23
 


「随分遅れているらしい、もう一時間は足止めだな」
「え、」
 ぼんやりしていた将は顔をあげる。 
 そんな将を、いぶかしげな目で見下ろした父親は、隣のベンチに腰掛け、ポケットから文庫本を取り出した。
 ああ、飛行機事故。
 大渋滞の高速、将が空港に着いた時は、もう現場はあらかた撤収されていた。
 離陸の失敗、負傷者を運ぶけたたましい救急車のサイレンもひと段落した。ニュースを見る限り、死者はでていないらしい。365人乗りのジェット、奇跡的な幸運に見舞われた事故。
 成田発の飛行機の予定は、その事故で大幅に狂い、待合ロビーには人がごった返している。
「一晩くらい泊まってもいいんだぞ」
「いや、別に用事なんてないし」
 それきり黙る父から、視線をそらし、将はわずかに目をすがめた。
 泊っていきたいって、そんな顔してたか、俺は。
 今日、再会した友人たちに、何かを求めていたわけじゃない。
 何かを期待していたわけじゃない。
 なのに、この虚しさはなんだろう。
 この、喪失感はなんだろう。
 家族と共にここを発った時には感じなかった。まるで、今日、人生のすべてを失ったような、この気持ちは。
 何もかも失ったのは、今ではなく過去に起きたことなのに。いや、自分のせいで、失わせてしまったのは。
 今日、口に出せなかった気がかりは山のように残っている。行方不明だという唐沢社長、移籍を決めた緋川拓海、そして――結婚と同時に表舞台から、一切姿を消してしまった人。
 島根に戻ったりょう。
 海外で活躍している憂也。
 みんな今、どんな思いを抱いて、日々を生きているのだろう。
「お前は、これからどうするつもりだ」
 ふいに父の声がした。
 読書に集中しているとばかり思っていた将は、少し驚いて顔をあげる。
「今は、もっと勉強したいです」
 将は、素直な心境を口にした。
「社会の……色んなことを勉強して、自分に何ができるか、考えてみたいんで」
「そうか」
 もう、アイドルには戻らない。
 もう、楽しい歌は歌えない。
 それは、将自身が決意したことだ。
 なのにそれが、今日、昔の仲間にあって、底のどこかで揺らいでしまっている。いや、考えても考えてもいきつく場所に戻ってしまっている。一昨日ロンドンを発つ時には微塵も揺れてはいなかったのに。揺れるはずはないと信じていたのに。
 まるで――過去にもどったような錯覚さえ感じてしまった。虫のいい夢をみてしまった。
 現実には、絶対に起こりえない夢を。
「……俺自身が、決めたことだから」
 将は、自分に言い聞かせるように口にした。
「俺が、自分で、あの時やっていた仕事より、こうやって生きることを決めたんです」
 自白しなければ解雇だと言われた時。
 将は、結局は仲間より自分を選んだ。ストームより、柏葉将の生き方を優先させた。
 あれが、全てだ。
「例の電話の、謎はとけたか」
「ああ、元事務所の営業さんに連絡取れたんで、それはもう」
 どういういたずらか、ミスか知らないけど。
 まぁ、早めに誤解が解けて幸いだった。
 その、誰かのいたずらのせいで、こうやって日本に戻ってきたんだから、それも不思議なものだとは思うが。
 花火って、ちまちまやっても面白くないじゃない?
 どうせやるならさ、でっかい、

「……東京ドームか」
「え?」
 父の呟きが、将の揺れる思考を遮る。
 顔をあげて、ようやく将にも、父の言葉の意味が判った。
 ロビーの小さなスクリーンで映し出されている巨人戦。
「お前の夢じゃなかったのか」
「そんなこと言いましたっけ」
 思わず苦笑して膝を見る。
 東京ドームでコンサート。
 そんなの、別に夢でもなんでもない。
 あったとしても、ただの目標か通過点だ。
 二人の背後で、流暢な英語のアナウンス。日本語が流れる前に、将も、父も立ち上がっていた。
「やれやれ、ようやくだ」
「じゃあ、母さんにメール入れときます」
 そう言い差し、将は窓の外の東京の夜に視線を向ける。
 もう、当分、この街の景色を見ることはないだろう。
 もう――当分。
「……将」
「はい?」
「あれは、お前の知り合いじゃないのか」
―――え?




「将君――っ」
「将君!」
 人迷惑な喚き声。
 すれ違う人が、ほぼ全員振り返っている。
 異種の人がごったがえしている空港の待合ロビー。
 その人ゴミを半ばかきわけるようにして、大声を張り上げている大人が2人。
 いやがおうでも目に入る。
 聡が足を止めて、額から滴る汗をぬぐった。
 膝に手を当てた雅之が、ぜいぜいと息を吐く。
「わ、わかんねぇよ、これじゃ」
「そもそも飛行機、もう出てるとか」
「えー、どこ見りゃわかんのかな」
「そもそも、どこに飛んでくの?将君」
 その程度も確認できねぇのか、お前らは……。
 その背後に歩み寄った将は、半ば脱力しつつ、目の前の、雅之の襟首を引張り上げた。
「うおっ」
 引き上げられた魚さながら、雅之が白眼を剥いて振り返る。
「ばーか、何こっぱずかしい真似してんだよ」
 空港の警備員がいぶかしげに様子を見ている。
 将は一礼して、二人を引きずるようにしてロビーの隅まで連れ出した。
 信じられない。
 この、乗客チェックが厳しいご時勢に、なんつード派手なパフォーマンスを。
「しょっ、しょっ」
「将君!」
「将君!!」
 聡に雅之。
 ようやく我に返り口々に喚きだす2人を、とりあえず手で制した。
 黙れ。
「落ち着いて喋れ、それに、頼むから、見送りならもっと静かにやってくれ」
「見送りじゃねぇよ」
 ようやく雅之の口から、聞きとれる言語が出てくる。
 2人の額には、汗が滴るほど浮いていた。どれたけ空港内を走ったのか、声が半ば枯れている。
 将は、その真剣な眼差しに、言いかけた言葉を失った。
「迎えにきたんだ、将君」
 聡が言った。
 何の話だろう、眉を寄せた時、その続きを雅之が言った。
「戻ろう、もう一回、ストームで頑張ろう、俺たち」
「…………………は?」
 戻る?
 ストームで頑張る?
「冗談じゃねぇんだ」
 怖いくらい真剣な声で、雅之が将の肩を強く掴んだ。
「このまま終りにしたくねぇんだよ、このままストーム、終りにしたくないんだよ」
「………そりゃ、」
 固まった将は、ようやくぎこちない口を開いていた。
 気持ちは判る。
 でも、それは。
「これが、最後のミラクルだよ、将君」
 聡が泣いているのに、将はようやく気がついていた。
「とんでもないこと言ってるのは判ってる、目茶苦茶なことしようとしてんのは判ってる、でも、今再結成しなきゃ、俺たち、もう本当に終りなんだ」
「………終わらせたくない……」
 雅之が、拳で自身の目を拭った。
「終わらせたくないんだ……もっと、早く言いたかった、もっと早く、気づけばよかった」
「………………」
「……もっと……早く………」
 言葉を詰まらせた雅之から、将は無言で目をそらした。
 こみあげてきた感情は、何度も何度も、冷静に抑制した。
「……ありがとう」
 どういえばいいんだろう。
 どう言えば、判ってもらえるだろう。
「お前らが本音で言ってくれたから、俺も本気で応えるよ、無理だ」
「…………………」
「死んだんだよ、俺」
「…………………」
 顔をあげた雅之の頬に、涙が伝った。
「アイドルの柏葉将は、あの時、もう死んだんだ、てめぇのやらかしたことで、周りの連中まで巻き込んで、死んだ」
「…………………」
「………本当は、マジで死にたいくらい後悔した、セイバーが中止になった時も、コンサートが失敗した時も、J&Mがなくなった時も、」
 抑制しているつもりで、語尾がわずかに震えていた。
「自分のやったことが正しいなんて思ったことは一度もねぇよ、後悔しなかった夜なんて一回もない」
 自分ひとりなら、まだしも。
 大切な人全てを巻き込んで。
「やりなおすなら、俺抜きでやらなきゃだめだ」
 将がいれば、もうストームは、二度と日の当たる場所には立てないだろう。
 暴力事件を起こしたタレントを、スポンサーは絶対に起用しない。テレビは絶対にオンエアしない。
 将は、震える雅之の拳に手を添えた。
「俺にできることは、なんでもするよ、それは本当に約束する」
「………………」
「ストーム、やり直してほしい、それは俺も……本当に、そうしてほしい」
 奇跡みたいな夢だけど、でも。
「でもそれは、俺がいたら、絶対にできないことなんだ」
 自分に、そして2人に言い聞かせるように、将はゆっくりと言葉を繋いだ。
「俺がいたら、絶対に叶わない夢なんだよ」
「……………………」
 何か言いかけた雅之が唇を震わせる。
 もう、その顔を見ているのが辛すぎた。
 手を離し、その肩を一度叩いて、将は深呼吸をして歩き出す。
「違うよ、将君」
 聡の声がした。
「将君は違う、間違ってる、絶対なんてこの世界にはないよ、そうだろ?」
「…………………」
 もう一度息を吸い、将は再び歩き出す。
「絶対なんてない、絶対に不可能なんてことはない、できるよ、絶対にやればできる」
「……………………」
「それを奇跡っていうんだろ!」
「将君、追っかけていくからな、パスポート取ったら、すぐに!」
 初めて将は、自分の目元を指で払った。
「絶対追っかけていくからな、それは本当に絶対だからな!!」



                24



「……将、」
「え?」
 雑誌を手に取りかけていた将は顔を上げる。
 搭乗してすぐに本を開いた父は、視線を、まだ手元の文庫本に向けたままだった。
 ぞくぞくと狭い通路から人が入ってくる。淡い照明の灯った機内。
 アナウンスされた離陸時間まで、あと十分たらず。
「司馬遼太郎はいいだろう」
「ああ」
 将は少しおかしくなる。父の若い頃からの愛読書、一体何度読み返したのか、気づくといつもそれを読んでいる。
「奇跡がどうとか言っていたな」
「………………」
 聡の大声が、背後の父にも聞こえていたのだろう。
 将は苦笑して、目の前のラックから雑誌を取った。
「お前は、奇跡とはなんだと思う」
 それでも、珍しく父は会話を続ける。将は手を止めて、しばし考えた。
「奇跡、ですか」
 ありえないことが、叶うこと。
 起らないことが、起きてしまうこと。
「司馬先生は、奇跡という字を常用外の字で書かれる、奇蹟、責の字をつけて書かれる、それになんの意味があるのかは知らんが、何かが積み上げられて輝くような印象が、私は好きだ」
「………………」
 奇蹟。
 最後のリリース曲のタイトル。
「男とは、一度引いてしまったらおしまいだ。窮地に追い込まれた時ほど、引くのではなく、より大きな勝負に出るべきだと私は思う」
「…………………」
「ただ、それと、父親としての思いとは違う」
 管制塔が煌いている。
 夜の闇が、空港を包んでいる。
 客室乗務員が、観客をチェックしている。離陸まであとわずか。
「私は、お前が愛しい」
「……………………」
「お前を傷つける者は許せないし、傷つくお前も見たくない、できるなら私の手元で、ずっと守って育ててやりたい」
「………………………」
 お父さん。
「それが………親というものだ、」
 お父さん。
「奇蹟とはな、将」
 隣に座る人の顔を、将は見ることができなかった。
「ある集団の意識をひとつに変え、そして有り得ない現象を起こすことだ、それは一人の力でできることでも、人間の力だけでできることでもない」
 奇蹟とは――
「お前が決めなさい、将」
 集団の意識をひとつに変えて、そして有り得ない現象を起こすこと。
「お前の人生だ、最後はお前が決めなさい、将」















 ※この物語は全てフィクションです。



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