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「ことごとく、してやられたという感じだな」
 唐沢直人は呟き、手にした新聞を卓上に投げた。
 東京、神田。九石ビル三階。
 発足したばかりのJ&Mの正式事務所。
「確かに世間の注目すべてを、東邦にもっていかれた形ですね」
 対面のデスク。パソコンを叩きながら相槌を打つのは、株式会社ライブライフ社長でもある織原瑞穂。
 他会社の代表職であるにも関わらず、自ら新会社の広報アドバイザーを買ってでてくれた男は、茶髪にひょろりとした長身、見かけだけを取ると二十代半ばにも見える頼りなさだ。
 が、元東京大学理工学部、コンピューターのプログラム開発など朝飯前の能力を持つ男は、いざ共闘してみると、思考も行動も極めて合理的で、一切の隙がなかった。
 唐沢はあらためて、凄まじいバッシングと銀行の融資打ち切りを経てもなお、株式会社ライブライフがこの業界で生き残った理由を知った気がした。
 織原瑞穂は間違いなく、優秀なスキルを持つビジネスマンの一人だ。
 が、その織原のアドバイスを得て唐沢が組み立てた作戦のひとつが、今、その初頭から躓こうとしている。
「同日に会見をぶつけてくるなど、いかにも真田会長のやりそうなことだ、俺の考えなどとうにお見通しだと言いたいのだろう」
 眼鏡を外し、苦い目で、唐沢は舌打ちをした。
 10月1日、唐沢が行った新会社発足記者会見。その二時間後に、日本中を驚かせるサプライズが、東邦EMG株式会社から正式に記者発表された。

 東邦EMG株式会社、ジャパンテレビ株35パーセント獲得。
 提携企業の持ち株を合わせ、年内に50パーセント獲得を目指す
 東邦真田会長、ジャパンテレビ経営権獲得を明言。


 開けて翌朝、今朝のニュース、ワイドショーはもちろん、一般紙、経済紙、スポーツ誌の一面すべては、ジャパンテレビ、東邦の記事で埋め尽くされている。
 確かにそれは、マスメディアにとっては革命的な事件だった。
 単なるテレビ局買収とはわけが違う。ジャパンテレビは、プロ野球チーム「ジャイアント」のオーナー企業。歴史と格式では他の追随を許さない、民放連の天皇的存在なのである。新参のエフテレビとはそもそも存在の重さからして違う。
 発表後の激震は、まるで、二時間前の唐沢の会見など、そもそもなかったかのような凄まじさだった。今でもテレビは朝から晩まで東邦ジャパンテレビ一色だ。
「……ようやく狸が本音を出してきたってところね」
 傍らのテーブル。黙って新聞をめくっていたしずくが、脚を組みかえて、唇に指を当てた。
 実際、こんなうらぶれた事務室にいても、真咲しずくのまわりだけ、別の空気が流れているかのようだ。
 再会してますますその美貌に――磨きというか、燐光のような輝きがましたような気がするが、無論、唐沢には、この女が絶世の美女だろうが鳥の頭だろうが、どうでもいいことである。
「J株の売り抜けで儲けた資金は、すべてこのためだったってことか、なるほどなぁ、さすがにそこまでは読めなかったな」
 と、さしものミリオンヒットを叩きだしたトリックスターも、今回だけは心外だったのか、ハリウッド女優ばりの綺麗な眉を寄せている。
「それが、吉とでるか、凶と出るか……東邦サイドにしても、今回の早期発表は、危険な賭けだったと僕は思いますよ」
 織原が、静かな目でパソコンから顔を上げた。
「どういう意味?」
 しずく。
「テレビ局の買収というのは、卓上の計算だけでは絶対に成功しない、それこそ時の運というものが必要になってくるからです」
「父親のことを言っているのか」
 唐沢の問いに、織原は無言で頷いた。
 かつて、織原の父は、エフテレビ買収というメディア革命に挑み、持ち株では確実な勝利を掴みながら、足元をすくわれる形で表舞台から追いやられた。
 織原の父が逮捕されたのは、特捜部へのトップダウンの指示があったとも噂されるが、その真偽が判ることは永久にないだろう。
 当時のことを思い出したのか、織原の目には苦いものが浮かぶ。
「メディアは、世論形成の担い手です。その中でも今は、テレビの力が一番強い。政治にとってメディアとは、時に敵でもあり味方でもありますが、少なくとも決して敵に回してはいけないものと認識されている。つまるところテレビ局は、現代における最高の権力機関の一つなんです」
 織原は続けた。
「金の力で手渡していいものではないし、手渡せるものではない。トップの連中はプライドと意地をかけて、徹底的に争いにくるでしょう。エフテレビの時と同で、今頃重箱の隅でもつつくように、真田会長や東邦のゴシップを探しているはずです。おそらく最後の最後まで、あらゆる手を使った妨害工作をしかけてくるでしょう」
「甘いな、あの老人に、そう言った意味での抜かりがあるとは思えない」
「政治家に根回ししているということですか」
 織原の問いに、唐沢は眉をしかめて首を振った。
「そういったことは無論、民放の何社かにも、すでに内応者がいるとみて間違いないと俺はみている。これからどういう手を打ってくるかは知らないが、おそらく、逆に沈黙するのはジャパンテレビの方だ」
 株の買い占めというデリケートな問題を公にした以上、確実以上の勝算あってのことに違いない。
 そうなれば、どうなる。
 ジャパンテレビを支配下におさめた真田は、その資産力とバック、そして貴沢ヒデや緋川拓海など子飼いタレントの使用を盾に、やがて民放連も牛耳るようになるだろう。
 現在国営テレビに多大な貢献をしている貴沢秀俊。もしかすると真田は、自らがやがて国営テレビの会長の座につくことも視野に入れているのではないか。
 そうなれば、いくらストームを再結成させ、年末のドームを成功させたとしても何の意味もない。真田の思惑ひとつでストームはテレビから締め出され、やがては消えていくしかなくなる。
 唐沢は無言で、拳を握る。
 わずかな乗組員を乗せ、こぎ出したばかりのJ&M丸。
 その面前に、巨大な波が迫っている。その波はあまりにも大きく、おそらく湾を出る前に、小舟はあとかたなく吹きとばされてしまうだろう。
「確かに計算と謀略では、真田会長は勝てるかもしれない、……でも、わかりませんよ」
 が、織原は理知的な目で唐沢を見上げた。
「なにしろ、相手はメディアです。その向こうには億という大衆がいる」
「……どういう意味だ」
「大衆とは、時にメディアでも制御できない怪物と化すからです」
「…………」
「制御できるとうぬぼれた時点で見放される。神の裁量の前では、人は誰しも謙虚にならなければいけないのです」
「神か」
 唐沢は眉をかすかに寄せ、織原から目をそらした。
 そこだけが、この優秀すぎる男の唯一の欠点だ。
 趣味で仏教美術を研究しているという織原は、時々言うことが神秘がかっていて、唐沢の理解の範疇を超えている。
「しかし、その大衆を動かさなければ、俺達の負けも確実なんだ」
 唐沢は言い切り、唇を噛んだ。
 神などいない、いたとしても糞くらえだ。
 制御できる云々を議論する以前に、制御するしか活路はない。
 最大のバッシングを最大の評価に変えることができるか否か。
 その奇跡みたいな目論見に、今回の成否のすべてがかかっている。
 万が一、民放、国営を共に支配下におさめた真田に勝てる可能性がわずかでもあるとすれば、もうそこにしか見いだせない。
 世論を、味方につけること。
「どちらにしても、緒戦は我々の完敗だ」
 唐沢は吐き捨てた。「東邦にしてやられた。世論を動かすどころか、これでは黙殺されたも同然の結末だ」
 あえて喧嘩腰で行った記者会見。それには無論、事前に慎重に練られた目論見があった。
 ストームのメンバーを公表できない以上、こうするしかなかったというのもあるが、それには二つの大きな思惑がある。
 唐沢一人が悪役になり、矢面に立つことで、予想されるストームメンバーへのバッシングを、最小限に抑えること。
 マスコミの注目を集め、多少ダーティではあっても新生J&Mの知名度をあげること。 
 例えて言うなら、対戦前のボクサーが、マスコミ向けの記者会見でわざと相手を挑発する行為に似ている。欲しいのは――好感度ではなく、視聴率。
 だからこそ、筑紫亮輔のような因縁のある記者を、あえて招き入れたのである。
「それでも、唐沢さんの会見は、ある意味大成功だったと言えるでしょう」
 織原が、静かに口を開いた。
「冷静と情熱、唐沢さんはマスメディアを挑発し、なおかつ視聴者には真摯に訴えた。東邦よりはるかに危険な賭けでしたが、上手く乗り切ったのではないかと思います」
「それだって、こうもメディアに無視されれば、なんの意味もないだろう」
 苛立った声で、唐沢は呟く。
 実のところ、唐沢が切実なまでに欲しかったのは、スポンサー企業だ。そして融資してくれる金融機関。
 新生J&Mが注目され、それが数日でもメディアのトップを飾れば、必ず数社は興味を示してくれる。この世の中には、多少の悪役を買ってでても、注目を集めたい企業はいくらでもあるのだ。
 そのためには、一にも二にも世間の注目を浴びなければ意味がない。
 募集した提携企業は現れず、銀行、投資信託等での融資はことごとく断られた。正直言えば、もうそこにしか、唐沢が見いだせる活路はなかった。
(今さら……やめましょうよ、唐沢さん)
(こういってはなんですが、業界でのあなたの評価は決まっています。先代の遺産を食いつぶしたドラ息子というところですか)
(東京ドームって、はは、冗談でしょ、草野球でもするつもりですか)
 ドーム以前の問題も、いまだ未解決のままである。
 スポンサーの離脱で打ち切りの危機に瀕している、東條と成瀬の映画と舞台。
 確かに柏葉将の言うとおりだった。業界中が新生Jの動向を見守っている中、会社の信用という意味でも、絶対に打ち切り降板という結末だけは許されない。そんなことになれば、ますますスポンサー企業の足は遠のくだろう。
「……東條と成瀬に課せられた期限が迫っている。ここで舞台、映画の中止が決まれば、戦いのステージにさえ上がれないまま、最悪の形で敗北が決まってしまう」
 唐沢は、やや恨みがましい気分で、椅子に座って織原のパソコンをのぞきこんでいる真咲しずくを見た。
 その期限を唐沢に突きつけているのが、元二人が所属していたニンセンドープロダクション社長、御影亮。
 今週中に新たなスポンサーが見つからなければ、映画、舞台ともに中止が正式に記者発表され、成瀬と東條が謝罪会見に立つことになっている。それが、二人がニンセンドープロダクションを円満に退社する、唯一の条件でもあった。
 無論、中止に関わる賠償の一切は、二人の肩にかかってくる。それは新会社で被ってやるつもりだが、ストームの名称にしろ、楽曲の版権にしろ、ニンセンドーの要求する金額は度を外れたものだ。到底、笑って払える金額ではない。
 元々恋愛あっての結婚ではなかったのは察していたが、御影氏の冷淡さは度を越している。結婚の際、そういう取り決めがあったのかもしれないが、真咲が所有していたJ株の殆どは、御影氏に譲渡されたのだろう。まぁ、それが大暴落したのだから、御影氏もお冠なのかもしれないが。
 それにしても。
「……なんの意味もない見てくれだな」
「え?どういう意味?」
 きょとん、と目を開くしずくに肩だけをすくめてみせ、唐沢は軽く嘆息した。
 さて、どう手を打つか。
 マスコミの注目を受けて、そこから活路を見出すという作戦は、東邦の横やりでひとまず敗れた。
 しかも、全く無視されるならまだしも、扱いの低い二面目以降の記事では、くそみそに言われている。これでは、扱き下ろされ損で、スポンサーは食いつかない。
 このままでは、最悪な印象を残したまま、いつしかニュースは忘れ去られ、新生J&Mはストームごとフェイドアウトしてしまうだろう。
「まぁまぁ、焦ったってしょうがないじゃない」
 ふいにしずくが、呑気な口調で口を開いた。くわっと唐沢は牙(あれば)を剥いている。
「焦らなくてどうする、むしろ八方塞がりだぞ」
「それより見てよ、この書き込み、開始早々大繁盛よ」
「…………?」
 唐沢は眉をしかめる。向きを変えられたノートパソコン。真咲しずくと織原が二人で見ていたのは、織原の会社に制作を依頼したJ&Mの公式ホームページだった。
 二人で準備を進めていたそれは、本日正午に公開予定となっていた。
 戦略もあって、まだ所属タレントの情報は一切載せていない。
 会社概要と、イベント、スタッフの紹介。それから先日行った記者会見の動画。コンテンツはそれだけのはずだった。
「さっき織原君に掲示板つけてもらったんだけど、みてみて、コメントが今日だけで千件も」
 それをのぞきみた唐沢は、楽しそうな女の笑顔に、唖然と口をあけていた。

 もう、J&Mさんは必要ありません。さようなら。
 お世話になりました、どーも。
 目ざわり、二度とテレビに出てくんな。
 おまえらに反省の色なし。
 ふざけるな、暴力アイドル、芸能人のあまさにはへどがでる。
 応援してるやつ、いるの?
 二度とお前のバカづらなんて見たくないんだよ。
 あなたは、反省するという言葉を理解して使っていますか、本当の意味での教養をおもちですか、もう一度小学校から出直してきたらどうでしょう。
 もうやめたら、見苦しいよ。
 誰も待ってなんかねーよ。

 ネットの暗部を知らないわけではなかった。それでも、心をえぐる言葉の数々に、唐沢は胸が冷えていくのを感じる。
「唐沢さん、テレビ局があれだけ多くの優秀なスタッフを持ちながら、時々どうしようもない低視聴率の番組を作るのはなぜだと思いますか」
 なぜか、織原の声は、笑っていた。
「彼らは視聴者のニーズが正確に見えていないんです。視聴率という数字は拾えても、生の声を拾うことができない、それがテレビという巨大メディアの欠点なんです」
「…………」
 唐沢は無言で、マウスを機械的にスクロールさせる。殆んどが同じ論調だ、同じ人間が書いているのではないかと思えるほどに。
 もういらない、帰ってくるな、過去の人、めざわり、見苦しい、等々。
 しかし、何十にひとつの割合で、好意的な書き込みも見受けられる。
 それにしても。
 画面の残量をみて、唐沢はうなった。
 時間にしてたった数時間で、この量か。
「視聴者の本当の関心は、巨大メディアの買収劇ではない、暴力事件を起こして芸能界から完全追放されたストームが、どうやってドームで復活するかにあるんです」
「どうやって失敗するかの間違いじゃないのか」
 書き込みの大半が、ドーム復活を嘲笑い、こきおろしたものである。
「そう……確かに今は、それが正しいでしょうね」
 織原は呟き、静かな眼差しで唐沢を見つめた。
「この批判を、どうやって好意に変えていくかは、全てこれから次第です。今の段階では、これでよしとすべきでしょう。とにかく注目はされている、それは間違いないことですから」
 冷静な声で、織原は続けた。
「ネットでは、ワードランキング、アクセスランキング、共にうちが一位です。決して手放しの敗北ではありませんよ」
 メディアには黙殺された、が、ネットユーザーにはある意味支持されたということか。

 がんばってください、応援しています。
 テレビの前で泣いてしまいました、お願いです、絶対に柏葉君をステージに立たせてあげてください。

「…………」
 数にすれば100分の1の声援。
 今はそれが、嘘のように嬉しい。
「唐沢君の言葉は、響くところには響いてると思うな」
 のぞきこんできたしずくの声が、耳元でした。
「金儲けがしたい企業が首つっこんでくるより、もっと大きな魚が釣れるかもしれないわよ」
 大きな魚?
 やや憮然として、唐沢は顔をあげる。
「ま、この段階で一喜一憂するのはやめましょうよ、まだ昨日の今日なんだし、様子を見たっていいじゃない」
「しかし、待っている間に、東條と成瀬の」
「大丈夫」
 しずくは目もとに微笑をたたえて立ち上がった。
「カードはね、最後に出した方が勝ちなのよ」
 カード?
 唐沢と織原は目を見合わせる。
 しずくは笑って肩をすくめた。
「ま、資金繰りのことは、ちょっと待っててくれるかな、守銭奴さんから耳よりな情報をもらってね、少し私に考えがあるから」
「しかしだな」
「今はジャブの打ち合いよ、第一ラウンドはまだ終わってない」
 静かに言い切って男二人を見上げる。
 その目の底の知れなさを、初めて頼もしいと唐沢は思った。














 



 

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