27



 夏は盛りだが、雨上がりの風は涼しかった。
 初めて将は、ここにも緑があり、自然があることに気がついた。
 外に出たのは、無論今日が初めてではない。なのに、今まで同じ景色を見ても気づかなかった。それがひどく不思議なことのように思える。
「よう、元気か」
 背後から無遠慮に声をかけられ、将は振り返る。
「まぁ、なんとか」
 もう見慣れたゴリラ面。佐川と刺繍がついた青い制服姿が窮屈そうだ。
 男は、ごま塩頭を手のひらでこすってにやりと笑い、そして、将の傍らに肩を並べた。
「言っとくが、これからが大変だぜ」
「……………」
 将は無言で、青く澄み渡る空を見上げる。
 それでも地球は回ってるか、どこで聞いた言葉だっけ。
 今まで得たもの全てを失ったとしても、それでも、俺の人生は続いてる。この先、何年も、何年も。
「父の知り合いなんですか」
「どうしてそう思う」
「……俺のことばっか見てるから、最初はやべー人かと思ってましたけど」
「頭がいいってのは、本当なんだな」
 赤く日焼けした顔に皺を寄せて、男は人好きのする笑顔を浮かべた。
「小学校が同じだった、もっともあいつは途中で転校しちまったけど」
「………………」
「俺は見ての通り、中途退職のアウトローであいつはエリート、ま、友達っつっても、誰も信じちゃくれないがな」
 将は黙って、再勾留の半ばから、連日面会に来るようになった父の顔を思い浮かべていた。
 何を話すでもない、ただ、本をもってきて、しかも司馬潦太郎ばかり、
「読め」「もう読んだか」話したのはそれだけ。
 外務省を辞めたことは、一言も話さないし、将も聞かない。
 聞いてしまえば、父との間に築いてきた微妙な関係が、一気に崩れてしまいそうな気がする。
「どういう人だったんですか、親父」
「今とかわらんね、クソ真面目で、冗談のひとつも飛ばさない」
「本ばかり読んで」
「聖人君子を気取って、滅多なことじゃ怒らない、家でもそうか」
「叱られた記憶、殆どないです」
「実は運動がからっきしなんだ」
「そうなんですか」
「かけっこじゃいつもビリだった」
 意外だった、あの完璧な人が。そして少しだけ、将は笑ってしまっていた。ここで、初めて見せた笑顔かもしれない。
「これからどうする」
「……さぁ」
 どうすっかな。
 全く先は見えないけど、ひとつだけ、決めていることがある。
「もう、……アイドルみたいなことは、できないかなって思ってます」
 この世界は。
 俺が見てきたものが全てじゃない。
「この世界が……地獄にしか見えない人たちがいる」
 どうしたって救われない、どうしたって希望が見えない人たちがいる。
 知ってしまった以上、知らなかった昔には戻れない。
「……上手く言えないですけど、もう少し、色々勉強しないといけないのかな、と思いました」
 もう、知らなかった頃のようには笑えない。
 そもそもJ&Mに戻れない限り、二十歳を超えた将が「アイドル復帰」など、すでにありえない未来なのだが。
 わずかに眼をすがめた佐川は、しかしすぐに肩を揺するようにして相好を崩した。
「そりゃいい、親父さんも喜ぶ」
「………………」
 別に、あの人喜ばせたいわけでもねぇけど。
 ただ、もう、悲しませてもいけねぇかな、と思う。
「じゃあ、そろそろ時間なんで」
「一度だけ、本気で喧嘩したことがある、喧嘩っつーか、俺が一方的に怒らせちまった」
 青空に、雲が一筋尾を引いている。
 男の言葉に、将は、足を止めていた。
「あいつが、海外でのたれ死んだ放蕩兄貴のガキを引き取ったときのことだ」
「……………」
「表向きは兄貴が愛人に生ませた子供ってことになってるけど、その兄貴の血さえ引いてない、人殺しでアル中のミュージシャンの子供だ」
「……………」
「今思えば、お前とよく似た性格してたよ。そいつも、動機を一切口にしないまま、刑に服した。言えば、情状酌量の余地があったのかもしんねぇのに、何ひとつ抗弁しなかった」
 親父のことだ。
 将にとっては血を分けた本当の父親。
 ハリケーンズの、城之内静馬。
「あの時、あの男は女房の名誉を守ろうとしたんだ、お前は友達の名誉だ、違うのか」
「……………」
 将は無言で足元を見る。
「警察だって、そのくらいちゃんと調べてるよ」
「関係ないですよ」
 うつむいたまま、それだけを言った。
「今回は、全部俺の問題ですから」
 佐川はあきらめたように、肩をすくめてかすかに笑う。
「そんなやっかいな男のガキを引き取れば、絶対やっかいなことになるって言ったんだ。やっぱりそうだ、当たってただろ、俺の予言」
 笑いながら、佐川は、満足そうに一人ごちる。
「そしたら、征二はこう言って怒るんだ、人生を損得勘定ではかるのは最低の人間のすることだ」
「……………」
「マスコミにゃさんざん批判されてたけど、外務省辞職は、あいつならやりかねねぇと思ったよ、俺は」
 うつむいた将は、歩き出そうとして、もう一度、足を止めていた。
「……俺を引き取った後でも、父は同じこと言ってましたか」
 佐川は、眉をあげ、笑うような目で眉のあたりを掻いた。
「人生にこんな幸せな時間があることが、信じられないって言ってたよ」
「………………」
「大切なものを失う怖さが、初めて判ったって言ってたよ。女房の体が弱くて、あいつ、子供は絶対に作らないって言ってたんだ、……でも、がんばって一人産んだ、お前の妹だ」
「……………………」
「なぁ、柏葉将、この世は確かに、真面目に生きるにゃちょいと辛いとこかもしんねぇけど」
 親父。
 お袋。
 萌々。
「そんなに棄てたもんじゃねぇぜ、お前をこんなに愛してる人がいる世界が、地獄のはずがねぇじゃないか」



                 28


「傷害については、証拠不十分、暴行容疑については、起訴猶予という結果には、どう思いますか」
「自分の主張が、受け入れられたんだと思っています」
 黒っぽいスーツを着て、神妙に受け答えをしている友人は、かつてよく知っているそれとは、まるで別人のようだった。
「それでもあなたが、世間を騒がせたことに変わりはないと思いますが、それについてはどう思いますか」
「大変、申し訳ないことをしたと思っています、心から謝罪いたします」
 柏葉将謝罪会見。
 セッティングしたのは、無論、当人を解雇した事務所ではない、ネットを中心にいくつかのファンサイトが統合してできた「柏葉将を応援する会」。画面の端に浅葱悠介の顔を見て、雅之は思わず声をあげそうになっていた。
「被害者の方には、今、何を伝えたいですか」
 それには、将はわずかに黙る。
 伸びた前髪が、頬に暗い影を落とした。
 その沈黙を狙って、フラッシュが激しく瞬く。
「まだ、民事法廷で……そういう可能性もありますから、僕の方から言うことはありません」
「一度は暴力を震われたということで間違いないんでしょうか」
「謝罪の言葉は、ありませんか」
 将から、生の感情を引き出したいのだろう、意地悪な質問が飛ぶ。
 しかし、将は、顔色ひとつ変えずに、口を開いた。
「今、僕が言うことは何もありません」
 謝ればいいのに。
 将君らしいな、と、雅之は、どこか寂しい気持ちでふと思う。
 やややつれた感はあるものの、眼差しの強さも、声も、喋り方も、将は何ひとつ変わらない。おそらく、この会見の後、将の態度を巡って再びバッシングが起きるのだろう。それが判っていても、態度を変えない将が、雅之には今、何故かひどく遠い存在に見える。
「ストームのみなさんとは、お会いしましたか」
 しかし、この質問で、初めて将の横顔が強張った。
「……僕は今、事務所と離れてしまった人間なので、迷惑をかけない状況ができたら、一度あって、きちんと謝罪したいと思っています」
―――謝罪、か。
 この会見は生中継、おそらく憂也も聡も、そして昨日上京したりょうも、同時にどこかで観ているはずだ。
 謝罪という言葉の味気なさに、雅之は黙って唇を噛む。
「今、事務所が大変な状況なのは、ご存知ですか」
「……知っています、僕にもその責任の一端があると思いますし、それに関しては、どう謝罪していいのか判りません」
「メンバーの皆さんに、直接会って、謝罪するつもりはありませんか」
「今は、逆に迷惑になってしまいますので」
 当面は、柏葉将と会うな。
 それが、雅之だけでなくストーム全員に下された命令だった。
 ほぼ、将の言い分が全面的に通った形で、傷害罪については証拠不十分とされたが、将自身が認めたという暴行行為のみ、マスコミは大きく書きたてた。
 世間の反応は、暴力タレントのイメージがついた元アイドルに、まだまだ厳しい。
 今回の処分を受けては、有名人に甘い、だの、父親の権威に押された、だの、絶対に有り得ないことまで書かれていたし、外務省を辞職した父親のことも、外交史上最低の無責任男、とまで揶揄されていた。
 逆風の中で行なわれているこの会見も、世論をたてにしてか、随分失礼な質問が飛び交っている。将が切れないのが、むしろ雅之には不思議なほどだった。
 将にも無論、「解雇」という事務所側の意向は伝えられているはずだ。
 そのせいもあるのか、未だ将から、雅之の所に、何の連絡もない。雅之にしても、携帯の繋がらない将に、連絡のしようがない。
「復帰については、何かお話がありますか」
「それはないです、僕も、考えていません」
 画面の中、淡々と答える将。やっぱ、かっこいいや、将君は、そんな馬鹿なことを雅之はぼんやり考えている。
「結果的に裏切ってしまったファンに対して、何か謝罪の言葉はありませんか」
 フラッシュが瞬き、画面は、ズームされた将の顔だけになる。
「僕が、こうした場所で喋るのは、多分、これが最後になります」
 それでも。
 それでもさ、将君。
「こういった形で、最後の挨拶をすることを許してください。僕は芸能界を引退します。今までお世話になりました、……ずっと応援してくださったファンの方、ありがとうございました、………大変、申し訳ありませんでした」
 頭を下げる、最後の声は、さすがにどこかかすれていた。
 それでもさ、将君。
 絶対無理だってわかってたけどさ。
 将君が、いつか戻ってきてくれるって、俺………。
 テレビを切った雅之は、ぼんやりと空を見上げた。
 最後のコンサートまで、あと10日。
 そこで、解散するか続けるかの判断は、全て4人にゆだねられている。
「色々あるけど、頑張ろうぜ、ストームが残ってる限り、まだなんとでもなるんだ、俺たちは」
 憂也の言葉に、ひとまず雅之も自身の思いは置いて、ついていくことに決めた。
 正直言えば、集まった4人はばらばらだった。憂也と聡は視線さえあわせず、りょうは、リハーサルでは異様なハイテンション、ステージを降りると、声さえかけにくい雰囲気になる。
「まだ本調子じゃない」とイタジが言っていたとおりだった、本調子どころか、突然糸が切れてしまいそうな危うさを全身に漂わせている。
 それでも、4人を支えていたものは、ひとつだった。
 そこに、わずかでも、将が戻ってくる可能性。
―――柏葉君は、家族でロンドンに移住することになったそうだ。
―――本人も、もう復帰するつもりはないと明言している。いずれ、なんらかの形で、君らにも報告があると思うが、被害者はいまだ、柏葉将に暴力を受けたと言い張っている。不服申し立て、民事訴訟を起こされる可能性がある以上、騒ぎが収束したとはいいがたい。
―――全てはこのコンサートが終わってからだ、柏葉君も、それは理解してくれている。
 わずかな可能性は、将自身の意思で閉ざされた。
 その決意が、自身のためというより、メンバーのためを思ってのことだということは理解できる、でも。
 つか、……俺たち、ストーム続けてく意味あんのかな。
 将君のいないストームなんて、ストームっていえんのかな。
 しかし、他に活路のない雅之に、止まっている時間はなかった。振り返る暇さえない、コンサートの成功に、今後のストームの未来が託されている。
 柏葉将のいないストームの。
「………………」
 雅之は、両手で目を覆っていた。
 将君。
 どうしたらいいのかな、俺。
 会いたい。
 会いたいよ、将君………。


                 29


「あなたは、じゃあ、J&Mは潰れた方がいいと思ってるんですか」
「ま、言ってみれば、そうですね」
「……………」
 顔色一つ変えない男から、拓海は黙って視線を下げる。
 この人も、そうか。
 顧問弁護士の榊青磁。
 会社の経営陣とは別の存在だが、拓海が知る限り、もう何年も前からJ&Mの顧問弁護士を務めている、すっきりとした歌舞伎役者風の男。
 噂では、元Jのタレントだったとも言われているが、今だ独身であること以外、彼の私生活は殆ど知られていない。
 六本木、J&M仮設事務所。 
 自身の契約改定のためここを訪れた拓海は、契約内容の確認作業を、例年どおり、榊青磁とする予定だった。
 しかし信頼できるはずの顧問弁護士は、開口一番、驚くべきセリフを吐いたのである。
「ここらで、うちの事務所、そろそろ幕引きにしてもいいんじゃないですかね」
 唖然とした拓海に、榊は、さらに追い討ちをかけた。
「移籍か独立か、今がいいチャンスなんじゃないですか」
 こうなれば、むしろ唐沢直人に同情さえ覚える。
 藤堂戒、美波涼二、そして榊青磁、Jを昔から支えてきた主要スタッフに、ことごとくあざむかれようとしているのだから。
「株価は下落する一方、メインバンクからは経営再建案をおしつけられ、経営権は、エフテレと子供向けゲームメーカーにもっていかれつつある、もううちは、タレントの処遇ひとつ、自由に決めさせてもらえない状況です」
 コーヒーカップを片手に、榊はよく通る声で、淡々と続けた。
「ここまできたらね、もういっそ、白紙に戻った方がいいんですよ」
「そのために、俺に事務所を抜けろってことですか」
「そうです、それはまた、緋川君自身のためでもある」
 俺の。
 拓海は無言で、対面に座る男を見上げる。
「何故なら、この先、唐沢さんは、経営建て直しのためにニンセンドーを頼っていくしかないからです。ご存知かもしれないが、暴落した株を、東邦が大量に買い占めている」
「………………」
「言ってみればJは、東邦の全面買収に対抗するため、ニンセンドーに一部吸収されることで、活路を見出していくしかないんです」
 きれいな指で書類を叩きながら、榊は続けた。
 弁護士とはこういう人種なのか、いつも薄い笑いを浮かべたようなポーカーフェイスは、拓海にはまったく読みとれない。
「そしてニンセンドーは、友好的買収の条件のひとつとして、必ず緋川君と、そしてギャラクシーの長期契約を出してくるでしょう」
「………………」
「ニンセンドーは、徹頭徹尾、子供のためのエンターテイメント企業です。アイドルのキャラクター化、ゲーム化、芸能界に進出した彼らがどんな路線を展開するのか、想像するまでもないじゃないですか」
 そして榊は、むしろ哀れむような目で拓海を見下ろす。
「無論、東邦EMGも徹底的に妨害に出てくるでしょう、そんな中、新しい経営路線が起動に乗るまで、5年か、10年か、ようやく重荷が取れたとき、君らはもう、50前ですよ」
「………………」
「若さも美貌も儚いひと時のものでしかない、その時間を奪われるのは、アイドルにとっては、永遠を失うのと同じじゃないですか?」
 拓海は黙る。そして自分の中の、頑なだった何かが揺れるのを感じていた。
「東邦か、ニンセンドー、どちらかの傘下に下るか、もしくは一度潰してゼロから再スタートするか」
「……………」
「選択肢は三つだけなんですよ」
「…………………」
 しかし、だからと言って、今、事務所が潰れてしまえば――
 後輩はどうなる。売れている連中はなんとかなっても、まだキッズの連中は。
 夢のために学業や故郷をすてて、この世界に賭けている連中は。
 デビューが決まったばかりの「なにわJ」の連中は。
 そして、ストームは。
―――そんなこと、できない。
 が、このままJと運命を共にすると決めたとして。
 自分はいい、どこかで何かを諦めてきた。しかし、天野はどうだ、東吾は、草原は、上瀬は、同じ選択を強いることが、果たして自分にできるだろうか。
「よく考えなさい」
 やさしい声がした。
「僕は今でも思ってますけどね、あの時、美波君は、あなたをつれてここを出て行くべきだった」
 それが、いつのことを言っているか察し、拓海は思わず目を上げていた。
「膿は出し切るべきなのです、そして再生は、それを望めばおのずとできる」
 再生は。
 それを望めばおのずとできる。
「一人一人が自覚するべきだ、あなたたちは商品ですか、そうではないでしょう、でも、商品としか思っていない連中が、あなたたちを支配し、そしてこれからも支配しようとしている」
 はじめて男の目に、人間らしい微笑が浮かんだような気がした。
「あなたが守り続けてきて、そして今も守ろうとしているJ&Mの本質……なのかな、それを守るのは、今は、誰の役目ですか?」
「…………………」
「僕は、あなたに、美波君みたいになってほしくないんですよ」
「………………」
 わからない。
 これが忠告なのか。
 巧妙な罠なのか。
「後輩と、恋人と、君は二重の鎖で、ずっと会社に繋がれてきた、そうではないですか、緋川君」
 白い書面を差し戻しながら、榊はそう言って立ち上がった。
「一度くらい鎖を断ち切って、飛んでみなさい、自由に」



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「憂也、これは、二度とないチャンスだ、一生に一度、巡ってくるかこないかのものだと思って間違いない」
「前も聞いた、判ってるよ」
 集中を乱された憂也は、嘆息して濡れた前髪をかきあげる。
 コンサートのリハーサル用に借りたスタジオ。
 声の仕事を終えた憂也は、一人、ここに来て振り付けの稽古をしていた。
 携帯の相手は、先月からマネージャーになった男、水嶋大地。
 京大卒という異色の経歴の持ち主で、いずれはJの経営陣に名を連ねると噂されていた切れ者である。いつもアルマーニの背広を着ていることから、ついた愛称がアルマーニ水嶋。
「カメラオーディションが来月の初めにある。合格すれば、ハリウッドデビューだ、憂也」
 ずっとハリウッドの監督に売り込みをかけていた水嶋は、興奮気味にまくしたてた。
 来春公開のハリウッド映画「最終防衛線」、監督は、ジョルニー・ルカス。世界に名が知れた巨匠である。
 実際、日本の一俳優――しかも日本では俳優とさえ認められないアイドル――が、オーディションまでこぎつけたことは、ある意味奇跡だと言っていい。
「あのさ、前も言ったけど」
 憂也は、息を吐き、オーディオのスイッチを切った。
 静けさが、誰もいないスタジオに満ちる。
「半年も一年も、海外に行ってる暇なんてねぇんだよ、俺。今ストームを離れてる場合じゃないんだ、マジで」
「……憂也」
 水嶋が、嘆息する気配がする。
「俺も何度も言うようだが、これは本当に、二度とないチャンスなんだ」
「わかってるよ」
 どういうウルトラCを使う気か知らないが、この水嶋大地、事務所には一切極秘で、憂也のハリウッドデビューを画策している。そしてこれは憂也の勘だが、おそらく移籍先も、模索している。
「君は自身の才能を安く見積もりすぎている、アイドルなんかに納まっている器じゃない、今すぐストームなんて脱退して、君は俳優に専念すべきなんだ」
「………………」
「頼む、理由はなんとでも俺がつける、オーディションだけでも受けてみてくれ!」
 土下座せんばかりに懇願される。
 実際、何度も心は動いた。
「受けたら受かっちゃうじゃん」
 冗談めかして言って、憂也は、窓越しの澄んだ夜空を見上げた。
「水嶋さん、ストームのコンサート、観たことないっしょ」
「え?」
「観てよ、それから決めてくんねぇかなぁ」
 絶対に、アイドルも棄てたもんじゃねぇって判るから。
「一人欠けてっけど、そいつが戻りたいってマジで悔しがるくらい、最高のステージにしたいんだ、31日は」
「…………………」
「もし、満足できるようなパフォーマンスができなかったら」
 空には星が瞬いている。
 何度もこの星を見て、今日まで来た、これからも、きっとそうしていられる。
 ストームという場所さえなくさなければ。
「そん時は、水嶋さんの言うとおりにする、だからその日まで、返事はちょっと待っててくれよ」
 いつか、将君も戻ってくる。











 
 ※この物語は全てフィクションです。



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