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「届いたよ」
「すげ、はやっ」
 東京某所。
 ここは、ストームの合宿所……もとい、雅之が間借りしている学生向けの賃貸マンションである。
 しかしなぁ。
 と、パソコン画面に顔を寄せながら雅之は思う。
 ストーム解散の実質的な通告があったというのに、こうして5人、いつものように雅之の部屋で集合すると、どことなく緊張感がない。
「おい、食ったもんは片付けろよ」
 台所に立つ将の怒声がする。
―――…………いや、今、夕飯の片付けで怒ってる場合じゃなくて。
 と、そんな風に達観したことを思う雅之にしろ、事務所ではあれだけ憤っていたものが、今は、妙なほど落ち着いてしまっている。
 日常ってこんなもんなのかもしれない。落ち込んでたって腹は減るってことで、さっきまで全員で、出前のピザを食べていた。
「てか、憂也、パソコンいじる前に手洗ったのかよ」
「あ、わりー」
 将が持参したノートパソコン。
 一向に気にしない憂也は笑って、送られてきたメールの添付ファイルを開いた。
 冗談社の高見ゆうりから。
 5月8日からの3週間、各レコード会社が発売するシングルCDのリリース予定を、調べてもらったのである。
「うわっ、すげぇ量」
 聡がまず呟いた。
「CDって、毎日こんなに発売されるもんなんだ」
 日本のレコード会社各社。その数だけでも相当なものだし、クラッシック、インディーズ、アニメ、サントラを含めると、約一ヶ月、発売されるCDの数はかなりの量に上る。
「あ、RENさんの新曲出るし」
「予約いれてねーわ、俺」
「言ってる場合かよ」
 ようやく将が、手を拭いながら戻ってくる。
「まさか、RENとバッティングなんてことはねぇだろうな」
 ジャガーズのRENは、TAミュージックアワードの翌日、電撃的に独立を発表した。もう、ジャガーズというユニットに、RENは存在しない。新たな新会社からRENの名で新曲が発売される予定になっている。
「大変だよな、RENさんも」
「東邦、思いっきりREN潰しに出てるらしいじゃん、うちの事務所並のえげつなさだね」
 予定されていた全国ライブの中止、スポンサーの降板など、どこまで本当か判らないが、東邦EMGプロが、暗にRENのソロ活動を妨害しているという噂もある。
「で、マジな話、RENとかちあってんのかよ」
 将が画面をのぞきこむ。
「それはないと思うけど、こう多かったら、何をどう見たらいいのか」
 困惑している聡。
 それは雅之も同じだった。
 憂也がどんどんスクロールしても、細かな表は延々と続いている。
 一週間だけにしても、すごい数のリリースだ。そして、その中で、トップをとれるのはたった一枚。
「こん中で、俺ら、よく一番取れてたな、今まで」
「ばーか、J&Mでそれできなかったら、いくらなんでもとっくにクビだよ」
 雅之の呟きに、笑いながら答えたのは憂也だった。
「オリコンチャート一位獲得は、J&MでCDをリリースする以上、至上命令というか絶対条件だからさ」
「プロモやタイアップを駆使して、確実に一位を取れる見込みがあるものだけ、出してんだよ。うちの事務所は」
 将が、その後を継ぐ。
 雅之は、黙り、そしてなんとなく察してしまった。
―――そっか、それで……俺らは、新曲出せなかったのか。
 まぁ、薄々気づいてはいたけれど。自分たちがリリースから遠ざかってしまった理由が、なにもセイバー騒動だけにあるわけじゃないことを。
「ちょっと……聞いても、いい?」
 そこで、おずおずと口を挟んだのは聡だった。
「そもそも、オリコンってなに?」
「…………………」
「…………………」
「…………………」
「…………………」



                   5



 爆笑。
「つか、お前さ、そんなことも知らずに三年も芸能界にいたのかよ!」
「どこの世界の住人だよ!」
「聡君らしいね」
 笑っている、将、憂也、りょう。
 とりあえず追従して笑いながら、雅之はほっとしていた。
 よかったーーっ、俺、聞かなくて。
 実の所、それが音楽の売り上げを決めるランキング、ということ以外、何も判っていない雅之なのである。
「オリコンってのはさ、会社の略称で、……なんつーの、音楽情報を提供する会社なんだけど、そこが集計してるCDの売り上げランキングが、日本じゃ一番権威があるって言われてんだよ」
 将君のオリコン講座。
 聡以上に、真剣に雅之は耳を傾ける。
「ランキングって、売れた枚数で決まんの?」
「いや、純粋な売り上げってのとは、ちょっと違うみたいだ。俺も詳しいことは知らないけど、あらかじめ決められた販売店から集計とって、そっから出る推定値で、累計売り上げ枚数を出すらしい」
「じゃ、それ以外の店で売れても、集計には入んないってこと?」
「そういうことだな、レンタルなんかも入らないって聞いてるし」
「関係ないけどさ、J&MのCDって、たいてい水曜に発売じゃん、あれ、なんか意味あんの?」
 ナイス質問、聡君。
 雅之も、まさに、それを思っていた所だった。
 が、それも当たり前すぎる質問だったのか、将は、やや鼻白みながら腕を組む。
「ウィークリーオリコンチャートってのは、月曜から日曜までで集計締め切って、翌週の火曜に発表するものなんだ。で、CDってのは、水曜発売でも、実質、月曜くらいから販売店に出回ったりするだろ」
 ああ、それは雅之も知っている。お気に入りのCDを発売日より早くゲットする――フライング、というやつだろうか。
「オリコンの権威ってのは、結構すごくてさ。第一週でチャート十位以内に入れば、テレビの歌番組の依頼もくる。エフのHai Hai Hai、ジャパンテレビの歌バン、サンテレのМスタ、……だから、どの会社も、いかに第一週の初動売り上げを伸ばそうかと、必死なんだよ」
「出したよ、リスト」
 1人、パソコンをいじっていた憂也が、そう言った。
「水曜発売、いかにもトップ狙ってます、なシングルをリストアップしたからさ、見て」



                  6



「じゃ、今から届けに行ってきます!」
 イタジが勢い込んで振り返っても、ラジオのイヤフォンを耳に差し入れた人は、うん、と気安げに頷くだけだった。
「今頃、彼ら、相当落ち込んでいるとは思いますが……」
 イタジが続けても、うん、とやはり真咲しずくは、さほど興味のない顔で頷く。
―――マジで読めねぇ、この女だけは。
 イタジは、はぁっと、息を吐いた。
 すでに取り壊しが決まったOfficeJ&Mから百メートル離れた貸しオフィス。
 その十七階、ワンフロアがJ&Mの当面の城である。
 隣の企画室では、昨日から徹夜状態で、ヒデ&誓也のデビュープロジェクトチームが会議を続けている。
 事務所の精鋭を集めた豪華スタッフが勢ぞろい、新曲も、ヒットメーカーとして定番の作曲家が手がけているらしい。
 片や、こちらのスタッフは……。
 イタジは、ひたすら寂しいオフィスを見回した。
 真咲しずくと、片野坂イタジ、小泉旬。
 それだけである。
 いまだタイトルさえ知らされていない楽曲は、真咲から作詞作曲者の名前を聞いたが、初めて耳にする、全く無名のアーティスト。
 感触的に、勝てるはずもない勝負だ。
―――つか、勝つ気……そもそも、あんのかな?
 絶望的な要素は、J&Mの内部事情だけではない、レコード会社各社のシングル発売予定を見ても明らかだ。5月8日からの三週間は、音楽業界のトップを担うアーティストぞろいの超激戦区なのである。
 多分、ヒデ&誓也のプロジェクトチームも、同じ事務所の売れない先輩アイドルなど、問題にもしていない。おそらく、他社のライバルを見越しての作戦会議だ。
 しかも、ストーム存続の絶対条件に、三週連続トップという有り得ない課題がある。
 その、三週目にリリースされる曲の中には、
「す、すいません、エフテレのタイアップ、無理でした」
 弱々しい声で、もう1人のマネージャー、小泉旬が戻ってきたのはその時だった。
 着慣れないスーツがなんだか痛々しい。外は暑かったのか、額に汗が浮いている。若白髪のせいかふけてみえるが、まだ二十代かそこらの、ちょっと頼りない好青年である。
「やっぱ、ヒデで行くって?」
 はじめてしずくが顔を上げてそう言った。
「はい、5月の第二週までは、ヒデ&誓也の新曲でいかせてくれ、と」
 その話が何のことか理解し、イタジの眉も曇っていた。
 と、いうより、なんで俺に行かせない?
「そ、それ、まずいじゃないですか!」
 思わず声を荒げていた。
 もし、万が一、ストームに勝ち目があるとすれば、それは、今、人気が沸騰している崖っぷちサッカー部しかない、と、イタジは思っている。
 「いきなり夢伝説」放送中の映像に、タイアップ曲として、ストームの新曲を入れる。
 それさえできれば、初動二十万枚も夢ではない。オリコン1位の当確ラインは十四万枚から十七万枚。初動二十万超えというのは、よほどヒットしているトップアーティストでさえ容易に出すことはできない数字だ。
 仮にヒデ&誓也に破れたとしても、その実績を突きつければ、唐沢社長にしても翻意する可能性があると――イタジは内心踏んでいる。
「ま、しょうがないじゃない、番組の看板はあくまで貴沢君たちなんだから」
 しずくは、さほど応えていないのか、判っていないのか、平然とそう答える。
 イタジは絶望を感じ、肩を落とした。
 やはり、素人なのだろうか。そこに、何かの可能性を感じた俺がバカだったのか――。
「……というより、そんな大切な交渉を、なんだって」
 さすがにそれ以上は、当の小泉を前には言えず、イタジは言葉を途切れさせた。
「で、小泉ちゃん、12日のスぺシャルは、うちの曲使えるわけ?」
「あ、はい」
 と、嬉しそうに小泉。
「それはもう、絶対に引けないってことで、必死に交渉してきました!」
 聞いていたイタジは目をそらし、そして軽く舌打ちする。
 つか、喜んでる場合じゃないし、そんなもの、なんの意味もない。
 最終回スペシャルの放送は12日だ。日曜日の夜7時、つまり、8日発売のシングルチャートを決める、売り上げ集計の締め切り日。
 締め切りは6時だから、はっきり言えば、全く意味のないタイアップ。
「エフテレも、私に気を使ってくれたのかな。なんたって、唐沢君がいなくなれば、私がここの社長だもんね」
 と、嬉しそうに笑うしずく。
 その無邪気すぎる笑顔は、何かのフェイクなのか、それともただの地なのか。
 でも。
 と、イタジは、萎えそうな自分に活を入れる。
 今まで、ストームを襲った様々なトラブルを、ちょっと有り得ないウルトラCで救ってきたのが、ここにいる真咲しずくなのである。
 NINSEN堂のCМしかり、先日の「TAミュージックアワード」のサプライズ演出?もしかり。
 今回の賭けも、もし、もし(イタジの中で、そのもしは、千回以上もつく)、真咲しずくが勝利を収めたら、あながち今の言葉は嘘ではなくなる。
 おそらく、唐沢直人は取締役社長を退くだろう。
 しずくが負けてしまえば、彼女が株式を全て譲渡し、やはり取締役副社長職を退くように。
―――、そ、そうすりゃ、俺は、
 もしかして憧れのギャラクシーのマネージャー?それとも一気に、営業部長に昇格?すえは取締役……かもしれない。
 が、負けてしまえば、新人あたりの使いっぱしリに降格か、最悪解雇。
 イタジにとっても、まさに、天国と地獄が、この勝負の先に待っているのである。
「イタちゃん、小泉君もつれてってあげて」
 退出しかけたイタジの背後で、しずくの声がした。
「新曲のプロモは、みんなで相談して決めちゃっていいから、明日にでも報告しに戻ってきて」
 そんな――安直なことで。
 それでも、イタジには頷くしかない。
 もう乗っちまった船だ。
 逃げたいが、金槌のイタジは泳げない。
 こうなったらとことん付き合うしかない。
「判りましたが、ちょっと別の用事がありますので、小泉とはまた連絡を取って落ち合います」
 頑張った小泉には悪いが、イタジは、自らのコネをつかって、再度、エフテレに交渉してみるつもりだった。
 今の時代、テレビの人気番組とのタイアップなくしては、絶対にスーパーヒットなど産み出せない。主題歌は無理でも、せめて挿入歌としての使用くらいは認めさせたい。
 また、エフテレだけでなく、各局の歌番組にも、ストームを強引にねじ込ませなければならないだろう。すでに枠は決まっているだろうが、そこは、Jの権威を使えば、なんとでもなる。
 あまりにも発売決定が急で、売り込むにもいまだ楽曲のタイトルさえ未公表、レコーディングすら出来ていないことが気がかりだが。
 が、イタジにとって深刻な不安要素は、もう一つあった。
「真咲さん」
 小泉を先に行かせ、イタジは、少し真剣な目で振り返る。
「何度も言いましたけど、病院へは」
「イタちゃん」
 しずくは、にっこり笑って立ち上がった。
 う、真正面から見られると、綺麗すぎて正視できない。
「奥さんに電話してもいい?あなたのご主人、最高でしたって」
「わっっわーーっっ、な、なんつー、たちの悪い冗談を!」
 一瞬で意味を理解したイタジは蒼白になる。この女なら本気でやりかねないのが恐ろしい。
「絶対に誰にも言わないで」
「………………」
「約束よ」
 苦い目で、イタジは頷くことしか出来なかった。













※この物語は、全てフィクションです。


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