3


「そうですか、それはご愁傷様です」
 お大事に。
 それだけ言って、ケイは受話器を置いた。
「どうでした?」
「だめ、相変わらず取材拒否」
 肩をすくめて、ケイはガリガリと頭を掻く。
 電話の様子を伺っていた大森が、その背後に歩み寄ってくる。
「会社員ねぇ、……どうも、釈然としないんだよね、その男」
「白報堂の社員ですか、大手ですよね」
「ウン、いってみりゃ、同業者みたいなもんよ」
 大手広告会社。マスコミとの繋がりが深いのは勿論、スポンサー企業として、音楽、映画、アニメをはじめとするエンターテイメントメディアとも関係が深い。
 J&Мのコンサートも、何度か手がけているはずだ。
 被害者の本名は公開されていない。
 一部ネットでは社名、本名がゲリラ的に公開されているが、新聞やテレビではでは会社員(34)としか出てこない。
「ま、被害者だからしょーがないっつーのもあるけど、片や二十一歳の若者が、何もかもさらされてるってのにねぇ」
 大人げないっつーか。
 喧嘩って、そもそも両成敗じゃないのかねぇ。
 先月の23日、午後6時少しすぎ。
 赤坂の路上で、柏葉将が、会社員を殴打、転倒した会社員に、さらに殴りかかり、顔面を数度殴打。右腕、顎、口腔内等に全治二ヶ月の重症を負わせた。
 男のカメラからフィルムを抜き取り、そのまま車で逃亡しようとした柏葉を、巡回中の交番警察官が現行犯逮捕。
 警察が公開したその犯行の一部を、柏葉は確かに認めてはいるが、一部については全面否定しているという。無論、今の時点で、どこを認め、どこを否認しているのか、その内容までは公開されていない。
「でも、一体、柏葉さんみたいな人が、なんだってそんなことを」
「さぁねぇ、……被害者は、取材の上のトラブルって言ってたけど」
 現場は路地裏の百円パーク。
 近くの喫茶店で、被害者と柏葉が同席し、そこで険悪なムードで言い合いをしていたのを、何人もの人が目撃している。
 ニュースソースが確かなら、事件現場近くで、柏葉が男の襟首を掴みあげ、路地裏に引っ張っていく姿も、目撃されているという。
 事件の一報を聞いて真っ先に連絡した唐沢直人も、当夜の柏葉の行動だけは、判らないと言っていた。
 白報堂と、今、ストームに仕事上の繋がりはない。
 一体何のために、超過密スケジュールに追われていた柏葉が、赤坂で白報堂の社員と2人きりで会っていたのか。誰一人として、判るものがいない。
「どうも正式な社員とは違うみたいだね、その男。出版部門にフリーで雇われてるみたいで、白報でも、何のために柏葉将と同行していたか、つかめてないみたいなんだ」
「柏葉君のマネージャーは?」
「目を離した隙の、柏葉の単独行動だって言い張ってる。だから何も知らないの一点張り。ただもうその男は、事務所辞めちゃったけどね」
「…………」
 背後の大森が黙る。
 考えていることは、内心同じだろう。
「人手不足が痛いとこだよ、辞めたマネージャーは、大森、あんたが洗ってくれる」
「了解」
「ゆうりは目撃者探し」
「やってます」
 と、パソコンから顔もあげずに高見ゆうり。
「あたしは、被害者を洗ってみるよ、事件当日の足取りがわかれば、何か出てくるかもしれない」
 仕組まれた匂いがする。
 ケイは、無言で目をすがめる。
 もしかすると、柏葉将は、周到な罠に落ちたのかもしれない。
 とすれば、それを仕組んだ相手は――でも、そこまで彼がするとは、ケイにはどうしても信じられない。
 それにしても、何故柏葉将は、目撃された暴力行為に及んだのか。
 一部犯行を認めている以上、一度、手を出したことは間違いない。
 ということは、柏葉将が、自身の立場さえ忘れるほどの何かが、そこにあったということだ。
 仕事上のトラブル、――それだけではないはずだ。絶対に。
 事務所も、不思議なくらい沈黙を守っている。
 一度、唐沢直人が社長名で流したファックスは、柏葉を擁護しているとも取れる内容で、それもまた、世論の猛反発を食らっていた。
「……同じ日に、片瀬りょうの母親が病死してるね」
「そのことが、柏葉さんの精神面に、何かの影響を与えたってことは考えられますよね」
 大森の言葉を聴きながら、ケイは目をすがめる。
 ミカリの言葉を借りれば、まるで一卵性双生児のように精神的な繋がりが深いという柏葉将と片瀬りょう。
 もしかして、直人は、ケイにも明かさない何かの事情を知っているのかもしれない。
「……ネットに、引き当ての映像が流れてますね」
 ゆうりの声がした。
「え?引き当て?」
 大森の声と共に、ケイも立ち上がっている。
「現場検証のことだよ、被疑者同行で、現場で、事件の状況を確認させんの」
「えっ、そんなの、撮影されてるんですか」
「……現場検証は、真昼間、一般の通行人のいる前で、堂々とやるからね、ただ」
 柏葉は人気が命の有名芸能人、しかも初犯で、重要事件でもない。だから、そのあたりは配慮されたはずである。
 誰かが偶然、または故意に隠し撮りしたものなのか。
 インターネットの動画投稿サイト。発信元は海外。その、残酷な映像には、さすがのケイも顔を背けていた。
「ひど……」
 手錠をかけられ、腰縄を引かれた柏葉将が、隣立つ警官の言葉に、頷いたり、首を振ったりしている。
 周辺は暗く、映像は荒い、表情までは読み取れなかったが、手首に回された手錠だけは、はっきりと映し出されていた。
 腰に回されたロープを、背後の警官が手にしている。
「ひどい、これ、まるで犯罪者じゃないですか!」
 たまらず、大森が声を荒げた。
 ケイは無言で煙草を取り出す。
「まだ、本人否定してるし、刑だって確定してないのに、なんでこんな扱いなんですか!」
「さぁね、それが日本の決まりごとなんだから、どうしようもないね」
 逮捕された瞬間から、柏葉の腕には、手錠が嵌められたはずだ。
 その刹那、柏葉将はどう思ったろう。
 光の下にいた。
 ほんの数日前、光の下で、輝くオーラを放っていた才能が、今は闇に閉じ込められている。
 おそらく、容易にはあがってこられない、底なしの闇の中に。
「いい映像ですよ、これ」
 しかし、高見ゆうりだけは、平然とそう呟いた。
「ゆうりさん!」
「だってこれで、現場が完全に特定できたじゃないですか」
 そう、今は嘆くより、できることをするほかない。
 ケイは苦笑して、電話を取り上げる。
―――それにしても、このままじゃ、マジでやばいよ、柏葉将。
 何ひとつ反論しないまま拘留されている限り、事態は泥沼の様態を深めていくばかりだ。
 拘留が長引けば長引くほど、マスコミが世論をあおり、世論が固まり、柏葉の復帰は絶望の色を濃くして行く。
 柏葉どころか、ストームの存続自体、難しくなる。



               4


 雨……いつになったら、やむんだろ。
 傘をかざし、凪は暗い夕暮れの中を歩き出した。
(愛季ちゃんは自殺よ)
(どう考えたってそう、彼女、荻野塾……知ってる?女優の登竜門みたいな難関の劇団だけど、そこで、舞台に立つことになったばかりだったの)
(それが、スキャンダルでパー、出演したAVまで公開されて、庇ってマスコミと喧嘩した美波さんも袋叩き状態、あれじゃ、死んだって不思議はないわよ)
「………………」
 この数日の、あてもない訪問で、凪が得たのは保坂愛季の実家の住所と連絡先だけだった。が、電話はすでに使われておらず、ネットで検索した住所には、大型スーパーがあるだけ。
 それにしても、三件目でようやく辿り着いた瀬川明日香――こと、旧姓早川明日香の情報は、今までの誰よりも詳しく、信憑性があった。
「ハンカチとコーヒーの王子様か」
 若かった美波涼二のロマンスが、わずかに凪の胸を暖かくさせる。
 偶然に出会った2人、そのエンディングが、シンデレラアドベンチャーの千秋楽なんて、ドラマみたいな恋愛ストーリーだ。
 真咲しずくが、凪宛に送ってくれたDVD。美波涼二の初主演舞台の千秋楽公演。
 凪はそれを、繰り返し、何度も観た。
 美波涼二は、まるで今の柏葉将か片瀬りょうのようだった。
 美しく、野生的で、有無を言わせない存在感がある。今の――冷たく落ち着いた表情からは、想像もできない男の魅力に溢れている。
(シンデレラストーリーにはね、残酷な第二章があったのよ)
 残酷な、第二章。
 冷めた目をした、瀬川明日香の声が、耳に蘇る。
(シンデレラをいじめた意地悪なお姉さんは、今や一躍大女優、シンデレラは名前の通り灰の中ってわけ)
 山勢あい。
 今の芸名は山勢藍。
 当時、保坂愛季の「思い出」を無理に奪う形で美波の相手役に抜擢された女優は、今は、凪でも名前を知っている有名女優だ。
 昨年も映画賞で、何度かその名前を耳にしたことがある。
(AV出演のリークは、東邦プロが仕組んだとか、J&Мが、美波さんの移籍を止めるために仕組んだとか……色々言われてたけど、実際はどうだったのかしら。ただ、愛季ちゃんは、間違いなく自殺だと思うわ)
(家族も認めてるし、目撃者もいるみたいだしね。国道沿いに、朝からずーっと立ってたんですって。ぼんやりと幽霊みたいな顔をして)
(で、いきなり車の前に飛び出したの。少しノイローゼ気味だったみたいね、彼女)
 計画的な自殺というより、発作的な自殺。
 警察もそう断定し、相手車両の運転者はお咎めなしということで放免されている。
 凪は暗い気持ちで、雨が降り注ぐ灰色の空を見上げた。
(詳しいことは知らないけど、美波さんとJ&Mが、莫大な慰謝料を彼女の両親に払ったそうで)
 残酷なエピローグはまだ続いた。
(皮肉な話だけど、その金が、逆にとどめだったみたいよ。お父さんは愛人つくって蒸発しちゃって、お母さんは……どうだったかな、頭おかしくなっちゃったって、私が最後にきいたのはそれくらい)
―――私って、ちっちゃいな。
(―――現実なんてそんなものよ、お嬢ちゃん)
(人間は弱いの、弱くてずるくて汚いの、現実は残酷で、夢も奇跡も、小説やドラマの中だけの話。大人になって、それが判って割り切れたら、少しは楽に生きられるわよ)
「……………」
(人間、諦めが肝心なのよ、そうやって大人はみんな生きているんだから)
―――私のしてること、何か意味があるのかな。
 柏葉さんは、どうしてるだろう。
 片瀬さんは、元気だろうか。
 真白さんは何をしていて、ミカリさんはどこに消えちゃったんだろう。
 で、そんな只中で、元彼女とメールしたり密会したりしてたあのバカって……。
「……へこんでる場合じゃないし」
 梁瀬恭子。
 一生好きになれないタイプの女だけど、今は彼女も、ストームバッシングの犠牲者だ。
 表舞台から完全にたたき出された女は、今、娘の治療代を得るために、嘲笑と罵声を浴びながら、1人、街頭に立っていると聞く。
 そういう意味じゃすごい人だ。
「やるしかないじゃん」
 凪は拳を握り締める。
 鍵は美波涼二だ。
 不思議なほどの確かさで、凪はそれを確信している。
 柏葉将を、―――もしかして助けられるのも、きっと。
 美波を縛っている、見えない鎖を解くことができたなら。彼を、もう一度、J&Mに戻すことができたなら。
「おせーよ、バカ」
 車のウインドウが開いて、顔を出してくれた男。
「しょうがないじゃん、話が長かったんだから」
「このあたり、思いっきり駐禁なんだよ、早く乗れよ」
 凪は傘を畳んで、碧人が運転する助手席に乗り込んだ。
「悪いけど、やっぱ、無理だってさ」
 その碧人が、軽く息を吐きながら言った。
「入院患者のプライバシーは絶対なんだってさ。うちの病院、それが売りだから、そこは絶対譲れないって」
「……そうですか」
 まぁ、無理だろうと思っていた。
 海堂倫。碧人の母親が経営する私立の病院に、今、保坂愛季は入院している。金持ちばかりを集めた贅沢でセキュリティーの高度な施設。患者のプライバシーを死守することは、確かに病院の生命線だろう。
 せめて、母親と話ができたら……と、思ったのだが。
 仕方ない。
 正攻法が無理なら、外堀から攻めていくしかない。
「えーと、次の移動先なんだけど」
「お、おい、まだ行くのかよ」
「嫌ならいいです、もともと助けなんて頼んでないし」
「……………行きますよ、行かせてください」
 空けない梅雨、永遠みたいに続く雨、この状況で、凪ができることがあるとしたら、それしかない。
 


                5


 アイドルの暴力事件相次ぐ
 問われる、J&Mのタレント管理能力
 柏葉反省の色なし、ふてぶてしい留置所生活の日々
 コンサートツアー中止決定、憤るファンの声

「……………」
 緋川拓海は、嘆息して新聞を投げ出した。
 6月23日以来、テレビは、相変わらずストーム一色。ストームというか、J&Mへのバッシング一色だ。
「緋川拓海さんの事件でも、若年層を相手にしたタレントが、公の場でああいったことをしていいのか、というのが、かなり議論されたわけですけど、今回の柏葉さんの件は、そういった事情を踏まえたうえでの、厳罰処分、ということになるんでしょうか」
「それはあると思いますね、緋川拓海の事件は、せいぜい器物破損罪という程度の軽罪なのですが、その件に関し、J&Мは、事件のもみ消しをはかるばかりで、当のタレントに一切謝罪をさせませんでした。今回の事件は、暴行傷害という相当な重罪なのですが、やはりJ&Мサイドは、謝罪というより看板タレントの擁護に回った感があり」
―――俺のせいかよ。
 拓海はを眉をしかめ、流暢に喋るテレビ解説委員とやらの剥げ頭を見つめる。
 そんなに騒ぐことなのか、俺にしても、柏葉にしても。
 路上で言い合いになって、喧嘩になった。相手が主張している通りなら、確かに重罪には違いないが、ここまで連日、テレビや新聞がこぞって取り上げるほどの重大事件なのだろうか。
 しかも、事件以来とんずらぶっこいて、行方すらくらましているという胡散臭い会社員が、そこまで擁護に値する存在なのだろうか。
 美波の耳には、まだ、あの夜の電話の声が残っている。
 美波涼二。
 事件当夜、拓海の携帯にいきなりかかってきた長雨よりも憂鬱な電話。
(緋川、お前には、柏葉を助ける義務がある)
「……………」
(お前は無関係ではいらない、何故なら、お前がしでかしたことが、今回必ず、柏葉への向かい風になるからだ)
 むかつくけど。
 あの夜に言われた薄気味悪い予言が、今、全部的中している。
「観てんなよ、そんなもん」
 いつの間にか、背後に天野が立っている。
 手渡された缶ビールを、拓海は、黙って受け取った。
 天野のマンション。2人の背後では深海魚の水槽がかすかな音を立てている。
「お前が責任感じることでもないだろ、テレビってのは、なんでもかんでもこじつけたいもんなんだ」
「………ま、わかってんだけどさ」
「それより柏葉は、なんだってまだ出てこれねぇんだよ」
 対面の席に座り、天野がビールのプルタブを切る。
「榊君に聞いたけどよ、あんなの、ちょいちょいっと認めてサインすれば、簡単に出てこれるって話じゃねぇか」
「知るかよ、俺に経験なんてねぇし」
「しかも、柏葉は初犯だし、上手くもってけば、せいぜい罰金刑で済むらしいぜ?なんだって一週間も粘ってんだよ、あのバカは」
 天野は、かすかに嘆息する。
「そこで粘って頑張っても、戻ってきたらストームなんて消えてるかもしんねーのに」
「……………」
 柏葉には柏葉の人生がある。
 拓海に言えるのは、それだけだった。
 騒ぎが最小限に収まるのは、J&Мには願ってもない話だが、柏葉は、この先一生、自身の人生に取り返しのつかない汚点を背負って生きていくことになる。
「それから、柏葉の弁護士って、何やってんだ?そもそも」
 天野は、苦い目のまま、手にしたビールを一口飲んだ。
「こういう場合、マスコミに出て柏葉の言い分くらい代弁してやるもんじゃねぇかって、榊君も首ひねってたよ。何で拘留のびてるか説明全然ないからさ、薬だの余罪だの、妙な憶測が飛び交ってんだよ」
「有名な弁護士さんなんだろ?」
「有名でもなんでも、本当に柏葉のこと、弁護する気あるのかよ」
「……………」
 拓海が、知っているのは、柏葉家が、事務所側がつけようとした弁護士を一切拒絶したということだった。
 おそらく柏葉家は、アイドル柏葉将の立場より、アジア太平洋州局長でもある柏葉の父を守ることを中心に動いているのだろう、そんな気がする。
「へんに争って裁判にでもなったら、それこそ解決まで何年かかるか……もったいねぇよ、三十超えた俺からみると、もったいなさすぎて、涙が出てくる」
「……………」
「ま、……もうアイドルとしては、難しいかもしんねぇけどよ」
「……………」
 拓海は黙って、まだうるさくがなりたてるテレビを消した。
「で、俺に話しってなんだよ」
 外は、まだ雨が降っている。
 窓を流れる雨粒が、天の涙のようだった。
「唐沢さんに呼ばれたんだ、来期、取締役になんねぇかって」
「ああ」
 内々に話は聞いている。
「6月でお前が辞めただろ、その代わりなのかもしんねぇけど」
「…………」
 拓海は、立ち上がって棚の上に置かれたジャーキーの袋を取った。
 酒豪の天野と違い、拓海は肴がないと酒は飲めない。
 元々形ばかりの取締役、経営に一切関心がなかった拓海があえてその職を希望したのは、美波涼二の動きを、対等の立場で監視したいという意図があったからだ。
 その美波がいなくなった今、拓海が、あえてその席にとどまる理由はなかった。
「俺ら中心になって、なんつーの、若手取りまとめてほしいみたいでさ、どう思う、拓海」
「いい話じゃねぇか、株は今暴落してっし、これから上がれば大もうけだ」
「……本当に」
 ふと天野の声のトーンが下がる。
「本当に、いい話だと思ってるか?」
「………なんだよ」
 ふいに真面目な目で見つめられ、缶ビールを開けかけていた拓海は、手を止めていた。
「俺ら、デビューして何年になる」
「……………」
「もう三十半ばだよ、俺もお前も、いくらメイクで誤魔化しても、もうアイドルって面じゃねぇわな」
「まぁな」
「男としては、最高にいい時だがよ」
「それも、同感」
 笑みを交わして、ようやく缶を目元まで上げる。
「拓海は最初、嫌がってたみたいだけど、俺、アイドルやってる自分が大好きでさ」
「見てて判るよ、そんなの」
「今でも変わんねぇよ、アイドルサイコー、男として、サイッコーにいかした仕事だと思ってる」
「究極、女にもてたいのが、オスの性だもんな」
 拓海は笑う。しかし、同じように笑う天野の目が、ふと翳った。
「ただ……そういう役目、そろそろバトンタッチしてもいいんじゃねぇかと思ってさ」
「…………………」
「そろそろ、トップランナーから、降りてもいいんじゃねぇかなと思ってさ」
 サトちゃんか。
 そうだな、こいつのガキ、もう一歳になるんだっけ。
 拓海は黙って、夜の闇に視線を移す。
「子持ちアイドル、目指すんじゃなかったのかよ」
「それも考えた、ファンに認めてもらって、このまま続けてもいいんじぇねぇかなって、でもさ」
「……………」
「J&Мは、アイドル事務所なんだよ」
「知ってるよ」
「ストームやヒデのコンサート見て、思ったよ。ああ、これがアイドルだよなって、もう全身かっこいいんだあいつら、弾けるくらい若くてさ、人生の重さなんて欠片もなくて、どこみてもキラキラキラキラ輝いてる」
「若いヤツには若いヤツのよさがあるし、俺たちには俺たちのよさがあると思うぜ」
「でも、メインディシュはあいつらだ」
「………………」
「俺、メインを引き立てたり、支えたり、そういう「先輩」みたいな役割で、これからの芸能人生、終わる気ないんだ、悪いけど」
「………………」
「カテゴリーアイドルから抜けて、事務所の権威もバックもゼロのとこで、勝負してみたいんだ」
 しばらく考えた拓海は、眉を寄せたまま、腕を組んだ。
「今は無理だぜ」
「わかってる、今すぐとか、そんな話じゃねぇよ、いつか、の話だ」
 いつか――か。
 いつか、いつか本当に好きな仕事ができる、いつか、アイドルから卒業できる。
 かつて、その甘えた温い考えを、冷酷な言葉でわからせてくれた人。
 迷いながら、拓海は意味もなく立ち上がった。
「気持ちは判るけど、今、俺たちが抜けたら、うちの事務所は」
「つぶれるかもしんねぇな、マジな話」
「……………」
 思わず目を見合わせている。
 あまりにも非現実的で想像もできなくて、それでも、もしかすると現実に起りうるかもしれない事態。
 J&Mが、なくなる。
 ふっと息を吐き、天野は緊張が解けたように苦笑した。
「拓海はえらいよ、でも俺、そこまでは真似できねぇわ」
「えらくなんかねぇよ」
「俺が拓海だったら、とっくに事務所なんてやめて、自分一人で勝負してる。お前は後輩思いで、おせっかいのお人よしだからさ、だからいつまでも、唐沢さんに首根っこ捕まれてんだよ」
「……そんなんじゃねぇよ」
 そんなんじゃない。
「俺は、……うちの事務所が好きだからさ」
 拓海は、自身に言い聞かせるように呟いた。
 残り続けることを決めたのも、全て自分だ。
 でも、それは何故だったんだろう。
 後輩のためとか、事務所の改善のためとか、色々あるにはあったんだけど、本当は――。















 
 ※この物語は全てフィクションです。



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