8
 



 聡、悪かったな。
 俺のせいで、お前の一番大切にしてた場所、なくしちまったのかな。
 それだけが心残りだ。本当にごめんな。
 俺みたいな馬鹿のことなんて庇うなよって言いたいけど、それでも、お前の優しさが嬉しかったよ。
 ありがとう。



 冗談社から帰った夜。
 聡ははじめて、ずっと収めたままだった、将からの手紙を開いていた。
 読めば、必ず後悔しそうで怖かった。
 同じ理由で、もう雅之とも会っていない。連絡さえ取り合っていない。
 解散という、ある意味取り返しのつかない選択肢を、最初に口にしたのは聡だ。
 もう、どうでもいいと思っていた。
 自身を犠牲にしてまでも、守ろうとした場所だったけれど、その思いは、みんなには届かなかった。
 というより、どうしようもないほど、あの時、4人の心はバラバラだった。
 りょうは心を閉ざしたまま、雅之と憂也は対立。
 聡もまた、憂也に強い反感を抱いたまま、最後のコンサートを迎えてしまった。
―――ありがとうって……将君に言われる資格なんてないよ、俺。
 正直言えば、愚直な雅之のやり方で、マスコミの風潮が変わるとは思えなかったが、ある意味、憂也への反発から受けてしまった単独取材。
 結果、セイバーの放送中止という最悪の事態になった。
 聡にも、あそこまでストームに逆風が吹いているとは、読みきれなかった。
 悔やんでも悔やみきれない結末。今思えば、憂也だけは、冷静に世論の空気を読んでいたのかもしれない。




 俺が何かとしゃしゃり出てたけど、ストームの、精神的なリーダーはお前だから。
 その天然の優しさで、あの扱いにくい三人を支えてやってほしい。
 だって、あのりょうだろ。ほんっと取り扱い要注意だよな、地雷何個も抱えてっし。
 で、雅は馬鹿だし。
 馬鹿なのに、思い込んだら即実行、憂也のシニカルなつっこみがなかったら、あいつ、ひたすらヤバイ方向に進んでたよ、絶対。
 憂也は憂也で、天才だけに、凡人のハートが読めねぇし。
 あいつなりに努力してるとは思うんだけどさ、誤解を解くのが面倒っつーか、かっこ悪いみたいなへんな美意識持ってるヤツだから、難しいのよ、これがまた。




 凡人って、俺のことかよ。
 将らしい言い方に、聡は思わず笑っている。
 なんだよ、将君。
 獄中記、みたいな深刻な内容かと思いきや、いつもどおりの将君じゃん。
「……俺じゃないよ、リーダーは」
 将君が、もしいたら。
 あんな目にあったのが、将君じゃなく、俺だったら。
 きっと、今もまだ、ストームは存在していた。そんな気がする。
―――将君、
 はじめて、聡の両目から、涙が流れた。あの解散を決めた日から、初めて流した涙だった。
 俺が、潰した。
 俺が壊した。
(あの場合はね、東條聡)
(ストームは、柏葉将を見殺しにしてでも、大きくなるべきだったんだ、誰も文句が言えないほど、強く輝く光になるべきだったんだよ)
(柏葉将が、もしストームに戻ってくる可能性があるとすれば)
(それしかなかったんだよ、東條聡)
 俺が――将君の帰ってくる場所、なくしてしまったんだ。
 反発の影に感じていた感情を、聡は心のどこかで自覚していた。
 強烈な嫉妬。
 憂也が、自分たちを追い越して、独自に放つ光に対しての。
 だから、憂也の言うことも、やろうとしていたことも、素直に受けとめることができなかった。

 


 聡。
 誰がなんと言おうと、お前が俺のヒーローだからな。
 お前は俺の誇りだよ、なんたって、親友が憧れのミラクルマンなんだ。
 守ってってくれよ、ストーム。
 約束だからな。





―――将君……。
 新たな涙が、頬を濡らし、聡はそのまま、冷たいベッドを拳で叩いた。
 もう、手遅れだよ、将君。
 ストームもJ&Mもなくなった。
 りょうは実質引退で、憂也はハリウッドデビュー。
 みんな、それぞれの道を歩き始めた。もう振り返ることができない明日への道を。
(ミカリは戦ってるよ、あんたは何をしてるんだい?)
 俺……。
 俺に何ができるだろう。
 泣くだけ泣いた聡は、泣き腫らした目を拭って、顔をあげた。
 パブリックジャーナリスト、ミカリの書いた記事を聡は、読んだ。
 むさぼるようにして、全て読んだ。
 恋愛感情を超えた部分で、初めて聡は、ミカリという女が見えたような気がしていた。
 ミカリを潰したもの。
 そして、ストームを潰したもの。
 俺に、何ができるだろう。
 今の俺に、……それに何ができるだろうか。




               9



 時計が、深夜一時を告げている。
 照明の落ちた廊下に立ったまま、澪はじっと、自分の足元を見つめていた。
 理解できない。
 したくない。
 様々な葛藤が、胸をしめつけ、思考を重く閉ざしている。
 が、ここで折れなければ、二度と末永家の許しを請うことはできないだろう。
 ぎっと軋んだ音がして、扉が開く。
 澪は体を強張らせた。
「どうした」
 驚いたのは、むしろ出てきた父の方だった。
 母屋から、渡り廊下で繋がっている小さな離れ。
 公認会計士の資格を持っている父親は、関連会社の経理全てをここでしている。
「……………」
 廊下の壁に背を預けたまま、澪は無言で床を見ている。
 しばらく扉の前で足を止めていた父は、軽く息を吐いて歩き始めた。
「俺を殺しにでもきたか」
「………………」
「薄気味悪い、とっとと、自分の部屋に戻れ」
 嫌悪のこもった声だった。
 すげーな。
 それが、父親が子供に向かって言うセリフかよ。
 まぁ、こういう奴だって、昔から知ってたけど。
 冷たい横顔が、澪の傍を通り過ぎていく。
 唇が動かない。
 考えなきゃいい。
 感情なんて、いらないんだ。
「……ありがとう」
 横を向いたまま、澪は、小さく呟いた。
 前を行く人が、足を止める気配がした。
「……俺を、今まで、育ててくれて」
 演技だ。
 そうだ、演技だ、これは。
「ありがとう……」
 父の背中が、暗がりで止まっている。
 気持ちなんてない、なのに。
 言葉にした途端、激しい感情が胸を突き上げる。 
「なんで、お前がそんなことを言う」
「…………………」
「一体、どういう嫌がらせだ」
 困惑を吐き捨てるような声。
 俺だって知るかよ。
 言えって言われたんだ、だからそうしてるだけなんだ。
 必死で暗闇をにらみつける。
 理由のわからない涙が、開いたままの目から、ふいに零れた。
「わ、」
 父の声が、初めて揺れた。
「悪いのは、俺じゃないか」
 いつの間にか目下になった背中が、震えていた。
「………………」
「なんで……お前が、そんなことを言うんだ」
 小さくなった、痩せた背中。
「……俺だって、」
 知るかよ。
 歯を食いしばっても、どうしても感情が止まらない。
 澪は顔をそらしたまま、ただ唇を震わせ続ける。
 親父、……お父さん。
 心の中で、自分の何かが狂ったように叫んでいる。お父さん、お父さん、お父さん。
 父親参観日で、何度も何度も振り返って、父の姿を確認していたあの日のように。
「俺が悪いんだ、澪」
 鼻をすする音が、自分ものか、父親のものか、もう澪には判らなかった。
「俺が言わなければ、ならないんだ、俺が……お前に」
 そうして、ようやく考えていた。
 この人が、何年も言いたかったことを。
 もしかして、俺が、言わせなかったのかもしれない。
「……今まで、本当に、……すまなかった」
 この人が、何年も伝えたかったことを――。
 俺が、自分で拒否していたのかもしれない。



               10




 夏が、もうすぐ終わろうとしている。
「真白、元気?」
 電話口から聞こえる母親の張りのある声に、真白は微笑して額の汗を拭った。
「元気元気、もうとにかく暑くてさ、目茶苦茶日焼けしてるから、私」
「そうなの?想像できないわー、あんたは色が白いから」
「そっちはみんな元気?」
「元気よ、忙しくしてるわよ」
 澪は、元気かな。
 私の手紙、届いたかな。
「……真白?」
「お母さん、」
 窓から見える空が高い。どこかで蜩が鳴いている。
 真白は、携帯電話を握り締めた。
「わがまま、言ってもいい?」
「どうしたの?」
「……帰りたい」
「………………」
「澪に……会いたい」
「………………」
「ごめんなさい、あんなにみんなに迷惑かけて、わがまま言ってるのは判ってる、でも、私、澪に会いたい、会わなきゃいけない」
 澪に会って、どうしても伝えたいことがあるから。
 澪に会って、お互い止まったままの時間を、先に進めければならないから。
「……手紙書いたの、もしかしたら、澪には届いてないかもしれないけど」
 むしろ、それは殆ど期待していない。
 家族の人が、澪に渡してくれる可能性は、限りなく低いだろう。
「私……澪と、きちんと会って、話さなきゃいけない」
 澪にとって、今の停滞が取り返しのつかないものになる前に。
 それが、最後の別れになるだろう、多分。
 澪との、本当に最後の。
「真白、帰っておいで」
 母親の声は優しかった。
 張り詰めたものが緩み、ふっと、涙がにじみそうになる。
「こっちで真白のこと、待ってる人がいるよ」
「……お父さん?」
 おそるおそる聞いたが、それには含み笑いが返された。
「七生実ちゃんがね、こっちで一回、同窓会みたいなことしようって」
「七生実が?」
「帰っておいで、真白、こっちは随分、過ごしやすくなったから」
 夕暮れの風はもう秋の気配を運んでくる。
 山陰の夏の陰りは都会より随分早い。
「……うん」
 帰ろう。
 もう私は、胸を張って、あの町で生きていける。






 澪。
 この手紙、澪のところに届くかな。
 届いたら、いいな。
 そんなことを思いながら、初めて、真剣に澪に手紙を書いています。


 私は元気です。
 毎日、楽しく過ごしています。
 本当言うと、最初は、毎日悲しくて仕方なかった。
 自分のこと、澪のこと、……ううん、やっぱり、自分がこんな目にあったことが、悲しくて仕方なかったんだと思う。
 悲劇のヒロインだったんだね、私。
 泣いてれば、神様がなんとかしてくれるって、そんなことを思ってたのかもしれないね。


 今日ね、すごく不思議なことがあってね。
 あ、その前に、私が今何をしてるか、説明しないといけないね。
 私は今、井の頭にある、特別擁護老人ホームで、介護のお手伝いのようなことをやらせてもらってます。
 知ってる人の紹介で、仕事はきついけど、今はそれなりに慣れて、沢山のおじいちゃんおばあちゃんと、毎日、楽しく過ごしています。

 
 そこでね、いつも怒ってるおばあちゃんがいてね。
 神経痛ひどくて、だからなのね、しょっちゅうヒステリー、私も随分泣かされたし、正直、顔を見るのも嫌だった人。
 その人がね、今日、すごく素敵な笑顔で笑っていたの。
 人間って不思議だね、同じ人が、悪魔にも天使にも見えちゃうんだね。
 その人は私に、辛い思いもくれたけど、今日はすっごい素敵な幸せをくれたんだよね。
 その時にね、思ったんだ。
 私たち、色んな人たちに傷つけられてしまったけど、同じ人たちに、いつか、幸せをもらうことも、絶対にあるんじゃないかって。
 夢みたいに楽天的なことかもしれないけど、……まだ、上手く、言葉でまとめられないんだけど。
 そんなことを思いました。


 澪、辛い?
 あのね、受け売りです。
 でも、効果あるから、ためしてみてね。


 辛い時は、誰かを助けてあげてください。
 閉じこもってないで、そこを出て。
 誰かに手を貸してあげてください。
 そうすると、
 自分も、少しだけ楽になるから。
 自分より辛い思いをしてる人を、助けてあげてください。

 
 澪はそれができる人。
 私より、もっと大きな力で、たくさんの人を助けてあげることができる人。
 今は、見えてないかもしれないけど、それが、澪の、神様からもらった才能だから。
 

 澪が幸せだといいな。
 それが私の幸せだから。
 元気な澪に、早く会いたいです。
 澪のことが大好きなファンとしてね。
 はしゃいで、思いっきり笑う、いつもの元気な澪に会いたい。


 私が、今、幸せのように。
 澪も幸せでありますように。

















 ※この物語は全てフィクションです。



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