20



「よう」
 9月15日。
 最初に姿を現したのは、雅之だった。
「何、お前ネクタイしめてんの」
 将は思わず笑っている。
「うっせーよ、これでも随分様になったっておふくろには言われてんのに」
 神田、冗談社ビルの三階。
 パソコンを擁した小さなデスクが四つに、それから会議用の長机と簡易チェア。将が、リサイクルショップを回って用意したものである。
 へぇーっ、と目を丸くして室内を見回していた雅之が、感嘆したように将を見た。
「ここさ、元々は倉庫だったんじゃねぇの?」
「倉庫?ゴミ棄て場だろ、三日かかったよ、掃除すんのに」
「え、将君1人で?」
 雅之がそう言った時、背後で扉が開いて、掃除を手伝ってくれた男が顔を出した。
「おーっ、久しぶりですっ」
「ええっ、悠介君?」
 雅之が驚いている。
 浅葱悠介。
 将の小学校からの幼馴染で、親友。
 ジーンズにニットに皮の上着。大学生にしてその全てが高級そうなのは、この男がスーパーセレブの1人息子だからである。日本最大手の建設会社の御曹司。
「悠介……」
 が、将はかすかに嘆息して立ち上がった。
「……悠介、くんなっつったじゃん、俺」
「もうその話はするなって言っただろ、将」
 薄い眼鏡をかけた悠介は、一見冷たそうな顔で、切り捨てるように言った。
「舞台はイギリス、やっとたずねたお前の家で、あれ、お兄ちゃんならもう日本に帰ってるけどって言われた俺の悲しみがお前に判るか」
「…………いや、その話も、もうよそうって」
「いーや、俺は一生根に持つね、お前にとって俺ってそもそもなんなんだ、親友ってそもそもなんなんだ」
 ねちねち責められている間に扉が開く。
 入ってきたのは聡だった。やはり雅之と同じ、リクルートな背広姿。
「おーっ、悠介君っ」
 と、驚いた聡は、ふと表情を真剣にして、座っている将を見下ろした。
「もしかして、ストーム五人目のメンバーは……」
「ば、ばか、それはねぇよ」
 将。
 たちまち、柔和だった悠介のまなじりが釣りあがる。
「……将、今の、それはないって、それはどういう意味なんだ。俺はそうか、お前の仲間たちより劣るのか」
「ゆ、悠介」
 どうも、帰国のあいさつに立ち寄らなかったことを、恨みに持っているらしい。
 まだねちねちと嫌味は続いたが、それは「まぁまぁ」と聡や雅之たちになだめられ、ようやく悠介も落ち着きを取り戻したようだった。
 てゆっかさ。
 将は、聡や雅之と歓談している悠介を見る。
 俺、悠介だけは、巻き込みたくなかったんだ。
 お前が、俺を助ける会とかを立ち上げたせいで、どんな目にあったのか、親父さんがどれだけ怒ったのか、俺だって知ってるから。
「うーっす」
 気が抜けた声がして、ひょいと顔を出した最後のメンバー。
 サングラスに黒いシャツを着た綺堂憂也は、空港から直行してきたのか、手には大荷物を抱えていた。
「たっだいまー、なんだなんだ、もうみんな揃ってんだ」
「憂也」
 雅之の顔が目に見えてほっとする。
 それは将も同じで、正直言えば、憂也に関してだけは、少しばかり杞憂の残る再出発になると覚悟もしていた。
 まだ憂也は、水嶋大地の管理下にある。今日のことをその水嶋が、百パーセント容認しているとは思えないし、これからも、様々な形で事務所間の軋轢があるだろう。
 映画のキャスティングが白紙に戻った云々のことは、まだニュースとして聞こえてはこないが、それが本当なら、憂也にしても相当躊躇したはずだ。
 一番軽そうに見えて、仕事への責任感は誰よりも強い。それを将は知っている。
「おかえり」
「おう」
 が、将と憂也はそれだけ言って、互いの手の平を叩きあった。
 いつからこんな関係になったのか、当初、互いにけん制しあっていた時期がむしろ懐かしく思い出される。
―――例え、俺がいなくなっても。
 口には出さずに、将は苦笑して、雅之のネクタイを引っ張っている憂也を見上げた。
 憂也がいれば絶対に大丈夫だ、ストームは。
 が、その憂也もサングラスを外し、さすがに驚いたように室内を見回した。
「へぇー、まめな将君らしいねぇ、よくここまで揃えたもんだ、で、一、二、……四つしかねぇけど、この机って、俺らの机?」
「違う違う、ここは事務所で、俺らは所属タレントだろ、基本ここはスタッフが使うとこだから」
「じゃ、スタッフって誰さ」
 憂也がそう言った時だった。
「お、みんな集まってるか」
 さわやか、かつ、颯爽と入ってきた人。が、その颯爽さが、妙に似合っていない中年体型と、昔と変わらないゴキブリヘアー。
「いっ、イタジさんっ」
「イタジさん、来てくれたんですか!」
 黒い背広姿の片野坂イタジは、足を止め、全員の顔を見て白い歯を見せた。そしていきなり親指を立てて前に突き出す。
「当たり前じゃないか、ストームあるところに、片野坂イタジありだ!」
 しーん。
 何年か前の青春ドラマみたいなのりに、全員がリアクションに窮している。
「あ……あれ?なんだ、もしかして歓迎されてないのか、俺は」
「なんだか何もかも似合ってねーんだよ、イタジさん」
 憂也が気の毒そうな笑いを浮かべて、その肩を叩く。
「なっ、なんだその言い方は、俺がいままで、どんなにだな、どれだけだな」
「ハイハイ」
 憂也や雅之にからかわれながら、それでも、嬉しそうに笑うイタジの目は、心なしか潤んでいるようにも見える。
 そのイタジを、将は苦笑をかみ殺して横目で見上げた。
「年とると涙もろくなんのかな」
「うるさい」
「しょーがないから、また俺たちがイタさんの面倒みてやるよ」
 拳で頭を小突かれる。将は笑ってそれを避けた。
「あいつは?」
 真咲しずく。
 新たな再会の喜びの中、少しだけそれが気になっていた。首謀者がまだ、この席に来ていない。
「イタさん、今まであいつと一緒にいたんだろ?」
「ん、ま、まー、一緒といっても別に一緒に暮らしていたわけじゃ」
「夢にも思ってないからさ、それは」
 事務所がなくなった後、新事務所にも東邦にも行かなかったイタジは、多分ずっと真咲しずくと連絡を取り合っていたに違いない。
 東京ドームの予約を書き換えたのも片野坂イタジだし、憂也に電話を入れたのもイタジだ。
 将の視線をさけるように、イタジはわざとらしい咳ばらいをした。
「一緒にいたというより、俺はあの人の指示を受けてあれこれ動いていただけだ。……まぁ、時間にも約束にもルーズな人だから、今日も寝坊してるんじゃないのか」
 何を誤解しているのか妙に言い訳がましい口調。将がけげんに思って口を開きかけた時だった。
「こんにちは」
 さわやかな声がした。
 女――ではない。まるで聞き覚えのない男の声。
 すらりとした長身の男が入ってきた。ストライプの入ったシックなスーツに黒縁の眼鏡。色白で、目が細く切れ上がった、女形役者のような顔をしている。
 誰もが、え、この人誰……?と見上げる中で、椅子を蹴るように立ち上がったイタジ一人が、驚きの声をあげた。
「さっ、榊さん、どうしてあなたが」
「お嬢さんに、こちらの顧問になるよう依頼されたので」
 サカキ――榊青磁。
 ようやく将にも合点がいく。元J&Mの顧問弁護士榊青磁。
 しかし榊なら、事務所の崩壊にさほど手を出すこともなく、あっさり辞任したと聞いている。
「べ、弁護士として、協力くださると、そういうことなんですか」
 いきなり現れたニューフェイス。
 それはイタジにも寝耳の水のサプライズだったのか、困惑気味の目をしている。
「ま、そういうところですかね、別に来たくて来たわけじゃないんですけど」
 つくりものめいた笑顔を浮かべた男は、そのまま能面みたいな顔で全員を見回した。
 感じわりーな。
 そう感じたのは、聡も雅之も同じなのか、不穏な顔を見合わせあっている。
「色々ね、契約や版権問題がこじれそうだと聞いていますし、何かと面倒そうなんですよね、こちらさんの仕事は」
 優雅に席につくと、榊は、場違いに余裕の目で全員を見回し、最後に憂也を見上げて微笑した。
「特に君、君とうちの事務所との契約が、複雑で複雑で」
 短気な憂也が、むっと表情を翳らせるのが判る。
 全員の反感を察したのか、榊は軽く肩をそびやかした。
「ストームストームと言っていますが、ご存じですか?その名前さえ、今はニンセンドープロダクションが押さえています。このままではストームという名称はおろか、あなたがたの今まで出した楽曲さえ、歌うことができないんですよ」
 軽薄そうな薄い唇が、残酷な事実を淡々と述べる。
 戸惑っている片野坂イタジ以外全員から、剣呑な空気が漂う。
 将にしても、目の前で微笑している男に、正直どういう感情を抱いていいかわからなかった。
「つか、それをなんとかすんのがあんたの仕事なんだろ、弁護士さん」
 薄く目を細めて憂也。
 その挑発を、榊という男はむしろ嬉しそうに受け流した。
「仕事ですからね、僕は昔から惚れた女性に弱いんです。ま、餅は餅屋ということで、料金は大まけにまけてあげますよ」
―――惚れた女性……?
「あれっ、私が最後だと思ったのに」
 すっとんきょうなその「女性」の声が、不穏な空気を一気に変えた。
 開始より十五分遅れ。主催者がそんなんでいいのかと、将は軽く嘆息する。
「やっほーっひっさしぶり、なんだかみんな、無駄に元気そうじゃない」
 ひらひらと手を振る真咲しずく。
 昔と何ひとつ変わらない、場違いに陽気で呑気な笑顔。
 雅之と聡が、照れくさそうに、それでも安堵したように笑う。
 ようやく表情を緩めた憂也はウインクして、意味ありげな目で将を見た。
 将は、軽く咳払いする。
「じゃ、そろそろはじめましょうか」
 しずくはそう言うと、将の隣に席を取った。



                 21


「みんな、この数日で、色んな壁にぶつかったんじゃないかと思う。侮辱されたり、軽蔑されたり、笑われたり責められたり、言葉にはできなくても、色んなことがあったんじゃないかと思う」
 しずくは静かな、けれどよく通る声で続けた。
 そうだったな。
 将は、視線を下げたまま、この数日の変転を考える。
 辛いといえばこの上なく辛く、幸せといえば、この上なく幸せだった。
 今思えばそれは全て、ストームへの愛を確かめるための試練だったのかもしれない。
 長机を囲む、聡、雅之、憂也、そして片野坂イタジ、悠介。
 一人冷めた目をしている弁護士の榊をのぞき、全員が、神妙な面持ちでしずくの声を聞いている。
「でも、はっきり言えば、みんなのこと笑った奴らが正常で、異常なのはむしろ私たちがしようとしてること」
 しずくは言い差し、彼女らしいいたずらめいた目になった。
 俺たちが、しようとしていること。
 将は無言でその横顔を見上げる。
「それを逆転させるのが、12月31日」
 全員がつられるように顔をあげ、しずくを見上げた。
「東京ドームよ」
 12月31日、東京ドーム。
 全てを賭けた復活公演。
「失敗すれば何も残らない、でも、成功すれば、逆に全てを掴むことができる。つまり、絶対に失敗は許されない」
 全員が、無言のまま、強い眼差しでしずくを見つめる。
「にも関わらず、成功の公算は、今の時点で限りなく薄い。東邦の妨害はもちろん、私たちはその前に、最大にして最後の敵に挑まなくてはならないから」
「……最後の、敵?」
 将は思わず訊いている。
 しずくは、まっすぐ前を見たまま、頷いた。
「大衆よ」
 大衆。
「大衆、そして世論。顔も実態もない化けもの」
 化け物。
 しずくは、静かに微笑して、ゆっくりと全員の顔を見回した。
「立ち向かう方法もなければ、ルールもない。阿蘇ミカリさんを潰したのもそれだし、末永真白さんや柳瀬恭子さんを追い詰めたのもそれ、そして、J&Mとストームを潰してしまったのも同じもの」
 聡と雅之が、眉を寄せたまま、うつむくのが判った。
「12月31日は、」
 しずくは続けた。
「この大衆を味方につけるかどうかが、勝敗の分かれ道になるわ」
「奇跡とは」
 声がした。
「奇跡とは、とある言葉や事象で、集団の意思をひとつの方向に動かすことだ」
 将は立ち上がっていた。
 しずくが隣で笑うのが判った。
「遅れたな」
 腕に固定した金属の杖をついている。わずかに左足を引きずりながら、それでも唐沢直人は、いつもと同じ、凛とした背筋で入ってきた。
 ダークなスーツに薄い縁なし眼鏡。一糸乱れずにまとまった髪。
 事情を知らない聡、将、憂也は、さすがにその姿に驚いている。将は、握り締めた拳で、今の溢れそうな歓喜をこらえた。
「12月31日、我々が起こそうとしているのは、まさに奇跡だ」
 しずくの傍らに立った唐沢は、現役と同じ鋭い眼差しで全員を見回した。
「成功する確率は半々もない、しかも、失敗すれば、二度と這い上がってはこられない所まで落とされる。その覚悟があるものだけここに残れ、ないものは、遠慮せずに新しい道を行くがいい」
「やりますよ」
 まず、雅之が立ち上がった。
「俺たち、絶対に負けません」
 力をこめて聡。
「少年ジャンプみてーな展開……つか、そう簡単にいくとは思わないけど」
 それでも憂也も、口元に苦笑を浮かべて立ち上がっている。
 将は、最後に立ち上がった。
「言っておくが、この俺にも、今回の結末だけは想像さえできない」
 唐沢が続ける。
「それは多分、お前らが頼りにしている、この女にしても同じことだ」
 しずくはその傍らで、無言で微笑する。
「これからお前たちは、ストームが崩壊する前以上のバッシングとプレッシャー、そしてどうにもならない不条理な出来事に耐えなければならない、耐えて耐えて耐え抜いても、そこにまっているのは、芸能界追放という最悪のシナリオかもしれない」
 全員が黙る。が、誰1人としてうつむく者はいなかった。
「お前らに、本当にそれだけの覚悟があるのか」
「あります」
「大丈夫です!」
「もう一回ストームができるなら」
 雅之の語尾が震えた。
「俺、どんなことだって耐えられます」
 将は何も言えなかった。言う必要がなかった、みんなが口にしてくれたから。
 どんなことにも耐えられる。
 例え。
 例えそれが、本当に最後になっても。
 ドームが、人生最後のステージでも。







 
 ※この物語は全てフィクションです。



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