14


「そんなバカな、冗談じゃない、ちょっと……ちょっと待ってくださいよ!」
 声もむなしく、携帯の向こうから無機質な機械音が流れ出す。
「……………」
 そんな、バカな。
 イタジは、唖然としながら携帯を膝に置いた。
 エフテレビの地下駐車場。
 編成室から力なく出てきたイタジには、これから交渉する電話だけが、唯一の希望だった。
 手元のスケジュール表に、再度目を落す。
 出演交渉、全滅。
 こんなことが、かつて、一度でもあっただろうか。
 こちらは腐ってもJ&M、この音楽業界でトップクラスの業績を誇る王国なのである。
 それが――どこの局プロに電話しても、ただの一言。
「なんと言われても、5月12日まで、ストームの曲は一切使えませんので」
 5月12日。
 オリコンウィークリーランキングの集計締切日。
 これは、どういう圧力だろう。
 なかば、呆然とした頭で、イタジは力なく考える。
 この業界で、こんな力を持つ会社は、二つしかいない。
 業界の草分けであり、実質的な首領、経済、金融界に根強い人脈を持つ東邦EMGか。
 もしくは、業績でナンバー1の人気・実力を誇るJ&М。
 どちらがこの理不尽な圧力を仕掛けてきたのか、考えるまでもなかった。
「これは……戦争か、」
 イタジは、絶望を感じつつ呟いた。
 会社の経営権をめぐっての、トップ同士の戦争。
 そこで動くのは、何十億という巨額の富だ。
 だとしたら、巻き込まれようとしているストームには、気の毒としか言いようがない。
 リリース週の先週から、ヒデ&誓也は、全ての局の音楽番組に、メイン扱いで出演が決まっている。
 常識から言っても、イタジの経験から言っても、これだけの差を覆すことは、―――絶対に不可能だった。



                 15


「そこまで、やる必要がありますかね」
 その声は、多少の非難を含んでいる。
 唐沢直人は、冷めた目で、前に立つ男の端整な顔を見上げた。
「お前にしろとは言っていない、すでに藤堂に、全ての手配は指示してある」
「…………」
 美波涼二。
 まるでヨーロッパの美術館の中から抜け出したような、秀麗な美貌を持つ男。
 実年齢を思うと、その美しさは奇跡のようだ。
 彼の年は、ある一点から止まっているのかもしれないと、時々だが唐沢は思う。
 あの日、彼の恋人が、自身の時を止めてしまった瞬間から。
「お前には、ヒデ&誓也デビュープロジェクトチームの指揮を頼みたい。テレビオンエア用の振り付け、プロモーション用の振り付け、それも含めて全てのプロモの監修を頼む」
「ストームのスタッフは?」
 美波の問いに、唐沢は肩をすくめた。
「お前が心配することじゃない。金の掛け方は、その気になれば、向こうに分があるんだ。敵の心配をする前に、まず自陣だ」
「………敵、ですか」
「敵だ」
 唐沢は強い口調で言って立ち上がった。
「ストームには気の毒だが、あんな女に見込まれたことを、せいぜい不幸だと悔やめばいい。これは戦争だ、この会社の将来が、この勝負の行方にかかっている」
「フェアなやり方をしても、ヒデがストームに負けるとは思えませんが」
 美波の反論を、唐沢は微笑で遮った。
「だったら、アンフェアなやり方でも同じことじゃないか」
「………………」
「欲しいのはただの勝利じゃない、俺の目的は、あの女の信念と自信を徹底的に叩き潰すことにある」
「………………」
「今まで会社を大きくしてきた俺の方針が正しかったと、あの女に腹の底から思い知らせてやる必要がある」
(―――ストームのメディア戦略一切を封じ込めろ、どのテレビにも、奴らの新曲を絶対に使わせるな)
 それが、唐沢が藤堂戒に、一番初めに指示したことだった。
 無論、ターゲットは地上波だけではない、雑誌、ケーブル、有線、可能な限り、全て、徹底的にシャットダウンするつもりだ。
 ストームにとっても、真咲しずくにとっても不幸なのは、出す楽曲の版権は、この会社にいやおうなく所属せざるを得ないということだろう。つまり、それをどう扱おうと、基本的には唐沢の自由で、外部のどこからもクレームがつくことはない。
「テレビ、そしてメディアの力なくして、アーティストを売り出すなど不可能だ」
 唐沢は、誰に言うともなく口にした。
 そして、そのメディアを自在に使える者が、今の芸能界では一番強い。
 全ては、その力を得るための戦いだ。そして、そのための商品管理。そう、タレントとは、会社にとって、ひとつのパーツ以外のなにものでもないからだ。
 なぜなら、彼らは決して、実力や才能のみで売れるわけではない。
 むしろ、そんなものは、なんの足しにもならないとさえ唐沢は確信している。
 真の実力や才能があっても、力がないばかりに闇に葬られたハリケーンズがいい例だ。
 タレントとは、会社の力に守られ、会社のメディア戦略に乗せられ、はじめて売れる。つまり、会社の大きさに支えられて、売れさせてもらっているのだ。
 それを。
 膝の上で、唐沢は拳を握り締めた。
 それを、あの生意気な女にも、骨の髄から理解させてやる。
 


                15


 有線から、聞きなれないメロディが流れている。
 なんだろ……初めて聴くけど、いい曲だな。
 凪は読んでいた雑誌を閉じた。
 大学前のコンビニ。
 待ち合わせの時間から、もう10分も過ぎている。
 着信を確認するために携帯を持ち上げる。
 待ち合わせの相手からもそうだが、昨夜から連絡のない恋人からも、返信が入っていなかった。
「………………」
 どうしたんだろ。
 メール入れたら、遅くても翌日の朝には返ってくるのに。
 ま、いいんだけどさ。
 少し不安になりそうな自分を打ち消して、別の雑誌に手を伸ばそうとする。
 ふいに、一冊だけ売れ残ったテレビガイド誌が目に飛び込んできた。
 表紙は崖っぷちサッカー部、その中心で、雅之が笑っている。
 感動・フィナーレ
 そんな大きなロゴが踊る表紙。
 雅之がこのガイド誌のトップを飾るのは、多分、これが初めてだろう。
「………………」
 なんか、やっぱ、すごいよね。
 で、これからどんどん、もっとすごくなったりするのかな。
―――まぁ、私は私で、がんばっていけばいいんだけどさ。
 まだ胸に、唇を重ねた夜の、不思議な動悸が残っている。
 へんだな、私……。
 凪は、妙に沈んだ気持ちで、ガイド誌を裏返した。
 あの夜、突然魔法にかかって、それがまだ解けてない、そんな感じ。
 あいつとのキスで、こんなへんな気持ちになったのって、初めてかもしれない。
「よ、待った?」
 扉が開いて、海堂碧人が飛び込んできた。
 凪は、少し救われた気分で顔を上げる。
「別に送ってくれなくてもいいのに」
「いいよ、お袋にお前紹介したいし」
「…………?」
 まぁ、いいけど。
 この人のお母さんに雇われることは間違いないんだし。
 一ヶ月以上家庭教師をやらせてもらっているけど、まだ、一度も会ったことのない海堂家の母親。ぶっちゃけ、碧人のマザコンぶりはかなりのものだから、母も母で相当な親バカなのかもしれない。
「どっかで飯くってく?」
「いいよ、なんで?」
 車の助手席、そう答えると、ふぅん、と碧人は、妙につまらなそうな顔になった。
「患者さんって、いくつくらいの人?」
 走り出した車の中、凪は気になっていたことを口にした。
 凪がこれから行くのは、千葉の海岸近くにある私立病院。病院というより、長期入院を要する患者ばかりを二十四時間体制で看護している療養施設である。
 凪はそこで、長年に渡って昏睡状態で眠り続けている女性の、看護というか、付き添いのような仕事をすることになっていた。
「年は……けっこういってんじゃねぇかな」
「へぇ」
「でも、お袋が言ってたけど、外見は病院に入ってきた時から、全然変わってねぇんだって」
「そうなんだ」
 すごい、ブラックジャックの世界じゃん。
「かれこれ……十年以上になるのかな、二十六かそこらであんな状態になったみたいだから、今、いくつになってんのかな」
「で、目が覚めたら一気に年とったりするんだ」
「……?しらねぇけど、おふくろが言うには、意識が戻る可能性は、全くないらしいよ」
「全く、なの?」
「うん」
 ラジオから、さきほどのコンビニで聞いた音楽と、同じ曲が流れ始めた。
「しんきくせぇ歌、最近やたらかかってるよな、これ」
 碧人が、眉をしかめながら、それをCDに切り替える。
「奇跡でも起きなきゃ無理なんだってさ」
 











※この物語は、全てフィクションです。
一言感想があればどうぞ♪内容によってはサイト内で掲載することもあります。
Powered by SHINOBI.JP




>back >next