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 看板スター緋川拓海の移籍と共に、日本芸能史に異彩を放つ、株式会社J&Mの歴史が終わった。
 芸能史上類をみない大移籍だったにも関わらず、緋川拓海、そしてギャラクシーの4人はいまだその動機に触れず、後輩たちの非難を黙殺する形で、頑なに沈黙を守っている。


(こんなになってさ。)
(俺、やっと本気で、あの人に向き合う覚悟ができた気がするんだ。)

―――聡君……
 雅之は無言で、別れ際、聡に渡されたペーパーを見つめる。
 パソコン画面をプリントアウトしたもの。コラム記事のようだ、タイトルは「J&Mの終焉に思う」作者名はMA――阿蘇、ミカリ。
 劇団員いきつけの居酒屋チェーン店。香ばしい串焼きの匂いと有線の音楽、そして賑やかな客の笑い声で、店内はむっとした喧噪に包まれている。
 早い時間だから、周囲に客はまばらにしかいない。雅之の周りでは、注文した料理が届くのを、いつものメンバーが熱い演劇論を交わしながら待っていた。
 雅之の前だけ、飲まないビールが水滴をしたたらせて取り残されている。
 ようやく心を割って話し合えた聡の言葉が、まだ雅之の耳に濃く残っていた。
(ミカリさんのことは、真剣に考えると俺にはあまりにも重過ぎて、どっかで逃げてたんだよね、きっと)
(悔しいけど、憂也の言うとおりだった。応えたよ、さっきの将君の言葉)
(りょうのこと言い訳にするほどバカじゃないって……)
 雅之は黙って、唇を噛む。
(俺、自分が何もできない言い訳に、他のメンバー簡単に使ってた、正直恥ずかしくて泣きそうだった)
―――自分が何もしない言い訳に、メンバー使って、それでいつまでも被害者でいたきゃ、勝手にしろよ。
 あの日の、残酷なまでに冷たかった憂也の言葉。
 その憂也に、もっと残酷な言葉を投げてしまった俺。
「…………………」
 ほんと、男と女だな、俺たちは。
 雅之は、目の端にこみあげたものを慌てて拭う。
 子供みたいに傷つけて、傷つけられた、本当は誰より欲しあっていたのに。理解したい、してほしいと思っていたのに。


 筆者は以前、J&Mに近い立場で彼らの取材をした経験がある。
 私の印象では、緋川拓海とは義の男である。
 自らのことより、芸能界に足を踏み入れたばかりの後輩たちを思い、自身の残留を条件に、今まで様々待遇改善を事務所に要求し続けてきた、いわば、J&Mにあって労働書記長のような立場を貫いていた男。
 名実共に、日本、そしてアジアのトップスター、一見我侭で自己中心とも取れる言動が多い緋川のそういった愚直な素顔は、今まであまり語られていない。
 では何故その緋川が、J&Mに引導を渡す形で離脱を決めたのか。
 ここに、いくつかの事実と共に、筆者の推論をあげてみたい。
 ひとつの原因として、すでに一タレントの力では押しとどめようもないほどの破綻の波が、J&Mを押し流そうとしていたという背景がある。
 当時のJ&Mは、外務省をも巻き込んだ一連のスキャンダル記事により、かつてないほど株価が暴落するという異常事態に陥っていた。
 マスコミが一斉に牙をむいた背景には、元社長唐沢直人氏がすすめてきた強引なマスコミ規制、言論規制への根深い恨みと反発がある。メディァの人事にまで口を出し始めた芸能プロの社長に、もろ手をすりあわせて迎合しながら、その実彼らは、巨大王国の翳りをじっと待っていたのだろう。
 一斉に手のひらを返す様は、ある種の爽快さを視聴者に与え、その作り出された快感と正義に視聴者は酔った。そうやって形成された「世論」は、もはや緋川一人のカリスマでは、どうにもならなかったに違いない。
 そして、もうひとつの原因として、J&Mの基盤弱体下を背景に、新たに経営陣の一角に食い込んできたゲーム業界の首領「ニンセンドー」の存在がある。
 経営支援の条件にニンセンドーが持ち出したのは、緋川拓海及びギャラクシーの複数年契約。それは容易に想像がつくだろう。なにしろヒデ&誓也が移籍し、ストームが失脚した今、Jの看板はギャラクシーしかいないからだ。
 アイドルとして十年以上トップにたち続けていたギャラクシーも、すでに賀沢を除けば、全員が三十を超えている。残留か、移籍か。その選択如何によって、これからタレントとして、俳優としての正念場を迎える5人の将来が大きく影響されるのは間違いない。
 最終的な結論として、5人は移籍を決めた。そこまでは十分理解できる。
 が、J&Mの終焉を決定づけた最大の謎は、ここから始まる。

 動き始めたのは7月半ば、5人の独立の準備は水面下で極秘裡に進められた。そして、7月31日、それはあまりに劇的な形で一斉に幕をあける。
 午後3時、緋川拓海の単独記者会見。同日4時に天野雅弘、5時に上瀬、賀沢、草原の合同記者会見。
 緋川の残留を確信していた元社長にとっては寝耳に水、なんら防衛策をとっていない同社は、同日の株価の終値をもってこの業界から一線を退くことを決意した。
 ギャラクシーの移籍はただの移籍ではなく、J&Mに最後の引導を渡す形での、意図された移籍だった。
 では何故か、義の男緋川をして、そうさせた背景には何があったのか。
 そこに緋川の、彼がずっと主張し続けてきた、「俺たちは会社の道具じゃない」という強烈な主張が垣間見えると思うのは筆者の買いかぶりすぎだろうか。
 そのメッセージは、今度は会社ではない、残された後輩アイドル、そしてアイドル予備軍たちに向けられているのではないだろうか。
 今まで俺たちが守ってきた、今度はお前らの番だぞ、と。
 すでに従来の経営路線が困難になってきたJ&Mを、むしろそれを愛し育ててきた男自らが白紙に戻し、その未来を次なる後継者に託したのではないか、と。
 その強烈で過酷なメッセージを受け止めるのは誰だろうか。
 世界でも類をみない特殊な団体だったJ&M。
 復活の日が待ち望まれる。



「でね、赤毛のアンがどうしてもやりたいのよ、子供の頃からのアタシの夢。オーディション行ったのよ、もう何回も、ダメ元で」
 雅之の隣では、最初のビールでほろ酔い加減の女優が、すでに出来上がった態でくだを巻いている。
「今日、なんだか楽しそうだったね」
「え?」
 対面席のおはぎだった。ぼんやりとしていた雅之は、はっとして顔を上げる。
 ずっと考え込んでいた。目の前には半分だけあいたピッチ。飲んでいた記憶さえない。
 おはぎは優しい顔を笑み崩して、雅之の前に唐揚げの皿を勧めた。
「柏葉君、久し振りに見たけど、元気そうで安心したよ」
「ああ……いや、おはぎさんにも心配かけて」
 やべー、一人だけ絶対浮いていた。
 雅之は慌てて、取り繕った笑顔を浮かべる。チームワークが命の舞台、周囲に合わせるのも仕事のうちだ、その感覚はけっこうバラエティに近いのかもしれない。
 今も、照明スタッフや、気難しい演出の斎藤、雅之が苦手としている口やかましいプロデューサー崎田が、役者の中に顔を並べ、やはり熱く語り合っている。
 基本、舞台の人は熱いのだ。この情熱だけで、何杯も酒が飲めてしまうほどに。
「柏葉君といる時の雅君、可愛かった」
 おはぎは、人のいい目を細めながら、雅之の前に次々と皿を寄せてくれた。
「嬉しいの、必死で隠そうとして、不自然に仏頂面になってたじゃん」
「え?」
 俺が?
「やっぱ、私生活でも大根だなぁって、斎藤さんとも笑ったよ」
「は……はは」
 そ、そうだったっけ。
 まぁ確かに、子供みたいにはしゃぐのもかっこわりーから、ぐっと我慢して生真面目な顔で押し通していたような気がする。本当は稽古の間中、将君のことばっか考えてて、飛び上がりたいほど嬉しかったけど。
「………………」
 あれ?
「ん?どうした?」
「あ、いや」
 雅之は曖昧に笑って頭を掻く。
 あれ……?
 なんか今、すっげ、大切なこと思い出しかけた気がしたんだけど。
 なんだったんだろう。
「何が好きかってね、黙示録よ、黙示録、アンがね、ギルバートを愛してるって気づく夜」
 ふと、それまで消えていた声が甲高く耳に響いてくる。
 なんの話だろう。さっきからずっと熱心に喋っている、隣席の女の子。
 テレビでは野球中継をやっている。どうでもいいスコアだが、時々みんなが見上げているから、結構いい試合なのかもしれない。
「誰の心にも黙示録があるのよ、その夜、愛する男が死にかけてるって判った瞬間に、女の心に黙示録がくだったのよ」
 黙示録。
 雅之は耳をとめる、周囲の俳優たちも、不思議そうに首をひねっている。
「黙示録って、なんかおっそろしいイメージがあるけど」
「いい意味で使うの、それ」
「怖いのよ、怖いじゃない、恋ってね、そういう意味じゃホラーなのよ、だって人間の運命が変わる一瞬よ、恐怖と同じ感覚よ?」
 人間の、運命が変わる一瞬。
 それが、恐怖。
 雅之は、ふっと肩の力が抜けるのを感じ、苦笑した。
 よくわかんねぇや。
 やっぱ、舞台やってる人の感覚ってわかんねぇかも。
「ちょい、トイレ」
 そう言って、雅之が立ち上がった時だった。
「あれ、飛行機事故だって」
「こわっ、最近なんか続いてね?」
 カウンターに座っているカップル客から声がした。
 雅之はつられてテレビを見上げる。野球中継の上に流れるテロップ。
 そこに流れる文字を、雅之は、夢でも見るような気持ちで見つめていた。
「……………………」
 誰の心にも、 
「………しょ、」
 耳鳴りがした。
 心臓が熱を帯び、発火したような気がした。
 誰に心にも、黙示録がある。
「雅君?」
 その夜――
「す、」
 乾いた唇が、かろうじて動く。
「す……いません、俺、」
 止まった時が、獰猛に動き出す。
 固まったままの体の中で、溶岩がせめぎ合い、渦を巻いているような気がした。
「おい、雅君?」
「す…………」
 俺。
 雅之は、自失したまま、唖然と自分を見上げている顔ぶれを見た。
 あんなスキャンダルを巻き起こした自分を信頼して、危険を承知で起用を決めてくれた人たち。
 こんな俺を仲間と認めて――新しい道を歩く手助けをしてくれた人たち。
「どうしたんだよ、雅君」
 おはぎが、さすがに心配したように立ちあがる。
 固まったものが、口の中からあふれ出た。
「すいません!」
 その夜、
「すいません、すいません、すいません!!」
 愛する男が、死に掛けていると判った瞬間。
―――将君!
 置かれたバックや居座る仲間を蹴散らすようにして、雅之は店を飛び出した。
 将君、将君、将君、将君。
 頭の中で、獣じみた感情が、狂ったように叫んでいる。
 俺、バカだった。
 俺、本当にバカだった。
 もう遅い、いや、遅くはない、まだ間に合う、まだ間に合う。
 夕闇に包まれた町、路上でタクシーを探しながら、雅之は携帯を耳に当てる。
 目的の人は、すぐに出てくれた。
「飛行機が落ちたんだ!」
 雅之は言った。
「え?」
 聡の声が驚いている。
「将君が乗ってたんだ、その飛行機には、将君が乗ってたんだよ!」
「ちょっと待てよ、何言ってんだよ」
 周囲に遠慮するような小声は、今、聡が仕事中だったことを意味している。
 運命が変わる。
 それは確かに恐怖の瞬間。
「落ち着けよ、雅」
「俺、今から空港行くから」
「何言ってんだよ、冷静になれよ!」
「行くから、でないと永遠に手遅れになるから」
「おいっ、雅!!」
「今いかねぇと、本当に手遅れになるんだよ!!」
 携帯を切って、雅之は駆け出した。国道に出て、ひっきりなしに通る車の中からタクシーのランプを探す。
(いいかい、表現とは、常に抑圧された感情の裏返しだ)
(辛い、苦しい、悲しい泣きたい、だからこそ笑うんだ、わかるか、雅君)
 将君は笑ってたんだ。
 雅之は、自身の頬に、涙が一筋零れるのを感じていた。
 俺が、俺がバカだから。
(会えるよ)
(何年かたって、5人全員で集まろうぜ、そん時は俺が幹事すっから、約束する)
 将君、笑ってたんだ。
 涙を拭い、雅之はタクシーに乗り込んだ。
「成田までお願いします」
 将君さ、笑ってたんだよ、……聡君。



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「何だったんすか、電話」
「いや……」
 聡は、首をかしげて携帯電話を切った。
 意味不明、雅、もしかして酔ってんのかな。
 腕時計を見て、再度首をひねる。夜間ロケ。聡はテント下のベンチに腰かけ、監督の尾崎と打ち合わせの最中だった。
「さっき達也が言ってた飛行機事故っていつだっけ」
 念のつもりで聡は訊いた。
 尾崎智樹が眉をひそめる。
「ああ、携帯ニュースで出てたやつ?もしかして知り合いでも乗ってたんですか?」
「いや、……時間的に有り得ないんだけど」
 聡は、首をかしげて携帯を開く。
 確認するまでもない、6時少しすぎ。
 将の乗る飛行機は確か六時半の成田発、まだ将は、離陸してもいないはずだ。一体、雅之は、何のことで騒いでいたんだろう。
 携帯で確認したニュース速報は、路線も時間も、まるで将とは無関係な飛行機の事故を伝えていた。ただし場所は成田空港、死傷者数は発表されていないが、国内としては、相当大きな事故である。
 離陸の失敗、ただ、炎上しつつも無事に緊急停止したというから、規模の割りには犠牲者は少ないのかもしれない。
「にしても、空港は今頃、大混雑でしょうねぇ」
 のぞきこんだ尾崎が呟く。
「うん……」
 聡は曖昧に言って、携帯を閉じた。
(俺、今から空港行くから。)
(今行かないと、本当に手遅れになるんだよ!)
 わからない。
 雅之は一体、何が言いたかったんだろう。
「じゃ、後30分で本番入れるんで」
「あ、うん」
 ロケのために借りた一戸建ての貸家。雨の場面、今スタッフが、人口雨の準備をしている。
 照明の下、聡は台本を開いて、これからの場面の確認をした。
 が、頭の中は、なかなか切り替わってはくれない。まだ、つんざくような雅之の叫びが尾を引いている。
(将君が乗ってたんだ、その飛行機には、将君が乗ってたんだよ!)
 聡は苦笑して首を振った。
 ありえない、まだ搭乗者名簿さえ公表されていないのに。
 また、雅之のバカの勘違いか早とちりだ。
 絶対そうに決まっている。
(行くから、でないと永遠に手遅れになるから)
(今いかねぇと、本当に手遅れになるんだよ!!)
 今頃気づいて、自分で苦笑いでもしてるんだろう。
 絶対、そうに決まっている。
「………………………」
 じゃなきゃ。
 なんの意味もないよ、雅。
 聡は額に手をあててうなだれた。
 今更、どうするよ。
 今更空港いってどうするよ、動き出した時間逆に戻してどうするよ。
 みんな、もう、戻れない道を歩き出してるんじゃないか、それぞれが。
 過去は過去で、それはもうどっかに納めて、そうして生きていくしかないんじゃないか。
 しばらく拳を握った後、聡はふと顔を上げた。
 雅之の言葉が、別の響きになって記憶の何かを喚起する。
(今、行かないと手遅れになる!)
―――同じこと……そいうや、言ったっけ、いつか俺。

(今、行かないと手遅れになる)
(今、行かないと、多分一生後悔する)
(ぶん殴って、泣き落として、土下座してでも続けさせる。俺たち、5人でなきゃダメなんだ。俺のためじゃない、雅のためだ、雅だって判ってる、本当は5人でいたいって、絶対に思ってるはずなんだ!)


 あれは、雅が辞めるとか辞めないとかで、騒いでいた時だった。
 雅の決断を尊重すべきかどうか、そんなことがわからなくて、迷い、悩み、揺れていた4人。
 今でも本当の答えは、結局は判っていないような気がする。

(一人じゃねぇよ、俺たち5人で受け止めればいいじゃないか)
(俺、その程度の覚悟くらいあるよ。事務所クビになったって、5人でもう一回やり直せばいいじゃないか!)


 その覚悟が、今はない。
 聡は再度拳を握る。
 それは――もう、戻れないから、過去だから、昔と状況が違うから、現実的に不可能だから、誰もそれを、誰一人として望んでないから。
 だから、そんな覚悟なんて。
 聡は、意識を現実に戻そうとした。台本、必死で追う文字が、どうしても頭に入らない。
「くそっ」
 本を放り出し、聡は両拳を握り締めていた。

(いやー、なんかもう、サイコー)
(あれ、マジで怒られる紙一重ってやつだったよな、こんなにハラハラしたの、キッズのコンサート以来だよ)
(将君は、真面目な顔して、考え付くことがくだらねーっつーか、しょーもねーっつーか)


 色んなことがあった。
 つか、ありすぎた、ストームは。

(いくぜーっ、結婚式―っ)
(踊れーっ)
(お言葉を返すようで恐縮ですが、その百人がどう思おうと、関係ないんじゃないですか)


 5人がいて、片野坂さんがいて、小泉君がいて、真咲さんがいた。

(よっ、柏葉イタジ)
(片野坂将の方が、かっこよくねー?)
(柏葉さーん、東條さーん)
(甘えん坊ね、バニーちゃん、いつまでだっこにおんぶのアイドルなんてやってるつもり)


 本当に、色んなことがあって。

(悪いけど、俺も今、憂也に負けないくらいどん詰まりなんだよ!)
(俺もだよ!)
(つーか、俺も!)


 そんなことで自慢しあって。

(今は、やりたいこと、とにかく思いっきりやってみようぜ、バカにされようと、クビきられようとさ、それが間違いだっていいじゃねぇか)
(自分のやりたいことを、悔いのないようにやってみようぜ!)


 将君

(そうそう、なくして困るもんなんて、端からどこにもねぇんだよ)

 雅之。

(クズ星だしな)

 りょう。

(クズの底力、見せてやろうぜ)

 それ言ったの……俺だ。


(将君とこは、ウサギが飼い主に恋してっからなー)
(その飼い主って、もしかしなくても、真咲さんだろ)
(おっもしれー、将君、やられっぱじゃん)


 深刻な状況なのに、5人で集まると全然深刻になれなくて。

(俺たちのスーパーキングが形無しだよ)
(決めちゃえ決めちゃえ、ツアーの間に)
(青大将が、ほっぺにちゅっ、止まりじゃねぇよなぁ、まさか)


 最高に楽しくて、愛しい時間。

(今回のツアーは、僕らとお客さん、スタッフのみんなが、同じチームっていうコンセプトでやっていきたいと思ってるんで、チームストーム、どうか、最後まで気合いれてよろしくお願いします!!)


 あの時、みんなで作ったジャケット。
 どうしても棄てられなかった。
 他のものは全部整理しても、あれだけは。
「……………………」
 今、行かないと。
 今、行かないと。 
 わかったよ、雅。
 わかったよ……雅。
 ぼたぼたと、涙が、白い本、そこだけ灰色の点を作った。
 拳を握り締めたまま、聡は歯を食いしばった。
 でも、そんな覚悟、あるのかよ。
 将君追いかける意味、判ってるのかよ。
 将君の未来も、俺たちの未来も、俺たちが迷惑かけた人の未来も全部、ひっくるめて受けとめる覚悟が。
「東條さん、そろそろいいっすか」
「…………………」
 全部、……そんな、覚悟が。
 俺には。
「東條さん?」
 いぶかしげなスタッフの声、聡は悟られないよう、顔をそむけたまま頷いた。
「うん、いいよ、今行きます」
 俺にはない。
 ない。
 そんなの、ない。絶対にできない。
 尾崎君、GANのみんな。親父、お袋、姉貴。
 今、自分を支えてくれる仲間を裏切ることなんて。
 俺には――
「……………………」
 俺には。

 またな。
 何年かたったら、また会おう、
 何年かたったら。
 いつか。


「………………………」
 聡は席を立っていた。
 頭の中が白くて、ただ熱かった。
 喉に熱の塊がある。
「ごめん」
 その熱が、無意識にこぼれ出た。
「え?」
 立ち去ろうとしたスタッフが、足を止めて振り返る。
「ごめん――俺」
「東條さん?」
 何を言っていいかわからず、聡は周囲を見回した。
 照明の下、尾崎が指示を飛ばしている。慌ただしくスタッフが動き回っている現場。
 最高の裏切り、無責任、そんな言葉が浮かんで消える。
「あとで電話する」
 思考は、けれど行動に呑まれていた。上着の中、聡は車のキーを掴み取った。
「え?」
「ごめん」
 ごめん。
「本当に――ごめん!!」
 闇の中を駆けだした。
 いつか?
 やっとわかった。
 それが、今だ。
 いつかなんてね、所詮今の君の延長なのよ。
 わかったよ、ミカリさん。
 それが――今だ。















 ※この物語は全てフィクションです。



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