッディを前に、片瀬りょう一人が居残り練習をしている風景だった。
「まぁ、……下手ですネ」
 冒頭、いきなりのインタビューに、ウッディと呼ばれた黒人はあっさりと答える。
「それでもコンジョーだけはあると思います。やってて楽しい、僕が、デス。ストームは、ミュージックアワードの共演以来お気に入りなんデス。だから一も二もなく引き受けました」
「早すぎる復帰コンサートのことは、業界でも意見が割れていますが、どう考えていますか」
 ウッデイは、ひょいと肩をすくめた。
「ボクでも同じことをやりますよ、僕らはしょせん、歌うたいデス。歌しか知らない僕ラニ、他にどうイッタ謝り方ガアルノでしょう。何をスレバ、業界のミナサンは気ガ済むのかな。もう二度とストームが表ブタイに立たないこと?ナンセンス!それは別の思惑から出たヨウキュウです。僕は、素晴らしい、デンジャラスで最高の選択だと思ってマス」
 画面に、ペットボトルの水を苦しげに飲みほす片瀬りょうの横顔が映し出された。



                23


「みんなは何も言わないけど……ストームがあんなことになって、みなさんに迷惑をかけた原因みたいなのは、やっぱり僕だと思うから」
 どうして復帰を決意されたんですか。
 その問いに答えている、片瀬りょうの第一声だった。
 カメラがまだ不安なのか、落ち着きなく視線は彷徨い、時折手を髪にあてている。
 緊張している時にりょうがみせる、いつもの癖。
 馴染みしかいない店内は静まり返っている。
「消そうか」
 母親が言ったが、真白は無言で首を振った。
 逃げるために別れたんじゃない。りょうの全てから――これからも、目を離すつもりはない。
「……彼女と、密会をスクープされましたね」
 背後で、母が洗いかけの食器を落とす音がする。真白の心臓も跳ね上がった。父の包丁の音だけがいつも通りだ。
「あれは……絶対にやってはいけないことでした。僕にとっても、僕が大切にしていた人にとっても」
 りょうの表情は変わらない。それが、真白を少しほっとさせる。
「その時の気持ち、きかせてもらってもいいですか」
「急に人気者になって……嬉しいというより、ただ毎日不安でした。不安で……怖くて……寂しくて……、みんなは片瀬りょうっていう架空の人物ばかり見ていて、本当の自分を理解してくれる人は誰もいないんじゃないか、そんな気持ちにさえ、なってました」
「片瀬りょうは、七年前、ステージで倒れ、過呼吸症候群と診断されています。その時も、一時は医師に、芸能界引退を勧められました」
 ナレーターが被さる。
 真白は、ようやくこの番組の真意を理解した。
 この番組は、ストームの陰の部分まで、全てを丸裸にしようとしている。その上で、視聴者に審判を仰ごうとしているのだ。とすれば、一体どこまで暴かれるのだろう。別の意味で心臓が痛くなる。
 りょうの母親が精神を患い、自殺したことは、地元でも一部の人間しか知らないのだ。りょうの父親も家族も、故人の名誉を守るため、それを頑なに隠している。
 再びりょうの横顔になる。
 ひどい生活を送っているはずなのに、その肌はストレスなどない時のように、白く透き通って美しかった。痩せて鋭利になった頬、野性の潤みを帯びた、それでいてあどけない瞳。その美しさと儚さに、視聴者の誰もが心を奪われているはずだ。
「不安で……怖くて……逃げたかったのかもしれません。そういう意味では、僕はあの時点で、芸能人としてもアイドルとしても、完全に失格でした」
 画面に、バッシング記事が重なり合って映し出される。
「人気絶頂だった片瀬りょうのスキャンダルを受け、当時のJ&M社長唐沢直人氏は、完全否定会見を片瀬りょうに強要しました。それは同時に、スクープされた女子大生をメデイアリンチにさらすことになり、女子大生は当時通っていた大学を中退、再び社会に出るまでに半年近くのリハビリを余儀なくされました」
 自分のことなのに、それはまるで見知らぬ人の話のようだった。
 真白はただ、りょうの辛そうな横顔を見つめ続ける。
「辛かった……怖かった……自分でも、どうしていいか……何をしていいか、本当に判りませんでした」
「そんな中でどうして、復帰を?」
 母親の死のことはスルーされている。
 真白はようやく、息をついた。
「J&Mの記者会見を見たからです」
 りょうは、少し明るい横顔で続けた。その眼差しが、ふいにカメラに向けられた。まるでそこにはいない誰かを見つめているように。
「僕は……僕を応援してくれる人のためにも、もう一度、ステージに立たなければならないと思いました。それが傷つけた人に対する僕の責任だし、贖罪だし、僕の生きている……」
 りょう。
 私の――りょう。
「生きている証だと思いました」
 もう、何も心配しなくていいんだね。
 もう――りょうのこと、考えなくてもいいんだね。
 真白は静かに流れる涙を拭う。何度も拭う。
 りょう……。
 りょう、りょう、澪、私の澪。
 本当に……さよなら。



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「ストームといえば、柏葉将が起こした事件を切り離して考えることはできません。あの事件はどうして起きて、柏葉将は何故一切を否認したのか。携帯電話の発見場所、行方をくらました被害者、全ての謎が残されたまま、事件は起訴猶予という形の決着を見ました」
 当時の新聞記事、謝罪している将の横顔などがめまぐるしく映し出される。
 九石ケイは煙草を灰皿におしつけた。きたか。
 ここに触れなければ、視聴者が納得しないのは目に見えている。思いながらそら恐ろしくなった。一体この番組は、どれだけの数字を叩きだすのだろう。
 裏番組は、エフテレビの看板Haihaihai、今夜のゲストはソロデビューを果たした貴沢秀之。サンライズテレビは「ニュースタックル」バラエティ形式のニュース番組で、今夜の特集は東邦EMGとジャパンテレビの攻防、どちらも確実に十パーセン以上の数字を叩きだす番組だ。
 柏葉事件の経緯が、ナレーターの口から簡潔に語られる。
 冗談社。
 固唾を飲んでテレビを見守っているのはケイだけではない。
 背後にミカリ、大森、そして高見。
「この事件には、専門家からみても奇妙な点がいくつかあると言われています。そのひとつが、起訴か不起訴か、その焦点になっていた事件現場です」
 インターネットで、柏葉将の父親が懸命に訴えていた点でもある。その情報を掴んだのはケイと、そして高見ゆうり。が、当時テレビでそれが取り上げられたことは一度としてなかった。
 A地点、B地点、と、柏葉将、被害者がそれぞれ現場だと言って譲らない場所が、図面で記される。
「柏葉将は、逮捕当時から事件現場はB地点であるという主張を曲げず、はからずも携帯電話が発見されたことで、その主張は概ね認められたと思われます。しかし奇妙なことに、被害者の血痕、争った形跡のある場所はA地点であることもまた間違いない事実なのです」
 検証。
 という文字が闇の中からフェイドインする。
 ゆったりと椅子に腰かけた背広姿の男の下に、元検察官山下重雄氏、というロゴが出る。
「考えられるのはですね、まぁ、被害者があれだけの怪我を追っていたわけですから、前後不覚になっていたのではないかと、いってみれば記憶の錯誤ですね。人間というのは非日常の事態に遭遇すると意外に前後の記憶が混乱するものなんです。この場合、加害者でもある柏葉将の方が、より冷静だったということなのではないでしょうか」
―――警察は、しかし傷害容疑については起訴を断念したようですが。
「それは……正直いうと、非常に考えにくい事態ですね。ご存じのとおり、我が国の犯罪起訴率は百パーセントに近いものがあります。簡単に言いますと、警察が逮捕までに至れば、ほとんどの確率で起訴になる。特に柏葉将は、二十日以上にわたって留置されていたわけですから、これは検察の常識からいっても、確実に起訴になると思って間違いない」
―――初動捜査のミスではないかと、言われていますが。
「……ひとつ考えられるのはですね、警察はあるいは、別の犯人の可能性を、そこに読み取ったのではないでしょうか。被害者の主張をうのみにしては、公判が維持できない。それを補強するだけの証拠もない。しかも被害男性は、すでに海外に移住してしまっていますからね。初動捜査の遅れといえばそれまでですが、単なる喧嘩だと判断せず、現場検証をきちんとしていれば、もう少し違った何かがでてきた可能性はありますね」
―――被害者の記憶違いだったと。
「ひとつの可能性、ですね。被害男性は起訴が見送られた後も、なんら異議申し立てをしなかったそうですし、……まぁ、あまり考えられないことではありますがね。警察が起訴を見送るという決断を下した以上、かなりの可能性で柏葉将が無罪であると、その心証が強くなったと思うべきでしょうね」
―――誤認逮捕であったということですか。
「そうとまでは言えません。事件当夜の状況からみても、柏葉将逮捕には、正当性があったと判断できます。なにしろ、被害者がはっきり柏葉将の名前を言ったんですからね。そして柏葉将もいさかいがあったことを認めた上での、現行犯逮捕となっている。私はむしろねぇ……どうしてこのような重大な点で、被害者が思い違いをしたのか、そこをもう少し、警察は踏み込んで捜査すべきではないかと思いますねぇ、二度とこのようなことが起こらないように」
―――被害男性が、故意に虚偽を証言したと。
「うーん……その線は、無論、警察も疑ったのではないかと思いますよ。ただ、被害者の方はすでに海外に出ておられると。まぁ、あれだけ騒ぎが大きくなりましたからね。いたたまれないというのもあったんでしょうね」

「へー、すごい、手のひらを返したように柏葉君よりですね」
 背後から大森の声がした。
「テレビって不思議だなぁ、事件の時は、どの専門家もこんなこと一言も言わなかったのに」
「局の意向なのよ、それが」
 ミカリ。
「こういう方向で話してくださいって流れがあらかじめできているわけ。映像の見せ方、音楽、キャスターの視点、それによって視聴者がどんな心証を受けるか、全部計算されてるのよ」
「でも……そんなの、報道っていえるんですか」
 大森の声が戸惑っている。
「真に客観的な報道ってのは初めからないんだよ。たった数分の枠の中で、裏も表もあますところなく伝えることは不可能なんだ。テレビが作る正義の、それが現実さ」
 ケイは新しい煙草を口にくわえる。それにしても、だ。
「私たちはね、常にフィルタリングされた情報を享受していることを意識すべきなのよ」
 ミカリの声をききながら、ケイは、黒く陰るような胸騒ぎをまだ感じ続けていた。
 柏葉将よりの報道。まるで被害者を挑発してでもしているかのような。
 どこまでが制作サイドの意向で、どこまでがJ&Mの意向なのだろう。この内容を直人は事前に知っていたのだろうか。
―――寝た子を起こすことにならなきゃいいけど。
 不発弾をうっかり掘り起こしたら、間違いない、自滅するのはJ&Mの方だ。
 手元のパソコンにはJ&Mの公式ホームページ。本日6時に更新されたばかりのストームのメンバーの名前が、大きなゴシック体で記されている。

 東條聡
 成瀬雅之
 片瀬りょう
 綺堂憂也(オフィス水嶋)
 柏葉将


 ホームページはすでに今日一日で100万アクセスを超え、ひどく繋がりにくい状況が続いている。
 今夜7時から受付開始となったファン参加型投資システムは、すでに回線がパンク状態、おそらくチケット枠については、即日完売となるだろう。
 すでにこのシステムの成功を見込み、外資系ファンドの融資取り付けにも成功したJ&M――その意味では、真咲しずくの手腕は見事としかいいようがなかった。
 が、その反面で、ポータルサイトなどの名だたる掲示板、ブログでは、すでに祭りが始まっている。今までのような、冷めた目線でのひやかしでも、卑下を含んだ憐みでもない、そのいずれもが、柏葉将への激しい批判、憎悪さえ感じられるほどの悪らつな中傷だ。
 そのせいか、上階からは電話のベルがひっきりなしに聞こえてくる。
 どこかで電話番号が公開されたのかもしれない。その悪質な嫌がらせは、公式スポンサー企業である鏑谷プロにも、いずれは冗談社にも及ぶだろう。
「ミカリ、取引企業さんに、これからしばらく電話はやめてメールでやりとりするよう連絡してくれないかな」
「もう、その旨は連絡してあります」
「さすがだね」
 番組はいったんCMにはいった。スポンサー企業でもあるアーベックス、新仁ユニットのCDジャケットが小気味よいポップスと共に映し出される。
 無論、アーベックスがこの番組制作を容認した以上、そこには明確な音楽業界に対する造反の意図がある。業界の異端児、荻野灰二ならやりそうなことだ。
 いってみれば、ここにも嵐の火種がある。業界は、これからJ&Mの存在をめぐって真っ二つに割れるだろう。
 それにしても、だ。
 ケイは無言で煙草の煙を口から吐き出す。
 この番組の意図は、一体どこにあるのだろう。もしそれが、ケイが危惧したとおりだとすると、真咲しずくの真意は、一体どこにあるのだろう……。
 CMが開ける。
 闇の中に浮き出してきたモノクロの写真、それが誰を映したものなのかケイが目をこらした途端、音楽が流れ始めた――奇蹟。



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「城之内静馬は、当時不正出の天才シンガーと呼ばれ、スター不在の日本芸能界の救世主として、大手事務所から鳴り物入りでデビューしました」
 照明を落とした室内で、唐沢直人は、一人椅子に腰かけていた。
 スタッフは全員出払っている。九石ビル三階、J&M事務所。
「折しも列島には空前のロックブームが到来していました。時代の波にのり、彼は、瞬く間にトップスターの座に躍り出たのです。若干二十一歳、ずば抜けた音楽センスに、恵まれた容姿、快活な性格は誰からも愛され、もし彼が生きていたら、音楽業界の地図は今と大きく違ったものになったと言われています」
 写真――モノクロの。
 ギターを抱えて椅子に座っている男。プライベート写真だろう、口元からわずかに歯を見せて、はにかんだように笑っている――城之内静馬。
 涼しげな切れ長の目、厚みをおびた形よい唇。
「享年四十一歳、あまりにも若すぎる死でした。しかも、彼がその奇跡の才能を芸能界という舞台で羽ばたかせることができたのは、たった三年足らずにすぎなかったのです」
 城之内静馬。
 よく見れば、優しいとも寂しいとも皮肉ともつかない曖昧な笑い方は、一体次に、彼がどんな表情を浮かべるのかという不思議な期待を抱かせる。一度見れば目が離せない、そんな磁石のような引力を持っている男。
「事件――ある事件が、この天才シンガーを、芸能界から永久に葬り去ってしまったのです。彼の名前、楽曲、映像、その全ては完全に抹消され、城之内静馬は、人々の記憶に残るだけのものとなってしまいました」
 流れている奇蹟の曲に、別の音階が重なっていく。元の曲がオリジナル奇蹟なら、重なったのはストームの、奇蹟。
「ストーム最大のヒット曲『奇蹟』」
 ナレーターが続けた。
「今年の春、日本中を騒がせた謎の楽曲提供者の正体は、城之内静馬でした」
 唐沢は目をすがめた。
 覚悟はしていても、椅子の柄を握る手に、ふいに汗がにじみ出た気がした。
「埋もれていた才能は、平成の天才シンガーREN、そしてアイドルグループストームの手によってふたたびこの世界に出てきました。奇蹟は今年初のミリオンになり、そのきらめくような鮮烈な曲調は、若者だけでなく、壮年層の心も大きく掴みました」
 奇蹟が流れる。当時のニュース映像、ストームが地方回りをしていた時のステージの映像だ。
 高額の契約金を払い、ストームという名称と共にようやくニンセンドーから買い戻した映像権。
「何故、希代の天才アーティストがその晩年に作った曲が、二十年もの時をへてストームの手に渡ったのか。そこには、思いがけないドラマが隠されていたのです」
 やはり、出したか。
 唐沢直人は、無言のまま唇に指をあてた。
 奇蹟リリースに一役かった城之内静馬。
 彼が、J&Mの基盤を創った城之内慶の実弟であり、J&Mが、そもそも城之内静馬の復帰のために作られた会社であることは、先だっての奇蹟リリース時には、はっきりと明かされてはいない。
 真咲しずくなら、絶対にその境界へ踏み込むだろうと思っていた。
 東邦EMGプロとJ&Mの因縁の歴史に。
 これははたして、地獄へ続く扉なのか、それとも行き先は天国か。
 番組オンエア開始直後からなり始めた苦情電話は、すでに受話器全てを上げてシャットアウトしている。
 これからの通信手段は、全て携帯かメールを通じてするよう取引先には連絡済みだ。
「昭和四十年代の半ば、出す曲は全てミリオン、コンサート会場は全て満員、城之内静馬は、まさに時代の寵児といっても過言ではない存在に上り詰めようとしていました。しかし、そこに持ち上がったのが、所属事務所の移籍話です」
 ハリケーンズの名前は出さない……いや、出せないのだろう。その程度の、ぎりぎりの協定は守られている。
「静馬は、幼少時代から施設で一緒に過ごした仲間たちと、新たな芸能事務所をたちあげるつもりでした。しかし、当代きってのトップスター。その独立を所属事務所が許すはずもありません。事務所との仲が険悪になり、深刻なトラブルが頻繁に起こる中、その年の暮を皮切りに、何故か静馬のスキャンダル記事が、次々とマスコミをにぎわせ始めたのです」
 その何故か、という一言に、それが所属事務所のリークだったことを匂わせるニュアンスがある。業界関係者なら、すぐにそれと気づくだろう。実際、手もちタレントの独立、移籍を妨害するために、それまでマスコミにかん口令を引いていた情報をあえて漏らすというやり方は、よくあることなのだ。
 唐沢自身もその手法で、今まで縛り続けてきた、緋川、――そして美波涼二。
「その中でも、最もファンに衝撃を与え、マスコミでも大きく取り上げられたのが、静馬氏がゴーストライターを使っていたのではないか、というリーク記事でした」
 ここまで、出すのか。
 唐沢は、初めて震撼にも似た震えを足もとに感じていた。
 所属事務所とは、いわずとしれた東邦EMGプロだ、当時の関係者ならすぐに判るし、視聴者にしても調べればすぐに出てくる名前だろう。
 音楽業界が、いや、マスメディアが長年にわたって沈黙を守り続けてきたタブー。
 が、メディアがそれをタブー視し続けているのは、決して真田財閥への遠慮だけではないと唐沢は思っている。
 メディア自身が――あの時、天から宝物のような才能を授かって舞い降りた一人の若者を、追い詰め、狩りたて、そして永遠に地の底に葬った――その後味の悪さからきているのだ。
 ゴーストライター事件では、むしろ静馬が被害者で、悪意をもって彼を落としめた加害者こそが、その所属事務所だった。それは、当時業界に身を置くものならだれもが知っていたことだし、マスコミも、当然それは察していた。
 それでも、魔女狩りのターゲットは静馬一人に向けられた。才能と美貌、地位と名声、若干二十歳そこそこで人生のすべてを掴んだ青年一人に向けられた。
 誰がそれを望んだのだろう――静馬をひきとめようとした所属事務所か、それとも有名人を取り上げることで視聴率が欲しかったマスメディアか。そのどちらでもない、あの時、真にそれを望んだのは、静馬の存在そのものに嫉妬した大衆なのだ。
 ストームが、頂点から地獄にたたき落とされた時のように。
「結果的に、このスクープ記事が、静馬氏を精神的に追い詰めていくことになります」
 映像は使えないのか、当時の週刊誌の見出し記事だけが出る。

盗作疑惑、関係者激白、SHIZUMAの曲は、全てゴーストライターが書いていた。
盗作騒動、完全否定も灰色の結末
真の作詞家が語る、シズマの会見は嘘ばかり

 闇の中、椅子に座る一人の男が浮かびあがってきた。
 唐沢は思わず立ち上がっていた。
 見覚えのある顔立ちに、特長的な体格。忘れもしない、唐沢自らが罠にはめて、この事務所から追いやった男――。

「確かに、ゴーストライターは存在していました」
 男は、もそもそとした口調で語った。随分老けた、びんに白いものが混じっている。しかし体格だけは昔と寸分変わらない――古尾谷平蔵。
「どの曲がそうで、どの曲がそうでないのか、私にはすぐわかります。もちろん事務所ぐるみでやっていたことです。静馬は天才です、ゆえに曲を量産できるタイプではない。しかし彼は当時の事務所の屋台骨を支えていた、その残酷な意味は、おわかりいただけるかと思います」
―――事務所の意向でやっていたと。
「彼はあの若さでアルコールに溺れ、結果として……依存症で命を落としたわけですが、その原因は、間違いなく彼の意に沿わない曲を、彼自身の曲として歌わされたことにあると思います。結果的に受け入れることを選択した以上、本人に罪がないとは言いません。しかし反面犠牲者であったことも確かだと思うのです」
―――ゴーストライターのリークは、どうして行われたのだと思いますか。
「事務所サイドの意向でしょう。そうでなければ出るはずがない。それは間違いないと思います」
 映像が切り替わる。
 衝撃的な見出しの新聞記事。

「SHZUMA殺人未遂で逮捕」
「事務所とのトラブル?被害者は元マネージャー」

 目まいを感じ、唐沢は額を手で抑えた。
 真咲しずくはどこにいる。今夜は――営業相手と食事だと言っていたが。
 どこまでやる気だ。
 一体お前は、どこまで先を見ているんだ。
「盗作疑惑騒動は、あまりにも悲劇的な事件に発展します。城之内静馬は、元マネージャー男性と口論の末、その場にあった果物ナイフで切りつけ、全治三か月の重傷を負わせました。その罪で服役、昭和五十年に出所したものの、以降、彼の才能が表舞台に出ることは二度とありませんでした」
 再び、古尾谷が画面に出てくる。
「……すごく不思議だったし、逆に静馬らしいと思ったのは、彼は、法廷で、一切の抗弁を口にしなかったんですね。色々言いたいことはあったと思います。ゴーストのこと、その時彼が事務所から受けた非人道的な……人として許しがたい様々な仕打ち、言えば、情状酌量の余地がある裁判でした。なのに彼は、自らの罪だけを認め、そのまま縛についたんです」
 再びナレーターの声。
「公判の記録を紐解いてみました。それをつぶさにたどっていくと、あらゆる質問に……彼を有利に導く質問にさえ頑なに黙秘を貫いた、城之内静馬氏の姿勢が浮き彫りになってきます」
 画面に東京拘置所が映し出される。
 これは何の因果だろう、ふと、唐沢は恐怖に近い感情を覚えた。つい数か月前まで、この場所にうちの誰かがいなかったか。柏葉将だ、罠、黙秘、そして東邦、おそろしいまでに、今、歴史は同じ軌道をたどっている。とすれば、この先に待っているのは――
「彼が法廷で証言した言葉は、ただひとつでした。結審の前、裁判官に問われて口にした一言、裁判官は彼にこう問ったのです。これは、あなたにとってなんの意味があった行為だったのかと」

「守るためです」

 乾いた男の声が、それに続いた。
 深みを帯びたその声は、本当に静馬の肉声のような生々しさで、唐沢の耳朶に広がっていった。守るため。
 
―――彼が守ろうとしたものはなんだったと思いますか。
「……なんだったんでしょうねぇ」
 再び、古尾谷。
「あの時のことはね、本当に誰も、一番近い人間ですら何ひとつ知らないし聞かされていないんです。僕が言えるのは……静馬が釈放された後に結婚した女性が、何か関係していると……それだけですね」
―――静馬氏は、亡くなられる前に結婚されていたのですね。
 古尾谷はおもむろに頷く。
 少しの間、沈黙があった。
「……実はこれは、僕も最近になって知ったことなんですが、静馬には」

 この先に待っているのは。







                

 

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