17


「じゃ、行くよ」
 憂也の指が、オーディオのリモコンを押した。
 全員が息をつめている。
 東京某所、雅之の部屋。
 雅之、聡、将、りょう、そして将。
 わずかな間の後、静かなバイオリンの旋律が、締め切った朝の室内に流れ出した。
―――静かだな、
 将は眉をひそめていた。
 綺麗だ、が、トップを狙おうという曲にしては、大人しすぎる。
 そこに、ピアノが重なった。
 まるで、夜空に瞬く星のような、儚く煌く何かのイメージ。
 寂しい。
 ひどく、孤独な感じがする。
 まるで、一人ぼっちで、夜空の下、寂しく立ちすくんでいるかのような。
 かなわない夢を、夜空に託してでもいるかのような。
 その刹那、ふいに、バイオリンが変調した。音階が急速に高まり、一気にサビに押し上げる。
 孤独から、力強い希望への変調。
―――こいつは、
 動悸がした。
 将は、自分の手を膝の上で握り締める。
 自分一人で抱えていた孤独が、一気に俯瞰に押し上げられた気分だ。そこには、広い世界が広がっている。
 その空間に、全員の顔が見えた。
 聡、りょう、雅之、憂也。
 そして、将。
 全員が、力強い笑顔で拳を突き合わせている。
 ドラムとギターが、曲を一転してテンポアップさせる。
 見えない壁を蹴破って、5人全員が、外へ飛び出していくイメージ。
 そして、ボーカルが初めて入る。

 
 
 
だから輝いて、この時を駆け抜ける
 一瞬の煌きが、永遠になるように



「来るね、このイントロ」
 初めて憂也が呟いた。
 静から動。その変調が息を呑むほど鮮烈だった。
 一気に引き込まれ曲の世界に入っていける、そんな感じだ。
 曲調が一転して明るくなる。
 Jポップ、アイドルらしいさわやかで軽快なメロディ。
 冒頭が、おそらくサビの前倒しで、ここからが本当のイントロ部分。


 
ただ、過ぎていく日々の中、夢はいつも儚く消えて
 一億の人の群れ中、孤独だけがつのる毎日
 何もできない、何も変えられない
 愚痴ばっか増えて、諦めることに慣れていく
 なのに、心のどこかで、待ってるんだ
 ねぇ、神様、僕の人生に、奇蹟を起こしてくださいと



 軽快なビートの中、少しずつ、バイオリンが前面に出てくる。
 メインのギターがテンポアップしつつも、背後で流れる、切ない旋律が胸を衝く。


 
僕ら、しょせん夜にまぎれて見えない、小さな星屑
 地上に届かない光を放ち、やがて消えていくDestiny
 夢見ても、百年先の未来さえないんだ
 キラキラと、束の間輝いて、散っていく



「あ、」
 と、聡が呟いた。
 なんとなく、ここで声が出る感覚が、将にも判る。
 キラキラと、のワンフレーズで、一気に駆け上がる音階の変化が、胸を締め付ける。
 明るい曲なのに、そこだけふいに切なくなる。


「それでも何かが、僕らの背中押しているんだ
 届け、想い、歌が、光、届く、君へ
 強く、強く、強く
 この壁を越えていけと」


 Rapパート。
「……これ、マジでかっこよくない?」
 口にしたのは今度は、雅之だった。


 
君を好きになって
 人生捨てたもんじゃないって思う
 まるで、夜をてらす一筋の光みたいだ
 僕は、子供みたいにはしゃいで
 ユラユラと、陽炎みたいにもつれあって
 この時間に、限りがあると知っているから
 滑稽なほど一生懸命、愛を体で感じあうんだ

 

 ドラマチックな変調の連続。
 将は、拳を握り締める。
 これは、「売れる」曲だ。
 将の感覚でいうと、よほど売り出し方を誤らない限り、確実にヒットする曲。
 実の所、巷のヒット曲には、一種のルール、というか法則がある。
 将が思うに、人の心を衝くメロディというのは、一定のリズムと音域の組み合わせで決まる。そして、この曲は、その定石を確実に踏まえている。
―――つか、それ以上だよ。
 予測を裏切る巧みな変調は、間違いない、ある種の域に到達したものにしか、作ることのできない旋律。


 
愛しさで胸が満たされていく
 なのにあきらめきれない何かが、
 今日も、僕の背中を押し続ける。
 君の愛だけじゃ、僕は……



 ソロパートで、一番高音の部分。
 ストームで、この音域を出せるのは聡しかいない。
 その切ないバラードに被さるように、再び軽快で激しいビートが入る。
 この曲自体が、最初から、予想を裏切るリズムと音調の繰り返しだ。
 それが絶妙で、胸を衝くほどすがすがしい。
 将は、その旋律の中に、有り得ない人の曲作りの癖を連想していた。
 いや、そんなこと、マジで有り得ないんだけど。


「終わらない感情、僕らをどこへ導くのか
 止まらない現実、僕らの鼓動加速させる。
 例え君を置き去りにしても、この世界に生きる意味
 探そうと、捨てきれない情熱に突き動かされている。
 僕らはまだ夢の途中、旅の途中
 想像を超えた未来信じて、前へ、前へ、走れ、強く」



 そして再び、ラップに重なるようにして、バラード。


 
「現実をみて」
 ごめん、僕は君を置いて、この先に行く。



 
僕ら、しょせん夜にまぎれて見えない、小さな星屑
 地上に届かない光を放ち、やがて消えていくDestiny
 夢見ても、百年先の未来さえないんだ
 キラキラと、束の間の命を燃やし、散っていく



「なんか……俺らのことみたいだ」
 りょうが呟いた。
 曲は、ここからがサビ部分になる。
 テンポのいい軽快なメロディに、時折交じる切ない旋律。



 だから輝いて、この時を駆け抜ける
 一瞬の煌きが、永遠になるように

 キラキラと、
 僕らの光、百年先の未来まで照らすように
 
 思い出の中、今も君が輝いている
 僕は、今は、君を照らす光になって

 キラキラと、
 この時間に、限りがあると知っているから
 キラキラと、
 僕らの光、百年先の未来まで届け

  その奇蹟を、今日も信じて


 
 
 サビのメロディリフレイン、そして、少し唐突とも思えるフィードアウト。
 終曲。


「…………………」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
 CDの回転が止まっても、誰も、何も言わなかった。
 どういう印象を抱いたにしろ、多分、何かを、1人1人がそれぞれの胸の底で噛み締めている。
「……これ誰が作った曲だっけ」
 りょう。
「カバーには ST fucharing takeshiって書いてあるけど……知ってる?」
 聡の問いに、全員が首を横に振る。
「STって、ストームの略称だと思ってた」
「つか、俺ら、曲つくりにはタッチしてねぇじゃん」
「誰だろ、マジで初めて聞く名前だけど……」
 将はカバーをひっくり返しながら首をかしげる。
 とてもじゃないが、この洗練された曲作り、ヒットメーカーのみが成し得る技は、絶対に新人では有り得ない。
 しかし、こういった楽曲提供に際して、有名アーティストが別名を使うのはよくあることで、正直、名前の知名度だけでは何も判らなかった。
「いい曲だね」
 りょうの呟きに、全員が頷いた。
「つか、よすぎるよ、マジで」
「なんか、思いっきりアイドルっぽい曲なのに、かっこいいし、切ないし、盛り上がるし、なんつーの?こう、上手く言えねぇけど」
「俺たちの曲って感じ」
「そうそう、そんな感じ!」
「つか、自分らで言ってりゃ世話ねーよな」
「………………」
 ケースをテーブルに置いて、将は無言で立ち上がった。
「どうしたよ、将君」
「いや、ちょっと喉渇いたから」
 少しだけ武者震いしてる。
 とは、こんな時でも、どこかすかした憂也にだけは言いたくない。
―――俺たちの曲か。
 ずっとストームらしい曲を模索し続けきた。そして、将なりに、答えは見えていたつもりだった。が、その答えが、今、将がイメージするより鮮明な形で、目の前に突きつけられている。
 あとは、何もかも、自分たち次第。これから次第。
「珍しく、ノンクレーム?」
 冷蔵庫を開けていると、背中で、おどけたような憂也の声がした。
「お前はどう思ったよ」
 こと曲作りに関しては、将は憂也に一目おいている。
 最初に「くるね、このイントロ」と言ったきり、ほとんど表情を変えることなく最後まで聴いていた憂也は、軽く肩をすくめてみせた。
「確かにいい曲だよ、普通に出してりゃ、一位は手堅い」
「………………」
「ただ、ミリオン、ダブルミリオンには、ぶっちゃけ、ほど遠いとは思ったけどね」
「まぁな」
 そこは、将も異存はなかった。
 このまま、この曲を5月8日にリリースしても、「アイドルのストーム」が歌っているというだけの売り上げしか見込めないだろう。
 が、今のストームで、「これ以上」の曲を歌えと言っても、ではそれが何なのか、と言えば、正直将には判らない。
「……今回は重いよ、なかなか」
 戸棚に背を預け、憂也は軽く嘆息した。
「将君にはあらためて言うまでもないけど、この勝負、いったん乗ったら最後だしね」
 最後。
 いきつく先は、栄光か破滅か。
 が、振り返った憂也の横顔は、普段通りだった。
「乗らずに逃げる手もあったんだ、俺、将君は、そっちを模索してんのかと思ってたよ」
「…………まぁな」
「乗るって決めたんだ」
 冷蔵庫を閉め、立ち上がると真正面から視線があう。
 リビングでは、残る三人が、もう一度流れ始めたCDを聴いていた。
 二人だけの会話。 
「…………お前はどうなんだよ」
「俺は、長いものに、とりあえず巻かれる主義だから」
 声も横顔もふざけている。
 むかついたが、その余裕の笑顔に、少し救われた気にもなっていた。
「今までとはわけが違う、将君1人じゃ無理だし、5人でも無理だよ」
「わかってる」
「とかなんとか言っちゃって、将君は暴走すっからなぁ」
 互いに、少し苦笑して、右の拳を付き合わせた。
「真咲さんと愛を確認しあったんだろうな」
「ああ、ばっちりだよ」
「信じてるぜ」
 憂也の目は、もう笑ってはいない。
 将は頷いて、その肩を軽く叩いた。
 判ってるよ。お前の言いたいことくらい。
 全部ひっくるめて責任とる覚悟が、ちょっと遅くなっちまったけどさ。
 ここまできたら、最後まで5人、道連れだ。
「ぐすぐずしてる暇ねぇぞ、明日が収録だ、パート分けと、俺らなりのアレンジ、考えてみようぜ」
 将は、隣室の三人に向かって、明るい声を張り上げた。








※この物語は、全てフィクションです。


>back >next