6


「……あきれた」
「言うと思った」
 自販機で買ったコーヒーを投げられる。
「金、払うよ」
「いい、出世払いで百倍にして返してもらうから」
 そう言ったケイは、嘆息して傍らのベンチに腰掛けた。
「ずたずたにされるわよ」
 ケイは、煙草を取り出して、火をつける。
「不幸なことに、芸能界は今ネタ切れでね、しょうがないから、どうでもいい政治家のゴシップなんか追っちゃったりしてる。そんなとこに、絶好の鴨が五匹、葱しょって帰ってくるわけだ」
「そういうことになるのかな」
 煙草の煙が、無人の自販機コーナーに満ちる。
「冗談じゃなく言ってるんだよ、何も残らないほど、今度こそ、容赦なくやられるよ」
「前もそうだったじゃん」
「アタシが言ってるのはね、生きたいって意欲さえ、なくなるっていう意味」
 ケイの声が苛立って聞こえた。
 将は無言で、ブルタプを切る。
「あんたたちは生きてる、憂也や雅、聡には仕事だってある、あんただって二年か三年充電すれば、十分芸能界に復帰できる」
「……………」
「何を焦る、何の意味があって、まさかの年末の東京ドームなのさ!」
「……………」
 将が黙っていると、ケイは、疲れたように煙草の煙を吐き出した。
「ばかばかしくてものも言う気にならないね、爆撃地から命からがら脱出したあんたたちが、今度は特攻にでも行こうっていうんだから」
 あたしはね。
 将が何か言う前に、ケイは悔しげに言葉を続けた。
「ミカリ見てきたからね」
 ミカリさん。
 将は無言で目をすがめる。
 もう一人、ストームのために傷ついた人が、そこにいる。
「たまたまなんだ、たまたま目立ったニュースがない退屈な時期に、女優と浮き名を流したハンサム作家の女房がマスコミに出て涙の訴え、私の夫を返してください。何がきっかけだったか、それで日本中の野次馬の正義感に火がついちゃった」
 阿蘇ミカリ。
 将にはその過去は、聡の口を通じてでしか知らされていない。今までとりたてて気にしたこともなかったし、ミカリも、一度も口にしなかった。
「ミカリはさ、ただ人好きになって、その人の子供産もうとしただけ。あの子はまだ大学出たばかりで、妻とは離婚協議中だっていう、男の嘘を信じちゃっただけ」
 淡々とした声で、ケイは続ける。
「でも、世間がミカリにつけたレッテルは、病弱な妻から夫を奪った不倫女って、それだけ。どんなに本人が違うっていっても、周りがミカリはそんな子じゃないって知ってたとしても、そんなもの、大きな流れの中じゃ、吹き飛ばされる小さな声」
 ケイは、ふぅーっと長い息を煙と共に吐き出した。
「正義やね、良心や、願いや祈りが、なんの役にもたたないほど、どうにもならないことって、この世にはいくらでもあるんだよ、柏葉将」
「…………」
「正しいと思うことをね、いくらやっても、叫んでも、それが誰の心にも届かないことって、本当にいくらでもあるんだよ」
「…………」
「そういう時はね、じっと我慢して耐えるしかないんだよ。嵐も噂もいつかは消える、大衆の心があんたたちを許してくれる時まで、今は大人しく待ってるのが一番なんだよ」
 大衆の心が。
 俺たちを許すまで。
「許すって、どういうことかな」
 将は、静かな声で言って、隣に座るケイを見上げた。
「それって、許すっていうかさ、単に忘れるってことなんじゃねぇのかな」
「…………」
 表情を変えないケイの、凛々しい眉が、わずかに動く。
「忘れることと、許すってのは、違うんじゃねぇかな。ていうか俺だったら、そんな忘れた頃に騙しみたいに復帰してくる奴らなんて、同情したって、憧れる気には絶対なれない」
「あのさ、柏葉将」
「わかってるよ、ケイさんが、俺ら心配してるってことは」
 将は、笑って立ち上がった。
「そろそろいこっか、今なら、病室に入れると思うから」
「あのねぇ」
 ケイもまた、あきらめたように立ち上がる。
「私は絶対認めないわよ、むしろ、徹底的に妨害するから」
「ま、話は後でゆっくりしようぜ、今夜はこっちに泊まりなんだろ」
「口説くのはなしにしてよ」
「は……はは」
 がっくりと肩を落として、笑った顔をあげる。
「柏葉将、あたしは本気で言ってんのよ」
「俺だって本気だよ」
 そのまま互いに無言になって、肩を並べて歩き出す。
 ケイが、太いため息を吐くのが判った。
 エレベーターのボタンを押しながら、将は、不思議と自分が傷つかないのを感じていた。レインボウや宮沢カズと話した時とは少し違う。思っていることは同じでも、何を反論されても揺れることがない。
 それは、同じパッションを、仲間たちと確認しあえたからなのかもしれない。
 もう、後には引けないし、引かない。
「自分たちが正しいと思ってるわけ」
 ケイが、呟く。
「正しいから、むしろ自分たちは被害者だから、何しても許されるとでも思ってるわけ」
「そんなことないよ」
 なかなか降りてこないランプを、将は見上げる。
「正しいことをしたなんて、これっぽっちも思ってない、もちろん、俺らが被害者だとも思ってない」
「だったら」
「傷つけたり失望させたり、苦しめたファンには心から謝りたい、俺らはアイドルにあるまじきことしちまった、それは全員が、そうしちまった。悲しませた人には謝罪したいし、絶対にしなきゃいけないと思ってる」
「だからさ、今がその贖罪期間なんだよ、柏葉将」
「でもそういう人たちが、俺らがこのまま潰れて、二度とでてこなきゃいいって、そんな風に思うかな」
「……………」
「俺らさは、儚いこというようだけど、今しかないんだ、今しかない存在なんだ」
「……………」
 この若さも。
 輝きも。
 全ては、今、この刹那のものでしかない。
「今回の騒動で、本当に怒ったり悲しんだりした人が、もう俺らじゃない俺らをさ、何年か先……ストームそういえばいたよね、みたいな雰囲気の中で見るとして、それで本当に嬉しいと思うかな」
「…………」
「そういうのが、ケイさんのいう贖罪なら、それ、単に、俺らにとって楽な道いってるだけの気がすんだ、俺」
「……怒ってる主体は、ファンじゃないよ、残念だけど」
 ケイの声は、今はむしろ陰鬱な怒りが滲んでいるような気がした。
「ミカリの時もそうだった、ミカリが本当に迷惑かけた相手は、言ってみりゃ向こうの奥さんだけ。なのに、何千っていう全く無関係の大衆が、正義感面してミカリのこと、よってたかって袋叩きにした」
「…………」
「そいつらは、残酷なようだけど、あんたたちが落ちるさまを、ただ楽しんでみてるだけ、光の頂点にいたあんたたちが闇に落ちるのを、ひとつのショーとして見てるだけ。そいつらは、あんたたちを愛してもないし、再び上がってきてほしいとも思ってない」
「……………」
「逆に、あんたたちが上がろうとすると、牙を剥いて襲い掛かってくる、……残酷なこというようだけど、それが現実」
「だからさ」
 将は笑った。
「その喧嘩、受けて立とうっつってんじゃん」
 正面からあったケイの目が、初めて驚きにゆれた気がした。
「本気でいってんの、……あんた」
「本気も本気、だから最初からそう言ってる」
「…………」
「ストームはさ、今しか輝けない光なんだ」
 その輝きが。
 きっと、闇を照らす光になる。
「俺はストームを、元の場所に戻してやりたいんだ」



               7


「直人、あんた一体何やってんのよ!」
 いきなり静寂を乱された唐沢直人の戸惑いも怒りもなんのその、ケイはずかずかとベッドの傍まで歩み寄り、その肩を掴んで揺さぶった。
「何回電話したと思ってんのよ、行方不明?ふざけてんじゃないわよ、何甘え腐った真似してんのよ」
「なんだ、お前は」
 さしもの無関心も通じるはずもなく、唐沢は、迷惑気にケイの手を振りほどいた。
「冗談社の九石ケイよ、大学からの腐れ縁を忘れたとは言わせないんだから」
「……知らん」
「知らんじゃないでしょ、人をこんだけ心配させて」
「だから俺は、お前なんて知らないんだ」
「起きなさい、帰るわよ、東京に!」
 再会して初めて、唐沢の額にお馴染みの青筋をみたような気がした。
―――く、九石さん……。
 どこで口を挟んでいいか判らないまま、将は焦りながら背後を見る。
 記憶のことも、足のことも、ちゃんと話したつもりだったのに、通じてなかったんだろうか、もしかして。
 親父さんはどこに行ったんだろう。上着がハンガーにかけられてるから、まだこの辺りにいるはずなんだけど。
「記憶喪失?ふざけんじゃないわよ、足が動かない?甘えてんじゃないわよ、ひきずってでも、東京に連れて帰るんだから!」
 ケイはもう、唐沢の腕を抱くようにして、ベッドから引き摺り下ろそうとしている。
「は、離せっ」
「離すもんですか」
「俺はお前を知らん」
「私はよく知ってるのよ」
 し、深刻な場面なのに。
 どこか、コメディでも観ているような気分になるのは何故だろう。
 しかし、唐沢は本当に迷惑そうだった。
 強くケイの手を振りはらい、さしものケイも、驚いたように一瞬黙る。
「本当に……あたしのことが、わかんないの」
 泣くかな、と思った。
 そのあり得ない女の表情に、将は言葉を失っていた。
「冗談社のケイ、九石ケイ、あんたとは大学の時から、ずっと一緒だったじゃない」
 唐沢の視線が影って落ちる。
「知らん」
「大学の時、あんた男にしか興味なくて、あたしのこと、男だと信じて言い寄ってきたじゃない」
 お、おいおい。
 またもや、がくっと肩が落ちる将。
 マジかよ、そりゃ!
「知らん」
「知ってる!」
「知らん!俺は記者なんかに知り合いはいない」
 ふと視線を止めた将が、口を開こうとした時だった。
 背後で軽いノックがして「あら」と、どこか呑気な声がした。
「なんだ、どっかで聞いた声がすると思ったら、九石さんだったんだ」
 今度は、将が固まったまま唖然としていた。
 てか――。
 真咲しずく。
 膝までの白っぽいワンピースに、グレーのジャケット。
 緩くウェーブのかかった髪は右肩でまとめて流し、胸に花束をかかえたしずくは、こんな場面なのに、場違いなほど綺麗に見えた。
 てか、なんだって、あんたがここに。
 あの夜、別れたきり、連絡ひとつ寄越さなかった女が。
 その背後に、少し驚いたような顔をした唐沢省吾が立っている。
 きょとん、としたしずくの目が、ようやく将に向けられた。
「あっれー、バニーちゃん」
 将が口を開きかけた時、影が傍らをすり抜けた。
 それが、九石ケイだとわかった時には、身長百七十を超える女二人は、殆ど真正面から対峙していた。
「く……、」
 ものも言う間もなかった、無論、止める間も。
 強烈な平手がしずくの身体を揺らし、手にした花束が床に落ちる。
 舞い散る花びらの中、よろめいたものの、それでもしずくは気丈に体勢をたてなおした。
 みるみる頬が赤く腫れる。唇の端に、わずかに血が滲み出ていた。
 将は、驚いていいのか怒っていいのか、どうしていいのか判らないまま、ただ唖然と立ちすくんでいた。
「思いっきりですね」
 口元だけでかすかに笑い、しずくは自身の頬に手をあてる。
 い、いや。
 これは思いっきりとか、痛いとかなんてもんじゃなく。
 平手っていうか、むしろ張り手。
 すきとおるほど白い頬が、痛々しいほど赤くなっている。
「謝る気ないよ、いっとくけど」
 叩いたケイの方が、むしろ痛みに耐えるような顔をしていた。
「あんたに、こうなることがわかってなかったとは思えない、あんたに、ストームを守る手段が何もなかったとは思えない」
 しずくは何も言わない。ただ無言で、口元に微笑を浮かべている。
「あんたが壊して、あんたが傷つけた、ミカリや末永真白や、東條聡や片瀬りょう、それから成瀬雅之に、柏葉将」
 ケイの口調が震えている。
「あんたは何がしたかったの?自分の父親の敵討ち?真田の爺さんと直人への復讐?それさえできれば、ストームがどうなろうと、事務所がどうなろうと、あんたはどうでもよかったんだ」
「…………」
 変わらないしずくの表情が、わずかに翳ったような気がした。
「やっと判ったよ、柏葉将の暴挙の理由」
 冷静さを欠いているせいか、早口でケイは続けた。
「特攻の指揮官はあんただったんだ。自分は何も失わないとこで、あんたはまた、ストームを地獄へ叩き落そうとしてるんだ」
「九石さん、それは」
「あんたは黙ってて!」
 将の言葉は、獰猛な剣幕で遮られる。
「無責任にストーム高みに押し上げて、みんなを苦しめるだけ苦しめて、あんた、それからどうしたのよ」
 しずくは、黙っている。
 静かな眼差しは、否定とも怒りとも違う、不思議な表情をたたえている。
「金持ちの親父と結婚して、優雅にパリでバカンスですか。で、それにも飽きて、今度は年末に東京ドームでコンサート」
―――九石さん。
 将が言葉を挟めなかったのは、怒っているはずのケイが、ひどく辛そうに見えたからかもしれない。けれど。
「ふざけんじゃないわよ!」
 けれどそれ以上に、将の勘違いでなかったら。
「ふざけんじゃないっていってんのよ!」
 微笑して立っているしずくの方が、辛そうに見えた。
 辛いというより、苦しそうに見えた。
 表情に殆ど変化はないから、ひょっとするとそれは、将にしか判らない感情なのかもしれないけど。
 どうしたんだよ。
 不安にも似た寂しさを感じ、将は女の横顔を見つめる。
―――あんたらしくもない、どうして何も、言いかえさねーんだよ。
 将にとっては、初めてみるしずくの姿。
 いつも余裕で、何を言われても右から左に流すような女が、反論さえできない窮地に立たされているような。
 言い返せないって、ことなのか。
 それは――やっぱ、唐沢社長の親父さんの言うとおりってことで。
「とにかく、あんたには二度と、ストームにも柏葉将にも近づかせないから」
 ふいにケイが振り返る。
 えっと思ったとき、将はそのケイに腕をとられていた。
「いくわよ、柏葉将」
「え、俺?」
 ちょ、え?
 え?つか、俺。
 どっちかっつったら、あの女と話が――。
 ひきずられる将の視界で、みるみるしずくが遠ざかる。
 扉が閉まるまで、しずくは一度も、将を振り返ろうとはしなかった。










 
 ※この物語は全てフィクションです。



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