36



「まずは、メンバーが、それぞれ世間を騒がせてしまったことを、心から深くお詫びいたします」
 三人の謝罪で始まった解散会見。
 沢山のフラッシュが、壇上の三人を照らし出す。
 成瀬雅之、東條聡、綺堂憂也。
 2時のワイドショー、これはライブ映像である。
 六本木、J&M仮設事務所。
 もうここは仮設ではない、というより戻る本社がなくなった。本来のビルがあった場所は、すでにニンセンドーの所有地になってしまっている。
 残務整理に追われていた唐沢直人は、手を止めて、テレビ画面に映る三人を見つめた。
「今回、……僕らの不徳のいたすところで、最終的に、解散、ということになりました」
 マイクを握るのは、珍しく東條聡だった。
 ストームの名ばかりのリーダー。
 柏葉将がいなくなってから、マイクを持つのは、常に綺堂憂也だったような気がする。
 が、その綺堂は会見が始まってから一度も口を開かず、右端の席で、わずかに眉を寄せたままうつむいていた。
「今後のことを教えてください」
「ソロで仕事をされるということですか」
 東條がマイクを置いた途端、矢継ぎ早の質問が飛ぶ。
「まだ、これからのことは、事務所と相談して決めていくので、僕らにも、正直、よくわかっていません」
「先日のコンサートでは、随分ファンの怒りを買ったようですが、それについてはどう思いますか」
「………ただ、申し訳ないと思っています」
「何故、誰か一人でも出て、挨拶しようとは思わなかったのでしょうか」
「それは」
 何かを口にしかけた東條に代わり、傍らの片野坂イタジが、マイクを取った。
「当日、会場は非常に危険な状態でした。それは、ストームではなく、お客様の安全を第一に考えた主催者側の判断です!」
 厳しい声だった。
―――こいつも、最初は頼りないヤツだったが。
 こんな時なのに、唐沢は思わず苦笑している。
 ストームについて、随分成長した、もう立派に独り立ちできるマネージャーだ。
「片瀬さんは引退ですか」
「柏葉さんから、連絡はありましたか」
 様々な質問が飛び交う。答えるのは、ほとんど東條一人だった。時折成瀬が助け舟をだすが、綺堂はずっと沈黙している。
 この中で、綺堂の進退だけは、唐沢もよく知っていた。
 綺堂は独立する。新会社には残らず、同じく退社したマネージャーと、新しい事務所を設立する。
 今、綺堂が、どんな思いでこの席に座っているか知るよしもないが、少なくともこの先には、才能を自由に羽ばたかせる世界が待っているはずだった。
―――もう少し、早く渡してやればよかったかな。
 手元の書類に目を落としつつ、唐沢は、今朝、片野坂イタジに託した、柏葉将からの手紙のことを思い出していた。
 柏葉将は、今はもう日本にはいない。
 その柏葉から「コンサートが終わった後に」という条件で、4人への手紙を預かった。
 あまりにも色んなことが重なりすぎて、渡すに渡せなかった手紙を、ようやくイタジに託せたのが、今朝のことだ。
 内容は知らない。
 潔い柏葉のことだから、未練を綴ったものではないだろう。
 今の唐沢には、若者たちの未来が、今より輝くものであることを、ただ祈るしかない。
―――俺は、俺自身の信念が揺らいだことで、負けたのかもしれないな。
 甘くなった。
 それは自覚している。本来なら、切り捨てるべきところで、その決断ができなかった。しかし。
 魂が燃えるほど、楽しいと思える瞬間を知った。悔しいがそれは、あの五人の子供たちと、そして一人の生意気な女が教えてくれたのかもしれない。
 背後で、扉が軋む音がした。
 振り返った唐沢は、そこに、見慣れない顔があるのを見て眉を寄せた。
 褪せたチェックのシャツに、ウォッシュジーンズ、―――ああ、と記憶がようやく喚起される。随分様子が変わってるから、判らなかった、そうか、こいつは。
 でも何故、今、こんな所に。
 そう思った時だった。
「僕は、あなたを覚えてますけど、あなたは、僕を、覚えてないですよね」
「…………」
 かすれるような声だった。
 唐沢が、口を開きかけた時、煌く光が、視界のどこかで見えた気がした。
 何もかも、現実味がないほどにスローに流れる。
 今日中にしなければならない残務処理や、今夜会う約束をした女のことが、不思議なくらい穏やかに頭の中を過ぎていった。
「行かないか」
 傷口を手で押さえながら、唐沢は言った。
 あふれ出した鮮血が、暗いスーツを染めて床の上に滴って落ちる。
 思ったほどの痛みはなかった、が、立つこともできなかった。
「行け、残念だがかすり傷だ、今日のことは忘れてやる」
「……あ……」
 ナイフを手にしたまま、少年ががくがくと震えている。
「行け!お前はまだ高校生だろう!俺は大丈夫だから、心配するな!」
「か、唐沢……社長」
「一度引き受けたキッズの顔くらい、覚えているさ」
 顔をくしゃくしゃにした少年が、一瞬よろめき、そしてはじかれたように駆け去っていく。
 唐沢は顔をしかめながら、傷口をネクタイで縛り、それから携帯電話をポケットから取り出した。
「……俺だ、ちよっとしたトラブルだ、いやお前でいい、早くこい、そうだ、今すぐだ」
 腹心の秘書を呼び、携帯を再びポケットに滑らせる。
「最後に、ファンへのメッセージをお願いします」
 テレビの音声が、再び唐沢の耳に戻ってくる。そろそろ会見も終りに近づいているのだろう。
 血溜まりがみるみる床に広がっていく、痛みは不思議なほど感じられない。こんなものかな、と、落ち着いている自分が妙におかしかった。
 唐沢は、うつむいたまま、視線だけで画面を見る。
 そこには、東條聡の沈うつな顔が映し出されていた。
「……今まで、僕らを応援してくれたファンのみなさん、本当に、本当にありがとうございました。そして、沢山迷惑をかけてしまったことを、心から、謝罪します」
 その声が途切れる。
 ふいに、画面が激しいフラッシュで白くなった。
 唐沢は顔を上げていた。
 東條も、成瀬も、右側を向いている。カメラも同じ方向を向いて、一斉にフラッシュがたかれている。
 画面が切り替わり、そこに綺堂の顔だけが大きく映し出された。
 視線だけをわずかに横に向けている。
 きつく結んだ唇、どこか怒ったような強い眼差し、その目から、涙が一筋零れていた。
 一筋、二筋、もの言わぬ綺堂の無言の声のように、それは静かに頬に伝って零れ落ちる。
 誰も、何も言わなかった。質問さえ飛ばなかった。
 初めて見せた、決して泣くはずがない男の涙が、その場にいる記者だけでなく、この映像を見ている全ての人の心に、深い感銘を与えていた。



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「……憂也」
 その続きを言われるのを拒否するように、前を行く憂也は振り返った。
「ま、これでよかったんじゃねーの、それぞれピンでやってくってことで」
 雅之は口ごもる。隣に立つ、聡も何も言えないようだった。
「すげーだろ、俺の演技も」
 憂也は両手を頭の後ろで組み、ひょうひょうと歩き出す。
「これでストームの好感度もアップだし、やっば、男の武器は涙だよね」
 憂也。
 あれは、演技とかじゃなくて。
「あ、将君の手紙だけどさ、あれ、コピーして送ってくんねぇかな」
 解散会見の前、代表してそれを受け取ったのは、雅之だった。
 四人当ての手紙。りょうがいないのに、勝手に開封していいのか、判断に迷い、結局は開けないまま、雅之が持っている。
「……今、見ようか」
 雅之がそう言うと、憂也はあっさりと首を振った。
「時間ない、すぐ移動なんだ、わりーけど」
 雅之にしても、今すぐ、それを見る気にはなれなかった。
 結果として下した解散という選択肢。
 もし、将がいたらどうだったろう、どう思ったろう、それを想像すると、まだ冷静に見られそうもない。というより、将は間違いなく怒るだろうという気がする。
 そんな将の手紙を、今読んでしまったら、自分たちの下した決断を、後悔してしまいそうな不安がある。
「言っとくけどさ、次会った時、俺、ハリウッドスターだから」
 振り返った憂也の横顔は笑っていた。
「また会おうぜ、何年かして俺らがもっと大人になったら」
 何年かして。
 もっと、俺たちが大人になったら。
 憂也の言葉の意味を、雅之は、どこか現実感のないまま、反芻する。
 エレベーターホールの前、憂也を待っているらしい水嶋大地が、雅之らに気づいたのか、軽く目礼してくれた。
「じゃあな」
 軽く手を上げ、憂也がその方に駆けていく。
 その背中は振り返らなかった。
 そのまま、水嶋が開けたエレベーターに滑り込む。
 扉が閉まる最後の時まで、憂也は背中を向けていた。一度も、振り返ってはくれなかった。
(また会おうぜ。)
 そっか。
(何年かして、俺たちがもっと大人になったら。)
 そっか。
 俺たち、解散したんだ。
 ようやく、まるでリアリティのなかったことへの、実感がわいてくる。
 解散したんだ。
「じゃ……俺、今夜は早く帰るって、お袋に言ってるから」
 聡。
「おう、じゃあな」
 動き出したエレベーターとは別のエレベーターが止まり、聡がその中に乗り込んでいく。乗る?と、目で問われたので、雅之は首を振って、片手だけをあげた。
「手紙は……僕も、送ってもらっていいかな」
「いいよ、りょうにも俺から送っとく」
「ありがとう」
 その声を最後に、扉が閉まる。
 広いロビー、雅之は一人になっていた。
「………………」
 もう、何もない。
 もう、俺たちに何の繋がりも残らない。
 最後に残された手紙を送ること以外、何も。
 解散したんだ。
 俺たち――本当に、解散したんだ。






               38



「雅君、お友達が」
 自宅の扉を開けるとすぐに、待ち構えたように母親が飛び出してきた。
「友達?」
「それが、全然知らない子で……」
 玄関前に、妙に高級そうな車が停めてあった。なんだろう?と疑問には思っていたのだが。
 が、玄関で靴を脱ぐ間もなく、その「友達」は、母親を押しのけるようにして現れた。
「おい」
「あ」
 と、同時に出した声が重なっている。
「えっと、確か」
 前原さんの息子で、名前は、
 と、雅之があれこれ反芻している間に、その男は靴を履き、雅之の腕を掴んで玄関の外に引きずり出す。
「な、仲良くね」
 そんな母親の声は、扉が閉まって遮断された。
「何やってんだよ、お前」
 襟首を掴まれる。雅之はそのまま、玄関脇の植え込みに押し付けられた。
「な、何って」
 いきなりすぎて、わけがわからない。
 思い出した、カイドーアイト、碧に人って書いて、あいとって読む男。
 前原大成の息子で、流川と同じ大学に通う医大生だ。
 驚いたことにその碧人は、ちょっとアイドルチックな端整な顔を、怒りで赤く染めていた。
「いつまで、ほっとくつもりだよ、お前、それでもマジであいつの彼氏なのかよ!」
 あいつ?
 もしかして、流川の。
 顔色を変えた雅之を突き放すように、碧人は手を離した。
「今、あいつが何やってるか、お前知ってんのか」
 何を?
「知ってるのかって聞いてんだよ!」
「………………」
 さすがに、遅ればせながら、怒りの感情が雅之を満たしていった。
「……流川が、何しようと」
 なんなんだ、こいつ。
「そもそも、お前に、何の関係があるんだよ」
 温泉の時から、むかついていた、関係ないくせに、一体流川の、なんのつもりだ。
 しかし碧人は、怒りをかみ殺した目で、冷ややかに笑った。
「んじゃ、関係ありありのお前に教えてやるよ、あいつ、毎晩みたいに、すっげー年上のおっさんの部屋に通ってっから」
「…………………」
「うちのバイトもやめたよ、大学終わるとスーパーで買い物して、あのおっさんの部屋にいく、それが最近のあいつの日課だよ」
 美波さんだ。
 雅之の頭に浮かんだ人は、それしかなかった。
 美波さんだ、間違いない、流川が通っている、まさか、そんな、有り得ない。
「散々ほっといて、何今更、動揺してんだよ」
 うなだれた雅之の頭上、碧人の声が勝ち誇っている。
 なんだよ、こいつ。
 そんなことわざわざ告げ口しに、こんな所にまで押しかけたのか。
 まるで性格の悪い姑みたいだ。
「動揺なんてしてんなよ、するくらいなら、さっさと行ってあいつ止めろよ、馬鹿アイドル!」
 止めろ?
「あいつ、そのおっさんの恋人の、行方不明になった家族を探してんだ。日本の人じゃないみたいでさ、歌舞伎町の、そっち系の人ばっかがやってる店を一軒一軒回ってんだよ、どんだけ危ないっつってもきかねぇんだ、もう」
 美波さんの、
 恋人の、行方不明になった家族……?
 雅之は眉をひそめる。
「意味、全然わかんねぇんだけど」
「関係ない俺には、もっとわかんねぇよ!」
 碧人は、吐き捨てるように言った。
「止めろよ」
「……………」
「俺じゃダメなんだ、だからてめぇんとこに来てやったんだ、もう手遅れかもしんねぇけどな、さっさと行って止めろよ、頼むから!」
「………………」
 もう。
 手遅れかもしれないけど。
 その意味を雅之は考える。
 もう、流川の心に。
 俺はいないかもしれないけど――。



               39


 雨が降っている。
 曇った空を見上げ、もう一度視線を下げた時、見覚えのある傘が、マンションのエントランスから出てくるのが見えた。
「………………」
 随分、会ってなかったっけ。
 連絡、してなかったっけ。
 色々あってさ、言い訳は沢山あるけど、やっぱり、どこかで、後ろめたさから逃げていたような気もする。
 それでも、会えば、なんとかなると思ってて。
 そんだけ付き合いも長いし、色んなこと、とりあえず乗り越えて来たような気もしてたから。
 進路を塞ぐようにして道路に出た雅之に気づいたのか、傘が止まる。
 さすがに、息を引くような顔が、オレンジの傘の下からのぞいていた。
「……もしかして、天気予報、見なかった?」
 それでも、第一声はやっぱり流川だった。
 いや、言ってる場合かよ、こういう状況でそんなセリフ。
「美波さんとこに、いたんだ」
 雅之は、流川がでてきたマンションを見上げながら、言った。
 どこかで信じていなかったものが、あっけなく裏切られた気分だったし、なのに、不思議なほど、怒りも悲しみもわいてはこなかった。
「……………」
 わずかに眉を寄せ、流川は黙る。
 それから、ふっと顔をあげ、割合はっきりした声で言った。
「うん、いた」
「………………」
 そうかよ。
「今、帰るとこ?」
「………買い物、材料が切れちゃったから」
 そっか。
 つか、すげーこといわれた?もしかして、俺。
「…………つきあってんの」
「………………」
 何馬鹿なこと言ってんだろ、俺。
 つきあうとか、そういう段階じゃねぇだろ、すでに。
 男の部屋から出てきて、夕飯かなんかの食材買いに行ってるくらいなんだから。
「言い訳するのはやだから、言いたくないけど」
 流川は、わずかに黙って唇を噛んだ。
「…………今は、」
 今は。
「……美波さんの、傍にいなくちゃ、いけないような気がする」
「……………………」
「…………ごめん」
 ごめん。
 雨脚が強まる。
 みるみるスニーカーが、灰色になっていく。
 傘が差し出されたと気づくまで、随分時間がかかっていた。
「使う?」
「いや、……いい」
 もう、返す時なんてねぇと思うから。
 顔を上げると、間近で視線が絡まった。
 綺麗な目が、不安そうに、けれど揺るぎない意思をもって、じっと雅之を見上げている。
 その目を、今は、正面から見ることはできなかった。
「解散、したんだね」
「…………」
 目をそらしたまま、雅之は曖昧に頷く。
「どうするの、これから」
「……さぁ」
「……………」
「……………」
 雨粒が、傘を叩く音だけがする。
 凪がわずかに息を吐き、時間を気にしているのか、視線を腕時計に落すのが判った。
 初めて雅之は、ここで別れたら、最後だということに気がついた。
 もう、最後。
 小学校からなんだかんだと切れなかった縁が、ここで、途切れてしまうのだと。
「……俺に、言うことねぇの」
「……………」
「いや、言い訳とかじゃなく、……俺も、悪かったと思ってるから」
 一瞬考えるような目をしたものの、流川はすぐに首を横に振った。
「そういうのは、ない」
 ない、か。
 それもそれで、もっと残酷なような気がする。
「靴、ありがとう」
「……ああ」
 やばい。
 すげー、動揺してる、俺。
「サイズ、びったりだったから」
「………そっか」
「大切にするね」
「………………」
 いいよ、すんなよ。
 いっそ、棄ててくれよ、あんなもの。
 そう思いながら、黙っていると感情が一気に壊れそうな気がして、雅之はとりあえず笑ってみた。
「あれさ、シンデレラのガラスの靴って言われてるんだって」
「……シンデレラ」
 凪の目が、その時、不思議なくらい大きく広がった。
「ちっちゃすぎて、誰も履けないから、店の人がそう呼んでたんだってさ」
「………………」
「サイズなんてうろ覚えだから、はは、今思うと、よく買ったよ、俺も」
 つか、何、へらへら笑ってんだろ、俺。
 何、意味のないこと言ってんだろ。
「……そっか」
 凪がうつむいた。
 その唇が、わずかに震え、何か言いかけたような気がした。
 しかし、それは、すぐに気の強い笑顔になる。
「私じゃなかったかもね、成瀬のシンデレラ」
「…………」
「どっちも、そんな柄じゃないけどさ」
 もう一度、押し付けられた傘を、雅之は首を振って断った。
「………んじゃ、もう行くわ、俺」
 さよなら。
 その一言が、どうしても出てこない。
「あー、俺のことなら、心配しなくていいからさ、新しい事務所にも残れそうだし、ソロだったら、仕事も少しはありそうだし」
「………………」
「じゃあな」
「うん」
 傘から離れる。
 凪が、最後に手を振るのが見えた。
 バイバイ。
 ポケットに手を突っ込み、雅之は雨の街を歩き出す。
 バイバイ。


 もう、二度と会わないさよなら。









 傘を棄てて。
 走って、追いかけたい衝動を、凪は唇を噛んで耐えた。
 今更、どういう言い訳ができるだろう。
 こんな場面を見られて初めて気がついた。
 どちらか一つを選ぶしかないという現実に。
 美波の傍にいると決めたことは、雅之の傍にいられなくなったことを意味しているということに。
「…………………」
 どちらも、なんて、卑怯だし最低だ。
 でも知らなかった。別れなんて、こんなにあっけなくやってくるものなんだ。
 あれだけ連絡がなくても、まぁ、なんとかなると楽観していたものが、今、あっさりと途切れて消えた。
 もう、許してはもらえないだろう。
 もう、二度と、会ってはもらえないだろう。
 美波への感情を、ずっと曖昧にごまかし続けてきた。今日のことは、そんな自分への罰だったのかもしれない。
 こみあげる感情をやりすごし、凪は顔を上げて歩き出した。
 それでも、自分で決めたことだ。
 後悔なんて、しない。
 絶対に、しない。
  









               40




 みんなへ


 よ、元気か。
 俺のことなんて、綺麗に忘れて頑張ってるだろうな。
 俺は、お前らのことなんて、きれいさっぱり忘れて頑張ってるよ。

 色々慌しくてさ、こんな手紙が最後の挨拶みたいになって悪い。
 でも、この方が、お前らのためだと思ったんだ。



 駅で雨をやり過ごし、雨上がりの、妙に明るい街に出る。
 雅之は、目的の場所に向かって歩きながら、ウェストポーチに収めたままになっていた、将からの手紙を取りだした。
 やばかった。無防備に雨に降られていたから、端の方が濡れている。乾かそうと思って、慌てて出した。今読むつもりではないのに、自然に文面を目で追っていた。
 
 

 俺が、逮捕されてから、随分迷惑かけたし、心配もかけたと思う。
 本当に悪かった、ごめん、どう言葉を尽くしても、足りないことはわかってる、それでも、ごめん、それしか言えない。
 逮捕されたことに関しては、今でも、色んな意味で納得できない部分はあるけど、俺が自分の立場も忘れて、そいつを突き飛ばしたのは本当のことだし、その瞬間、俺はある意味、お前らの傍にいる資格を失ったんだと思う。
 認めちまえば、簡単に出られると判ってたのに、自分の意地を貫くって決めた時も、俺、お前らのところに戻るより、自分を選んだんだ、結局は。
 だから、あらかじめ言っとくけど、俺のことはむしろガンガンに恨んでくれ。庇ったり同情したり、そんなのは全然いらない。
 まぁ、時々、それでも思い出してくれれば、嬉しいけどさ。



 将君。
 なんだよ、もっとお涙頂戴の手紙だと思ってたよ。
 なんだよ、全然将君してるじゃん。



 この手紙読んでる頃には、コンサート終わってっかな。
 イタさんから進行表見せてもらって、ちょっと寂しいなとは思ったけど、そこはお前らのことだから、ちゃんと盛り上げてくれたんだろうな。
 自分がそこにいないってのが、すげー不思議だったんだけどさ。
 でも、これからは、それが当たり前になってくんだろうな。


「………………」
 将君。
 雅之は、目の奥が熱くなるのを感じていた。
 ごめん、そのコンサート、俺ら、まともに終わらせることさえ、できなかった。


 いけるよ、4人だってストームは。
 人数とかそんなんじゃねぇだろ、俺たちが作ってきたものは。
 もう判ってると思うけど、俺たちにとって、ライブは一番輝ける場所なんだ。俺たちのよさとか、魅力とか、一番判ってもらえるのが、ライブなんだ。
 だから、これからどれだけ仕事が忙しくなっても、ライブだけは、絶対毎年続けてくれ。絶対おろそかにしないでくれ。
 何年かたって、俺がそれをみた時にさ、
「くそっ、俺も残ってれば」って、歯軋りして悔しがるくらい、すげーもん作ってくれ。
 ま、俺も俺で、その時は、結構大物になってる予定だけどね。
 


 雅之は無言で手紙をめくる。
 将らしい、丁寧で綺麗な文字。
 そのストームがなくなったことを、将は今、どう思っているのだろうか。
 二枚目以降は、一人一への人メッセージが綴られていた。



 雅、ある意味お前が一番心配だよ、俺は。
 正直で、正義感強くて、5×5じゃないけど計算ができなくて。
 もっと、ずるくなってもいいのになって、いつも思ってたよ、ずるい俺は。


 なんだよ。
 雅之は、わずかに笑って、目の端に浮かんだ涙を拭う。
 正直で正義感強くて計算ができない。
 俺からみれば、それが将君なんだけど。


 昔、こんな話をしたことがあったよな。
 友達の夢と、自分の夢、はかりにかけたらどっちが大切かってさ。
 その答えがどこにあるのか、正直、俺にはわかんないし、今でも判ってないんだけどさ。
 雅。
 お前は、友達選ぶ口だよな、間違いなく。
 でも、雅の場合は、自分選べばいいんだよ。そう言っても無駄だろうけど、百回に一回くらいは、自分のこと選んでみろ。
 俺のことなんて、庇う必要ないんだよ。
 自分でいいんだよ、自分のことが一番で。
 お前には、そういうとこが抜けてるから、少しは、自分中心に考えろ。
 だから、ありがとうなんて言わないよ。

 なんだかんだっつっても、お前と会えなくなるのがある意味一番さびしいよ。
 また、いつか会って馬鹿やろうぜ。
 多分、何年たっても、雅は、雅のままなんだろうな。


 
―――将君……
 よせよ。
 本当に、マジで、もう会えないみたいじゃないか。



 おっと、肝心なこと言い忘れてたか。
 雅、お前には憂也のお守り役があるからな、それ絶対に忘れないでくれよ。



「………………」


 憂也はさ、俺がもっと早く気づいて、フォローしてやればよかったんだけどさ。
 新曲リリースの少し前くらいから、あいつは多分、ものすごい勢いで成長してたんじゃないかと思う。
 多分、俺たちなんか突き抜けちゃって、憂也自身も、自分の変化みたいなものに戸惑ってたんじゃねぇかな、多分。
 憂也がさ、もたもたしてる俺ら見て、すっげー苛々してたのも判るし、そんな憂也に、みんなが不満もってたのも、判る。
 憂也にしてみれば、自分のところまでついてこれない俺らが、歯がゆくてしょうがなかったんだろうな。
 でも、それはさ、言い換えたら、憂也にとって、ストームがすっごく大切な場所だったからだろうって思うんだ。
 だって、どう考えても自分のことしか考えてねぇ憂也が、どうしてそれでも怒りながら、俺たち引っ張ろうとしてくれてたんだよ。



 動悸が。
 痛く胸を震わせる。
 雅之は、憂也の、これまでの言動を思い出していた。
 いつも、苛立っていた。
 いつも、言葉にできない何かの感情を、もてあましているようだった。



 憂也のやり方もまずかったし、自分でも自覚してたと思うけど、あいつが、それでも安心してられたのは、雅がいたからだと思うな。
 だって、あいつの口癖じゃん、「俺には雅がいるからな」って。


(雅。)
(いいんだ、何があっても。)
(俺には雅がいるからね。)


 何があっても、雅だけが憂也と繋がってるから、憂也も、思い切ったこと言えてたし、できてたんじゃねぇかな。
 俺だって言えねぇきついこと、あいつ、ばんばん言ってたじゃん。
 言えねぇよ、いくら仲よくてもさ、仲いいから言えない、だって俺、今でも後悔してるから。
 りょうのこと、もっとしっかり叱ってやるべきだったって。
 遠慮なんかせずに、嫌われることなんて恐れずに、もっと、叱ってやればよかったって。
 俺とりょうみたいな関係でも、口にしたら最後ってものがあって、俺はその壁を越えられなかった。
 実際、辛かったと思う。大好きな奴に憎まれるんだ、結構辛かったと思う。
 それでも憂也は言ったんだ。
 憂也みたいな弱虫にそれができたのは、やっぱ、雅が自分のこと信じてくれてるからって、それがあったからだと思うな。

 

(俺には雅がついてるし、どっかで頼りにしてる、本当だよ。)

 憂也。

 最後に言い合いになった時。
 振り返った憂也は、不思議そうな目で雅之を見上げた。
 本当に、夢でも見ているような目で。
 
 俺――、
 俺、



 悔しいけど、俺がいなくなった後のストーム、引っ張っていけんのは憂也かな。
 あいつは俺のこと暴走マシンみたいに言ってたけど、俺に言わせりゃ、あいつは暴走機関車だから。
 憂也のこと頼むな。
 俺が言うのも、なんかへんだな。
 つか、言うまでもねぇか、お前らのことは。



 気がつけば、目的の場所に立っていた。
 「私有地につき、関係者以外立ち入り禁止」
 積み上げられた廃棄物と、草しか生えていない空間に、そんな看板が立てられている。
 元、J&Mの建物があった場所。
 ここが、始まりで、ここで出会った。


(なんだ?お前も合格した口?)
(俺、綺堂憂也、ま、適当にがんばろうぜ。)

(ファーストキスは、バニラ味。)

―――憂也……。

(一番楽しかった時って、いつ?)

(俺はさ、ここ。)
(ここで5人で叫んだじゃん。)

(でっかくなるぞー)
(緋川さん、待ってろよー)
(貴沢なんかに負けないぞーっっ)

(なんとなくだけど、雅にだけは、それ知っててほしくてさ。)



(だから頑張ってみようかな、クロスワード。)





―――憂也、
 雅之は、両手で顔を覆っていた。
 俺、馬鹿だった。
 どうして気づかなかったんだろう。どうして、わかってやれなかったんだろう。
 みんな、考えていたことは同じだったのに。
 ストームを守りたかった。
 ただ、それだけだったのに、
 どうして、それが、上手く伝わらなかったんだろう。
 どうして、
「憂也………、」
 憂也、憂也。
 もう、戻らない。
 もう、あの場所も、時間も永遠に戻らない。
 みんな、ばらばらに、明日への道を歩き出した。
 もう――戻る場所は、どこにもない。

















 黙示録(終)
 ※この物語は全てフィクションです。



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